玉より愛して11

 暫くするとようやく自分の状況に気が付いた。

 ここは‥、どう見ても病室で病院だった。

 そうだ、腹にナイフが刺さったんだった。
 布団を剥ぎ水色の手術着の前を開いてみると目に入ったのは、包帯よりもこんな所で勃ち上がっている自分のモノだった。

 うわっ、慌ててそれを隠す。
 しかし今にも発射しんばかりになってるそれは一回出した後とは思えなかった。

 もしかしてあれは夢?

 ‥もしかしなくてもどうやらそうらしい‥。

 良かった〜。しかし夢に見るほど俺は徹さんのことを穢したいらしい。
 最低な俺はこの心の中にしっかりと居るのだ。このまま徹さんのそばにいたら何をしでかすか分からなかった。自分で自分を制御する自信はなかった。
 先ほどの生々しいまでの夢がそれを証明していた。

 やっぱり徹さんから離れるしかない。

 ‥‥‥。

 気分は落ち込んでしまったが、取り敢えずこの現状をどうにかせねば。あのリアルな夢を頭から追い出すことが出来ず、一度処理しないと収まりそうもなかった。
 ここで抜くか? ベッドの周りはカーテンが引いてあったが、部屋がどうなっているのか分からない。人の気配はなさそうであったが。
 そうなるとトイレか? しかしこの寸足らずの服とも呼べないもので、下着も無しに出歩かなきゃならない。前が丸分かりだぞ。

 考えていても仕方がない。看護婦さんなんかが来たら言い訳のしようがなくなってしまう。早く、なんとかしなくては。
 俺はとにかくベッドから出てみた。カーテンを開けるとここは2人部屋だった。そして隣にも誰か寝ていた。

 短めのカーテンからはベッドより下が見える。
 あれっ? この靴は‥。
「とっ徹さん?」
 安全靴を見て慌てた。徹さんの怪我も大変なことになっていたのだろうか。

 カーテンを乱暴に開けるとそこには俺の天使が、服のままでスヤスヤと寝息を立てていた。俺が抱き締めたために付いた血が褐色になっている作業着の上が、足下に置いてあった。あのままここに来てそのまま寝てしまったようだ。

 俺は寝顔を見て可笑しくなった。
 何を馬鹿なことを思っていたのだろうか。

 実物を目の前にしたら全ての煩悩は抹消されてしまったのだ。そう、あっさりと。
 一体誰がこの人を穢すことが出来るというのだろうか。

 結局あの伊賀だって徹さんを傷つけることが出来なかった。
 伊賀は徹さんが暴れた拍子に付けてしまった傷ですら、本当は付けたくなかったのだ。だからそれに臆してナイフを引いていたのだ。そしてそのナイフに向かってきた俺をそのまま受け止めてしまったのだ。そう、俺は自分から刺されに行ったのだった。

 あの人は本当は何がしたかったのだろうか。ただ徹さんと話しがしたかっただけなのかもしれない。
 今ではそんなふうにすら思える。あの殺気と勘違いしてしまった気配は、自分を追いつめていただけだったのだろうか。

 その傷は首にガーゼが止めてあり、隠されていた。

 俺はあなたを守れませんでした。

 こんな傷を付けてしまっては、用心棒にもボディーガードにもなれませんね。おまけに最後は俺の方が助けてもらって。徹さんの蹴りで全てケリが付いたんですよね。
 結局俺は居なくてもよかったんですね。いや、居ない方がよかったんですよね。だって伊賀は徹さんが言っていたとおり、きっと何も出来なかったのだから。

 俺は拳を強く握りしめ、徹さんの顔をしっかりと見て目に焼き付けるときびすを返した。


 ベッドのそばには小さいロッカーが付いており、戸を開けてみるとちゃんと俺の私服が入っていた。財布も車のキーもある。徹さんが持ってきてくれたのだろうか。
 徹さん、ありがとうございます。

 俺は固く決心をして服を着替えた。腹は痛み止めが効いているのか全然痛くない。
 そして俺はまた逃げだそうとしたのだった。

 ドアに手を掛けたちょうどそのとき、
「トシ‥」
 徹さんの俺を呼ぶ声が聞こえた。
 きっ気が付かれた? 
「なっなんですか?」
 慌ててそばに戻り顔を見ると、まだ徹さんは寝ていた。

