ノーマルなガキを落とすには 前編

『あいちゃ〜ん、迎えに来てー』
 健一から掛かってくる電話はいつもながらに唐突だ。
「何? 今どこにいるんだ?」
『えへへ、新宿』
「ああ、分かった。新宿だ‥な‥って、新宿って東京か! 東京の新宿か?!」
『決まってるじゃん、新宿って東京に。だいたいそっちの新宿に俺が行くような所、ないでしょう?』

 っっっっ!
 まったく、あいつはうかうかとどこへ行ってるんだ。そんなの分かってるから聞いたんだろうが。
 実は地元にも新宿と言う地名はある。だが何があるわけでもなし、かなり狭い範囲の住所としてしか通用しない所だ。
 都心へ入ってから動けるかどうか。今からなら高速を使ったって2時間は掛かる。それなのに帰る寸前になってようやく連絡してくるってどういう事だ。事前に連れて行って、と言えば遊んでこれるだろうが。ほんっとにあいつは俺のことをお抱え運転手だと思ってるんじゃないだろうな。

「お前、俺に迎えに来いと言うからには分かってるだろうな」
『わっ、分かってるよ。あいちゃんってエッチなんだから』

 ふん、分かってるなら多少の面倒はしょうがない。
 一日しかない休みをのんびりしていた俺は、適当に着替え、車に乗り込み、エンジンを掛けた。
 午後2時、今からなら向こうへ着くのは4時過ぎ、帰ってくる頃は7時くらいだろうか。まあ、暇にしてたからな。丁度いい暇つぶしにはなる。何と言っても健一に振られたからこうして家にいたんだし。

 何故健一が突拍子もなく東京なんぞへ行っているかと言えばだな。あいつは女優の「染井由美子」の大ファンで気が狂ってると思うほど入れ込んでやがるからだ。
 高校生のくせに、20代後半の女優になんぞ入れ込むのはちと妙な感じなんだが、アイドルには目もくれず、通称「ソメイユ」に惚れている。20代後半とは言ってもソメイユはもの凄い童顔で、実年齢には絶対見えない。身長も低く、小顔にクリッとした目が堪らんらしい。まあ、分からんではない。かなりマブだと思うから。おまけにあの身長には違反だろう、と思うくらいの巨乳の持ち主で、童顔とのギャップがこれまたおっさん達に受けていた。
 ソメイユの人気は並のアイドルを遙かに凌ぎ、写真集を出せばアイドル、グラドルを押し退けてその年の販売ランキング1位を取る。音楽業界で言うところのプロモーションDVDを出せばそのジャンルでは誰も太刀打ち出来ないほどの売り上げをあげる。
 つまりは金も資金も贅潤にある中年男性が大量に支持しているので、稼ぐ金は所属する大手プロダクションでもトップ。自然と一番いい仕事が回ってくることになり、相乗効果で敵う者はいない状態だった。
 そして健一は昔からの筋金入りソメイユファンの親父さんの元、しっかり教育されて育ってきた訳である。

 ったく、あの頑固親父。自分の趣味を息子にまで押しつけんなよ。んなことしてる暇があったら、女房を構ってやれ。なので当然の報いと言えばいいのか、健一の母親は娘‥つまりは健一の妹を連れて実家へ帰ってしまっている。健一は親父が頑として譲らなかったので連れて帰れなかったのだが、その親父に内緒で時折様子を窺いにくる。親父は足を洗って、健一のことも健康な精神状態を育んでやって、女房に帰ってきてもらえばいいんだが、なにやら意地になってしまって、養育費を払ってる次第だ。

 そんな状態なので健一は割のいいバイトを探し、辿り着いたのが俺んとこって訳だ。俺は道路工事専門の土方(どかた)で、所属する組は大きい方だ。バイトも大量に雇うが、俺みたいな専門の土方も数が多い。だから仕事量も半端なく多く、組員は県内外を転々としていて一つ所にとどまってない。
 それが今は高速道路の工事で、珍しく同じ場所に1年以上いる。そこへ健一が来たんだが、必死で働く奴が可愛くて、メシを奢ったりしてるうちに、俺のアパートに入り浸るようになり、こんな風に我が侭言いたい放題言われるようになっちまった。
 最初が夏休みだったのも拙かったよな。帰るのが面倒臭いと言ってたんで、一泊させたのが間違いだったのか、それとも広い意味では正解だったのか。ハッキリと答えは出ないが、グチャグチャと細かいことを悩むようにはできてねぇからな。まあ、いいかと思っちまう。

 昨日もてっきり来るもんだと思っていたら、奴は顔も出さず。どうかしたのか少しは気になっていたが、なんせ肉体労働。身体も休めないと持たない。
 しかし昨日から東京へ向かっていたとはビックリさせる。きっと封切り映画の舞台挨拶か、写真集の販売サイン会か、どっちかの理由で行きやがったんだろう。
 ソメイユの出てる映画は10回は見るし、DVDも全て買う。映画なら一本で済むが、ドラマともなれば金額はかさむ。写真集は2冊は買うし、彼女の載っている雑誌も全て買う。
 超が付く売れっ子なので手に入れなきゃいけない物が途絶えることがない。親父は養育費として給料の半分は出て行ってる状態で協力は余り期待できない。むしろ健一が買ってくるのを期待してるくらいでどうしようもねえ。当然ながらバイト代は全て消え、どれだけ必死で働いてもいつでも金欠状態だ。東京まで電車などで行くとなると金がかかるから、自転車で出掛ける。丸一日を費やして、そんなところまで出向くのだ。

