もらってほしい‥もの 1

「あっ、くそッ、惜っしぃ〜〜」
 先輩は天を仰いだ。
「よっしゃ。もう一回」
「ねぇ、先輩。まだやるの?」
「取れるまでやる」
 珍しい。先輩がこんな無駄遣いをするなんて。そんなに欲しい物なんだろうか。
「もういい加減に諦めたら? 俺飽きちゃったよ」
「もうちょっと」
「まだやるんなら帰っちゃうからね」
「まっ待て。頼む。あと一回だけ」
「仕方ないなぁ。それでラストだよ。それ以上やるならマジで帰るからね」
 どうも甘い気がするが、諦める。だって先輩ってば可愛いんだもん。なにこんな物にムキになってるんだろう。

「やったーっ! 剣(つるぎ)、とうとう取ったぞ」

 この姿を剣道部の奴が見たら泣くぞ。ほんとに。『泣く子も黙る、鬼主将。工藤義己(よしみ)』と言われ恐れられてるのに。

 10回はチャレンジしただろうユーフォーキャッチャーで、とうとう先輩は目的の物をゲットした。ピンクのぬいぐるみを抱えてほんと嬉しそうにする。

 にっ似合わない〜。似合わないけどなんか可愛い。

 工藤先輩は183センチの身長で、顔もいかつい系。でも渋くていい男なのだ。この男らしさに惚れ込んで慕ってる後輩は多い。

 やっぱ‥見たら泣くな。

 回りにいた女の人もおかしそうに笑ってる。

「よしみちゃん。自分の見てくれ、理解してる?」
「おっおい、剣。だからその呼び方は止めてくれって」
 字だけ見ればそうでもないが、声に出すと女の子の名前みたいで先輩は名前で呼ばれるのが嫌いである。
 でもよしみちゃんと言われるのと、今公衆の面前でデカイ図体でぬいぐるみを抱かえて嬉しそうにしているのとどっちが恥ずかしいって言うんだろう。

 するとそのぬいぐるみを俺に渡そうとする。
「なに?」
「だからこれお前にやる」
 はぁっ? 一体なに考えてんの。でも俺が持つとさっき笑ってた女の人が、可愛いっと聞こえるように言う。

 無性に腹が立った。散々待たせたあげく、すんごいガキ扱い。
「んだよこんなのー。いらないよ」
 そのピンクのぬいぐるみを突き返した。

「えっ、あ、ああっ、そうか‥。そうだな。悪かった‥」
 あまりに先輩を落ち込ませてしまって少し胸が痛んだ。
「もう‥、仕方ないからもらっといてあげるよ」
 サッと奪うように取ると、素早くカバンにしまい込んだ。

 途端に先輩は笑顔になる。っんとに単純なんだから。でもそれでつられて幸せな気分になっちゃう俺もまだまだ相当甘いな。


「早く帰ろうよ。随分時間経っちゃった」
「俺はやっぱ我慢しなきゃならないのか」
 どうも先輩は気乗りがしないようだ。そりゃそうかな。こう宣言されてるんだから。

『やりたくないときは俺を部屋に入れるな。我慢が出来ない』

 ってね。だけど惚れてるんなら出来ぬ我慢もしてもらおうって思うよね。自分の欲求を抑えて相手のことを考えられてこそ本当の愛情だと思うだろ。
 だから今日それを確かめてやろうと思ってさ。先輩に大人しく怒られてやったのと引き替えに条件を出したんだ。
『部屋に来ても手を出さないこと』って。
 それは部活の最中だった。


 俺たち1年は正座をして2年、3年の練習を見ていた。退屈して我慢が出来なくなった頃、誰かが誰かをくすぐった。アッと言う間にそれは伝染し、末尾に来たときには立ち上がってケンカになっていた。
 まあまあ、と宥めた俺も含めた3人が立っていた。そこへ工藤先輩がやってきたのだ。

 バシーン!

 竹刀を床に叩きつける。
「そこ! 何してる。校庭10周」
 鬼の主将に怒られた2人は速攻で外へ飛び出した。
「俺もっスか?」
「口答えするな。5周追加」
 声は怒っているが、目は謝っている。

 そう、俺のことを見ていた先輩は、俺は悪くないことを知っている。いや、仮に連帯責任だったにしても先輩は俺にそんなことを言える立場じゃないのだ。
「仕方ないなぁ」
 俺も外へ出てグランドを走る。先に走ってる2人は10周を終えて武道場に帰った。俺はまだ8周。けっこうへばっていた。

「伊元! ちょっと来い」
 走ってる俺は鬼主将に呼ばれる。そのまま武道場の裏に連れて行かれた。

「ねぇ、先輩」
 俺の呼びかけに先輩は苦笑いを浮かべ頭を下げる。
「すっすまん」
「言ったよね。大事にするからって。嘘だったの?」
「だっだから謝ってるだろう。俺の立場も考えてくれよ。お前だけひいきするわけにいかないだろうが」
 先輩は焦って一生懸命言い訳をする。
「だから剣道部なんて入りたくなかったのに」
「だけど一緒にいられないだろう」

 先輩はスポーツ特待生でこの高校に来ていて、剣道部を辞めるわけにはいかない。それどころか色々な大会で勝つことを使命とされている。なんせうちはインハイ常勝校なのだから。剣道の手を抜くことは出来ない。
 それにプラスして、特待生の立場は学業もこなしてないといけない。学年50番から落ちることは許されていない。学費免除という特典が無くなってしまうのだ。


 先輩と俺はいわゆる母子家庭で父親が居ない。俺のところは交通事故で死んだため賠償金や保険金が入ってきて父親が生きている頃より金はあった。
 その代わり愛する者を失った悲しみを埋めるように、美人な母親は男を求めるようになった。家庭というものは崩壊していた。

 先輩のところは大病を患ったあげく亡くなったので、その間の借金などがまだ残っていて、母親は身を粉にして働いていた。しかし俺の家と違ってがっちりとした固い絆が家族にはあった。
 先輩は少しでも家計を浮かそうと学費免除の特待生になったのである。推薦の決まってる先輩は、大学へも奨学金で行けれるのだ。

 先輩と知り合ったきっかけもそこらへんのことだった。
 ちょうどクラスに俺の母親に魂を抜かれた親父の息子が居たのだ。確かに男癖は悪い。だけど関係を持った時点で罪は同等にあるだろう。
 そして俺は美人な母親と割といい男だった父親の、いいところばかりを取ってきた顔だった。背は高くないのだが、そのためやたらと女の子には人気があり、ひがんだそいつはことあるごとに母親のことまで引っ張り出して絡んできていた。
 入学してから2ヶ月ほど経ったある日、昇降口で3年のお姉さんから調理実習で作ったというお菓子をもらった。それを見ていたそいつはすぐと絡んできた。ちょうどその時先輩が通ったのだ。
 いい加減、うっぷんが堪っていた俺は「助けて」光線を発信した。女の子になら通用するこの顔が男に通じるかどうかは疑問であったが、先輩はあっさりと引っ掛かり、今後一切そいつが手出しできないようにしてくれたのである。なんせ工藤先輩は恐い。
 父親がいない、母子家庭を馬鹿にされた俺の痛みは先輩の痛みだったのだ。それから何かとかまってくるようになり、夏休みのインハイに優勝したら付き合って欲しいと言われたのだ。
 まさか優勝なんてするわけないと思っていた俺は、断るのも面倒だったのであっさり約束を交わし、先輩を大将に据えたうちの学校は破竹の勢いで優勝してしまったのである。
 あとで知ったのだ。うちの剣道部はメッチャ強いってことを。

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