遠洋に馳せる想い4


 今回降りるときはみんながお別れを言った。また俺は戻れると思っていたのに。俺にも家族が出来たと思っていたのに。

「どうして。前はもう一度乗せてくれたじゃないか」
「もうお前よりも小さくなった人もいるだろ。2年も航海してお前も逞しくなった。もう誰もお前を相手にしたくないんだと。お前相手じゃ勃たないんだよ」
「おっ俺はクビってこと?」
「ま、ひらたく言やそうかな」

 そっそんな‥。呆然とする俺を船長は前と同じようにタクシーに乗せた。今度は駄々も捏ねられなかった。また‥俺は昔の生活に戻るんだ。それは当然なのだろう。2年も面倒みてくれて、それだけでありがたいことなのに。

 そう、俺はヤクザから逃げるのに、船長を利用しただけ。タダ飯食らって寝る場所も確保して、おまけにセックス付き。こんなに美味しい話しはなかっただろう。自分に何度も言い聞かせた。
 昔から希望とか期待とかそんな言葉は信じちゃいなかった。大金持ちになんてなれっこないのも本当は分かり切っていた。だからプライドなんてものは一切持ち合わせていなかった。生きるためならなんでもやる。俺はしぶとく生き延びたいのだ。
 地元にはもう帰れない。例のヤクザが、忘れたと言っても俺の顔を見たら思い出すかもしれないから。
 なのに‥この足でどうやって生活していくか考えなくちゃならなかったのに、俺の頭の中は船長と離される悲しみでいっぱいだった。どんよりとした気分で着いたところはごく普通の家だった。

「お〜い、帰ったぞ」
 玄関を勝手に開けて船長が大きな声を出す。
 すると奥からおじいさんとおばあさんが出てきた。と言っても60半ばくらいだろうか。
「おお、この子が洋一?」

「ああそうだ。こいつが俺の子だ」

 えっ、なに。なんて言った?

「ようきたな。もうなんも心配せんでええ。おらたちが大事にしてやるでの」
「ああ、俺の息子だから大事にしてやってくれ」

 おばあさんにギュッと抱き締められて涙がボタボタボタッと落ちた。

「なんだ、今はどっちなんだ」
「どっ‥どっちって?」
「だってお前言ってただろ。男が泣いていいのは一生の中で一番悲しいときと嬉しいときだけだって。だからどっちなんだ?」
 ニヤリとする船長の顔がよく見えなかった。涙は中々止まらなかった。
「そっ‥そんなの‥決まってる‥」

「これから洋一は俺の息子だ。ちゃんと生まれたときから俺の息子と言うことにしてある。誕生日は10月10日の体育の日に決めた。少し勉強したら来年の春から中学も通うんだ」

 船長は弁護士を頼んでくれて、この町は漁業がないとやっていけないところだから、町長にちょっと言ってやれば何とでもなる、と言って本当になんとでもしてしまった。実際はかなりの金を使っていたとはあとから聞いた。
 俺は養子じゃなくて、船長の実子になっていた。俺は杉本洋一になっていたのだ。お祖父さんとお祖母さんには、学生時代に出来てた子、と言うことにしてあった。

「一生俺の子でいてもいいし、大人になったら好きなところへ出てってもいい。義務教育くらいは受けていけ」
 船長は日焼けした顔でニカッと笑った。

「バカ‥バカヤロ、そんな大事なことは相談しろよな。俺の意志を聞いてからにしろよ。断りたかったかもしれないじゃないか」
「なんだ、嫌だったのか」
「ヤクザが来たらあんたたちだって無事じゃ済まないかもしれない」
「自分の息子を守るのは親の務めだろ」
「悪いことがばれてポリ公に捕まるかもしれない」
「出てくるまで待っててやるよ」
 船長は全然動じてない。

「おっ覚えてろよ。一生あんたの子でいてやるから」
「ああ、覚えててやるよ。一生俺の子でいろ」

 どうしてこんなにあっさりと家族になんかしてくれるのだろうか。どこの馬の骨とも分からない俺に。そんなに同情しなきゃならないほど哀れだったのだろうか。
 でも船長の荒っぽい優しさが俺を満たしてくれていた。