 ったく‥。ちょいと上手いこと言えばもっと楽して行けるのに。見境がなく行き当たりばったりなあいつには、俺を上手く利用することが出来ない。ったく、どうしようもないバカ野郎だな。
 けどこうしてうかうかと言われたとおり迎えに行く俺はもっとバカなのは明白だな。
 多少の溜息を付きつつも高速を通り、地図を眺めつつ新宿を目指す。契約してある携帯のGPSを作動させ、あいつの居所を特定する。
 多少は動いていたようだが、4時近くなったら止まった。俺が着く頃だと考えたのか。
 ゆっくりと車を走らせていると歩道に健一を発見した。路駐が出来るところを探したのだろう。すぐに車を停め、降りた。

「おい、このバカたれ。俺をなんだと思ってる?」
「おー、あいちゃん。待ってたよ。もうケツが切れそうで愛車に乗れない」
「だから、なんで行くときに甘えない?」
「だって疲れてたみたいだったし。帰ってこれると思ってたし。ごめん」
 ごめんなんて全然思ってないだろう屈託のない笑顔で、残念ながらこっちが絆される。おまけに健一は結構男前で俺のストライクどんぴしゃ。
「ったく‥、こっちは休日だってのに。なんでこんなところまで」
「いいじゃん、その分好き勝手するくせに」
「まあな、と言いたい所だが、当然だろ」
「えへへ」
「きちんと感謝しやがらねぇと車内に入れてやらんぞ」
 え〜っ、とブーたれる健一を無視し、荷台に自転車を乗せる。そう、迎えに来るのに乗ってきたのは2トントラック。平ボディのよくある青いやつだ。俺はマークXに乗ってるんだが、自転車を積んで高速は走れない。

 どうやら感謝の気持ちを持つことのない健一も担ぎ上げ、荷台に乗せようとした。
「わー、待った待った。ほんと感謝してますって。感謝感激雨あられ」
 荷台の縁に腰掛けさせるようにして脇を支えていたのだが、健一が暴れるのでバランスが狂う。
「わっ、ちょっと、マジで!?」
 そう健一が叫んだ時には荷台の中へ倒れていた。
 しかしその時、健一の足が丁度俺の顎にヒットする。
「‥ぃって‥。おのれは何さらすんじゃ、ボケッ!」
 余りのアゴの痛さに本性が剥き出しになる。わざとじゃないのは分かっているが我慢できない。荷台をガンっと叩き、健一を睨み付けた。
「ああ〜? そっちが俺を落としたんだろうが! なにインネンつけてんだよ」
 ガバッと起き上がってきた健一は俺のタンカをあっさりと受け止める。そして荷台の上から俺の胸ぐらを掴んだ。
 う〜ん、ケンカっぱやいのはどっちもだが、マジで路上で俺みたいなのとケンカになったら大変なことになると分からないのは若さ故か。

 土方の俺は筋骨隆々と言って間違いない。身長も180の後半あるし、外の仕事ばかりで真っ黒に日焼けしてる。髪も染めてんのか日に焼けたからだか、よく分からない程茶色になっている。顔も厳ついし、無精ヒゲは生やしてるし、どう見てもヤバそうな外見。もちろん、外見だけじゃなく、ケンカなんてしたらマジで激ヤバだ。
 さすがに30を超え、真ん中まできたらケンカする回数も減ったがな。
 健一も身長は170の後半はあるし、バイトを始めてから筋肉が付いた。体重は60キロは当然超えてるだろう。俺は80は超えてると思うんだが、部屋に体重計がないので正確な数値はよく分からない。だが詳細を比べるまでもなく、俺とは一回り違うのは見ただけで分かる。敵うはずがないのに向かってくるのはただの阿呆だ。
 普段見下ろされることがない健一に、荷台の上から見下ろされるとむかつきが収まらねえ。
「降りて来い。この生意気なクソガキ。思い知らせてやる」
 蹴られたアゴを撫でつつ、健一を手招きする。
「おー、いいんだな。逢生(ほうせい)が降りて来いって言ったんだからな」

 俺の名前は本当は逢生。「逢」の字を「逢いたい」の読みで読んで健一は「あいちゃん」と勝手に呼び名を付けた。ちゃん付けで呼ばれるような見てくれでも年齢でもないんだが、甘える時に都合がいいらしいので好きにさせている。
 そしてこの愛称が消えた時はマジで怒ってるという証拠なのだ。

 17歳の健一よりも18も上。つまりはあいつが生きてきた年数よりも差の方が大きい。それくらいに年上なんだから、こっちが折れるのがスジなんだろうが、こんな遠くまでわざわざ迎えに来てやった俺にこの態度。もうちょっと言いようがあるだろうが。
 どうにも腹立ちが収まらないので、トラックから少し離れ、幅のある歩道でついつい身構える。戦闘態勢を崩さない俺を見て、健一は荷台のヘリに立つ。よりいっそうの高さから俺を睨み、そして跳んだ!

 跳んだ!? マジかよ!

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