 なんだ‥寝言か。
 でも俺の夢を見ているのだろうか。ひどく気に掛かる。ついもう少し何か言わないかと待ってしまった。
「‥シ‥の‥バカ」
 もう一度俺の名前が出たかと思ったら、またバカと言われてしまった。夢の中でまで徹さんは俺に怒っている。その証拠に顔が穏やかでなくなっていた。
 なんとかして元の寝顔に戻したくて頬をちょんと触った。ピクッとはしたが表情はけわしいままだ。

 俺は徹さんの顔の左側に左手を付いて小さな声で囁いた。
「徹さん。歳三です」
 前にキスしようとしたときと同じように、またしても徹さんは突然バチッと目を開いた。ビシッと視線が合うとどうも心臓に良くない。

「お前怪我は?」
「だっ大丈夫です」
「そっか‥良かっ‥た」
 徹さんはものすごく優しく微笑むとまた前と同じように寝てしまった。今回も起きてないのだろうか。
 でも俺の怪我を心配してくれてたのか、今の寝顔はすっかり緊張がなくなっていた。

 ああ、やっぱり可愛い。
 男に可愛いというのは不適切かもしれないが、徹さんは本当に纏ってる雰囲気から容姿から全てが可愛いのである。女の可愛いらしさとは違う。男の可愛さというか、少年らしさがあるというのか。年下の俺が言うのもおかしいかもしれないけど。

 俺は誰にも見つからずに抜け出すという当初に決意したことを少し鈍らせた。

 もう少し、時間を下さい。

 付いてた左手に加えて、右手も顔の反対側に付いた。徹さんの顔の真上に自分の顔を持ってくる。
 最後にこれだけ‥。お願いします。

 心で勝手に呟いてから徹さんの顔に自分の顔を寄せる。

 コツコツコツ‥。ガチャ。

 あっ、あと10秒。いや、あと5秒でいいから待ってほしかった‥。

 唇までの距離、約3センチ。

 もうほんのちょっとだったのに〜。足音が聞こえてきて通り過ぎるのを願ったのに、ちょうどドアの前で止まった。そしてノブを開ける音が聞こえた。
 それと同時に俺は屈んでいた体を引き起こす。入ってきたのは看護婦さんだった。

 俺を見て徹さんの見舞客だと思ったのだろうか。
「あっ、大丈夫ですよ。その人はこちらにいる人の付き添いで来てたんですけど、ちょっと興奮気味で。輸血もしてもらったし、過労で倒れる前に睡眠薬を飲んでもらって寝かせただけですから」
 俺に説明しながら俺が寝ていたはずのベッドを覗いた。

「いっ居ない。あなた、ここの人がどこへ行ったかご存じないですかっ」
「えっ、あの」
 看護婦さんは俺の脱いだ手術着を手に取る。
「お腹を刺されて全治1ヶ月の重傷なんですよ。立ち上がったりしたら傷口が開いて大変なことに。2メートルはあろうかって言う大きな人‥」
 ドアまで話しながら急いでいって、それからそこで俺を見た。

「もっ、もっ、‥もしかして。土方さんですかっ?」
 返事をするしかなかった。
「はっはい」
 その場しのぎに愛想笑いをしてみる。
「なっ何してんですか〜〜!!」
 でもダメだった。看護婦さんは思いっきり怒鳴った。
 そしてそのあとたっぷりと怒られてしまったのだった。

 抜け出すどころか服もひっぺがされてまた手術着を着せられる。ベッドに横になるまで看護婦さんはずっと小言を言い続けた。
「いいですか。二度と勝手に立ち上がったりしないで下さいよ。あなたは出血多量で危なかったんですからね。1週間は絶対安静!」
「トイレは?」
「これにして下さい」
 そう言って尿瓶を出された。これじゃあ変なモノは出せませんね。
「すぐに先生が来ますから、頼むから大人しく寝ていて下さいね」

