「乙女の肖像」事件 −5−
美術館は今日が乙女の肖像の公開最終日とあってか、思ったよりも多くの人で賑わっていた。
大勢の人が乙女の肖像の前で立ち止まり、感嘆の息を漏らしている。
小林少年もそのうちの一人だった。
写真などで見るのよりもやはり直に見るほうが、絵というのはその素晴らしさが分かる。
乙女の肖像も、もちろんそうだった。
(はぁ〜、すごいな・・・。来てよかった・・・。)
美術館を一周し、この画家の全ての作品を一通り見たが、やはりこの乙女の肖像が一番素晴らしいように思った。
最後にもう一回と、また来た道を戻りこうして乙女の肖像の前に立っていると言うわけだ。
(こんなに綺麗なんだもん、そりゃバロンも欲しがるよね・・・。)
ふと、そう考えてはっとする。
(そういえば今何時だろう・・・?)
壁に掛けられている時計を見上げるともう9時55分だった。
「わあ、もうこんな時間!?あれ・・・。でも美術館て9時までじゃなかったっけ?」
「今日は最終日だから特別に10時までなんだよ。」
「へぇ・・・。って、え・・・?」
うっかり漏らした独り言に返事が返ってきて驚いた。
振り返ると明智刑事がにこやかに立っている。
「もうそろそろ閉館の時間だよ。それに・・・。」
小林少年の耳元にそっと口を寄せ、
「そろそろバロンも来るね。」
そうだった。
犯行予告時刻は午後10時。あと五分後だ。
「小林君ももう帰った方がいい。ほら、もう他の人たちもほとんど帰ってしまったよ。」
言われて辺りを見回すと、さっきまでいたはずの人たちがほとんどいなくなっていた。
どうやら絵に夢中になっている間に、皆帰ってしまったらしい。
かわりに、警察と思われる人たちが何人か周りにいた。
この間、取調室にいたあの熊と狐も視界に入った。
「ここからは私たちの仕事だからね。危険だから急いで帰りなさい。」
そう言われて、小林少年も頷き、出口へ向かおうとした。
ばちんっ
大きな音が響いたかと思うと、部屋の照明が全て消え、辺りが暗闇に包まれた。
「くそっ、バロンか!?」
周りにいた誰かがそう叫ぶ。
「慌てるな!!熊井、ブレーカーを見て来い。稲荷は懐中電灯で乙女の肖像を照らせ。他は持ち場から動くな!!」
明智刑事の声に誰かが駆け出し、それと同時に乙女の肖像が照らされる。
「よし、まだ取られてないな」
その声に小林少年も暗闇の中頷きほっとした。
(でも、僕はどうしたらいいんだろう・・・。)
このまま出口に向かうには暗すぎる。かといってここに留まると邪魔になりそうだ。
だが、そんな小林少年に気がついたのかすぐ近くで明智刑事の声がした。
「小林君はそのまま動かないで。」
「はい。」
そう答えた直後。
「うっ」
と誰かがうめいたかと思うと、乙女の肖像を照らしていた唯一の灯かりが消えてしまった。
「稲荷、どうした!?」
明智刑事が叫ぶが返事はない。
「くそっ、バロン!!そこにいるんだろう!?」
もちろん返事はない・・・。
(バロンがいるの・・・!?)
どうする事も出来ず立ち尽くす小林少年の口を、突然大きな手がふさいだ。
「静かに・・・。」
耳元でそう囁かれたときにはすでに抱きかかえられ、小林少年はその部屋から連れ出されていた。
ばちんっ
消えた時と同じ音がして、部屋の照明が一斉につく。
そこにはバロンの姿はなく、乙女の肖像を見るとまだそれはそこにあった。
「刑事さん!!」
美術館の館長が慌てて明智刑事に駆け寄ってきた。
「乙女の肖像は・・・!?」
「あそこにまだあるようですが・・・。」
乙女の肖像を指差しながら、明智刑事は確信した。
(あれはきっと偽物だろう・・・。バロンがしくじるはずがない・・・。)
「に、偽物になってる!!」
乙女の肖像の無事を喜んだのもつかの間、偽者であることに気付いた館長が悲鳴を上げた。
(やはり・・・。)
「くそっ、やられたか・・・・。おい、バロンはまだ近くにいる筈だ。応援を呼んでこの辺をしらみつぶしに探せ!!」
叫んで、自分の後ろにいる筈の少年を振り返った。
「小林君も、今のうちに帰りなさ・・・!?」
最後まで言葉を続けることが出来ずに辺りを見回す。
先ほどまで彼のそばにいた筈の少年がそこから忽然と消えてしまっていた。