 船長は自分の両親に俺を預けるとまた船へ戻っていった。
 そして中学に入るまでに足も手術して、ほとんどびっこを引いてるのが分からないほどに治っていた。また前のように走れるのだ。

 俺は次の春、新しい学生服とテカテカの革の鞄と、ピカピカの自転車と与えられた。全部誰かのお古で充分だったのに。また涙が出そうになって堪えた。
 俺は17になってから中学に入学したのだが、嬉しいばかりで何も困ったことはなかった。隠し子だの何だのと後ろ指を指される事はあったけど、ガキの頃から修羅場をくぐり抜けてきたこの俺がそこら辺のガキに負けるわけがなく、一ヶ月経ったときには事実上、この中学の番長になっていた。

 男は半分くらいが漁師になると言って、勉強は出来ないが腕っ節が強いのが多いのも俺は過ごしやすかった。2年も船に乗っていたと言うことも鼻が高かった。
 じいさんとばあさんは本当の孫だと思って実に優しかった。それまでの不幸の量で、今の幸福の量を決めているみたいに、俺は幸せだった。

 しかしその幸せの絶頂からいきなり奈落の底へ放り込まれた。
 太洋丸が遭難したのだ。

 船長が出航してから2年近く経っていた。200カイリ問題で思うところで操業が出来ず、漁場を求めて点々としていると言うことは、近所の無線を持ってる奴から聞いていた。たまには話しもさせてくれた。
 だからいくらでも俺は待てたのに。こんな幸せを与えてくれて、船長は帰ってこないと言うのだろうか。

 無線はいくら呼びかけても虚しく雑音が聞こえるだけだった。定期的に連絡があった漁連にも、アイルランド沖での通信を最後に音沙汰がない。
 俺は休みの度に自転車を走らせて港まで行った。
 太洋丸が帰ってないか、確かめに行ったのだ。

 連絡が取れなくなってから2ヶ月が過ぎていた。もし通信手段がなくなっただけでももう帰ってこなくてはおかしかった。
 町全体で諦めの雰囲気が漂っていた。
 じいさんもばあさんも諦めていた。

「洋平は分かってたんかの。だから洋一を連れてきてくれたんだ」

 はえ縄漁は危険な漁だ。遭難、行方不明は当たり前だった。漁師なら覚悟を決めて海に入る、とみんなが思ってるので他の人たちよりも諦めるのが早かったのかもしれない。いや、そうしなきゃいけないと思っていたのかもしれない。
 でも俺は嫌だった。諦めてたまるか。他の船に乗って太洋丸が最後に漁場にしていたアイルランド沖へ行く計画を立てていた。
 どうすれば他の船長をたらし込めるか、そんなことを考えて、悲しむことを必死で拒否していた。

 俺はこの幸せな生活を手放したって船長に戻ってきて欲しかった。
 船長がいなくなる‥その恐ろしい事実が俺の本音を引きずり出す。
 俺は船長に肉親の情を求めていたのではなく、一人の男として惚れていた。この胸が締め付けられるような思いは初めから変わってない。最初っから船長に惚れていたのだ。

 初めは抱かれることで安心していた。少なくとも身体は求めてもらえるのだから。
 家族にしてもらってからは、ここまでしてもらったから、本当に息子でいいと思っていた。もう二度と抱かれなくてもそばにいられればいいと思っていた。


 でも、でも違う。本当は抱き締めて欲しかった。あの太い腕で抱いて欲しかった。

 封印した本音が出てきてからは、俺は船長の腕と身体を思い浮かべてはオナニーをした。どうしても帰ってきてくれなきゃ俺のこの身体は収まりそうもなかった。
 心の隙間を身体の快楽で埋めようと思ったのに、それすら物足りなさを感じただけだった。

 抱いて欲しいと思いつめると、また嫌な事に気が付いてしまう。船の上だったから抱いてくれただけで、今度帰ってきたら女の人と結婚するかもしれない。そしたらその人は俺にとっては母になり、息子の俺を抱くなんて事は絶対無いだろう。
 しかも俺は抱きやすい子供ではなくなってしまった。今の俺は船長と同じくらいの背丈があるのだ。

 それにみんなに抱かせるために俺はいたのだ。俺のことを少しでも好きならそんなことは出来ないはず。今頃そんな結論まで出てしまう。


 10月に入り、ほぼ遭難は確実になった。


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