 ふうっ。なんだかため息が出てベッドに身を沈めた。さっきの決意はあっさりと打ち砕かれてしまった。それに、看護婦さんのあまりの勢いに押されて考えられなかったのだが、どうやら俺は徹さんに血を貰ったらしい。

 看護婦さんは先生を連れてすぐに戻ってきた。俺の傷は深かったものの出血が酷かっただけで、重要な臓器に傷が付いておらず、無事だったらしい。さっきは1ヶ月とか言っていたが、割と早くに退院できるかもしれないということだった。

「あっ、あなた目が覚めたんですか。お待ちかねの人が起きてますよ」
 そう言って看護婦さんと先生は出ていった。

「トシ、お前起きたのか」
 徹さんは裸足のままで俺のそばに走ってきた。
「お前丸々1日寝てたんだぞ。すっげぇ心配してたらどうも熟睡してるみたいだって先生が言うし。そしたらお前新台入れ替えして、その次の日は俺に一晩中付き合ってくれてたんだな。ほんとになんでそんなにバカなんだよ。お前ってば」
 言葉はきついが徹さんの顔はとても優しくて。それが今の俺にはとても辛くて。

「俺は徹さんのなんの役にも立てませんでした。徹さんの言うとおり、本当にバカなんですよね。怪我が治ったら店も止めます。もう徹さんに迷惑掛けませんから」
「バカ野郎!」
 そっそんな大きな声で怒鳴らなくても充分バカだと言うことは身に染みてます。

「お前、俺のボディーガードなんだろう? 俺になんかあったら生きていくのが辛いんだろう? だから何もないようにずっと見張ってろよ」
 とっ徹さん?
「トシ、お前、俺のことが好きなんだろう? いいんだぞ。そばにいて」

「えっ‥俺、俺‥徹さんのそばに、居て‥いい‥んで‥す‥か」
 よく、理解できなくて言葉が震える。

「ああ、でもこんな思いは二度とさせてくれるなよ。これからは身体張ってじゃなくて二人ともが無事な方法を考えようぜ」
 ニッコリとする徹さん。やっぱりあなたは凄い人です。どこまで行っても前向きで。

「徹さん、俺‥嬉しい‥で‥す」
 そこまで言ったらもうダメだった。涙が溢れてきて。今度は悲しい涙じゃなくて喜びの涙が。


「バカだな。泣かなくてもいいのに」
 恥ずかしくて目を隠した両の手の平から漏れる光が暗くなったと思ったら‥。唇に暖かいものを感じた。
 えっ?
 手をどけてみると徹さんの顔がすぐそばに。

「俺‥、よく分からなかったッス」
 そう言うと徹さんはちょっと苦笑してもう一度顔を寄せた。

 唇までの距離。測定不能。


 俺は感動して徹さんの頭をかき抱き、何度も角度を変え、舌を絡め、吸い取り、音を立てて貪った。

天使をこの手に
 日向遼様作
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 俺の天使は白い羽根を燦然と輝かせ、俺に寄り添ってくれた。

「俺は、俺はもういつ死んでもいいです」
「バカだな、トシは。大袈裟だって。それにこれから2人で楽しく過ごしたいとか思わないのか?」
 ああっ、幸せ過ぎる。こんなことがあってもいいんでしょうか。こんなに幸せになってしまったら後は落ちるしかないかもしれない。でもこのいっときがあれば俺はずっとやっていける。

「この一瞬で俺の一生分の幸せの全てを使い切ったようです」
「大丈夫。お前が使い切ったのなら、俺のをやるよ。俺はまだまだいっぱいあるからな」
 徹さんは子供に対するみたいに微笑むと、
「トシって図体デカイくせに可愛いから好きだよ」
 そう言った。

「徹さんは俺の天使です!」
 俺がそう叫ぶようにして言うと徹さんは爆笑してくれた。

「お前、絶対いいよ。離したくない。そばにいろよ。な?」
「はっ、はいっ」
 徹さんはまたニッコリとした。

 頭がぼうっとしていた俺はもう何も考えられなかった。
 ただただ、幸せを噛みしめて‥。

 こうして俺は、無謀にも天使を手に入れたのだった。


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