完璧な男 −2−
「樹、はやく来いよー!!」
「待って、あっちゃん。」
皆が走り去ってしまっても、敦彦だけはいつでも樹を待ってくれていた。
急いで追いつくと敦彦が太陽みたいに明るく笑う。
「樹はのんびりだからな。」
「ひどい、あっちゃん。」
「ははは。さ、早く行こうぜ」
差し出された手を握り締め、樹も一緒に走り始める。
もう皆の姿は全く見えなくなっていたが樹は別に構わなかった。敦彦が側にいてくれれば、それだけで・・・。
目を覚ますと握っていたはずの手は空っぽだった。
いつの間に寝てしまったのか。昔の夢を見ていたようだ。
あれは小学4年生時だろう。
あの頃は幸せだったと樹は溜息をついた。
4年生になったと同時にこの町に引っ越してきた樹はいつも一人で遊んでいた。
当時から内気で中々友達を作ることが出来なかった樹を誘ってくれるのはいつも敦彦だった。
敦彦がいなかったら、もっと暗い小学校生活を送っていただろう。
人見知りが激しく、気の弱い樹に敦彦はまるで兄のように世話を焼いた。
いつもはすぐには人と打ち解けることが出来ない樹も敦彦には心を開いた。
それからは樹は敦彦にべったりだったし、敦彦も樹から離れなかった。
樹にとって敦彦は全てで、だから樹は敦彦に何一つ隠し事をしなかった。
また敦彦も樹には何だって話してくれていた。
「俺ね、美香ちゃんが好きなんだ」
内緒だぞと言って、そう打ち明けられたのは小学5年の夏休みに入る少し前のことだったと思う。
「樹は?」
「え?」
「樹は好きな子、いないの。」
自分だけが言うのは嫌なのか敦彦は随分しつこく聞いてきたような気がする。
「・・・いないよ。」
「ほんとに?」
「ほんとだよ。」
「そっかぁ。」
好きな子を告白したのが照れくさいのか、敦彦はしきりに「そっかぁ」を言った後、ホントに内緒だぞと笑った。
たぶんあれが初めて敦彦に嘘を吐いた瞬間だろう。
好きな子はいた。
だが敦彦には言えなかった。
その頃には誰が誰を好きだとか、そう言うことをクラスの友達と話すようになっていて、皆の話を聞いてるうちに自分が人とは少し違うことに気付いていた。
樹がその時好きだったのは大吾君だった。
敦彦のように明るくて、でも敦彦より大きくて。
だが、大吾君は男の子で。
(僕は女の子を好きにならないといけないのに・・・。僕が男の子が好きだなんて言ったらあっちゃんも気持ち悪いって言っちゃうかも・・・。)
そう思うと、とても本当のことは言えなかった。
敦彦に自分がゲイであることを打ち明けたのは中学1年の冬だ。
樹が一度も好きな子がいると言ったことがないのを敦彦が問い詰めたからだ。
「本当にいないの?」
その頃は学校でいじめが流行っていて、少し仕草の綺麗な男の子がホモだという噂が立ち、いじめの対象になっていた。
ゲイであることはいじめの対象になるのだと知ってからは一層、自分の性癖は隠さなければいけないと思っていた。
しかし、強く聞かれて、樹は本当のことを言ってみようと思った。
敦彦ならきっと分かってくれると信じることにした。
ゲイであることを打ち明けた樹に敦彦は最初は驚いたが「そうなんだ」と呟いた後はいつも通り笑ってくれた。
「じゃあ、協力するよ」と、その時樹がすきだった男の子が所属しているバスケ部に入ってくれた。
樹は体が弱く、運動部に入れなかったが、敦彦が入ったと同時にマネージャーとして、バスケ部に入れることになった。
その後好きだった男には彼女が出来たことを噂で聞いた。その時も敦彦は側にいて慰めてくれた。
だから、樹はそのままマネージャーを続けることができた。
敦彦は中学に入ってから随分と女の子にもてるようになり、何人か彼女も作っていた。
樹のほうも、彼氏こそは出来ないものの、好きな子はいた。バスケ部の子に失恋した後は、いつも学年で一番の秀才を好きになった。
それでも2人は常に一緒にいた。
しかし、樹は気がつけば敦彦の様子がおかしいことに気付いた。
それまでは毎日のようにどちらかの家に泊まり、同じ布団で一緒に寝ていたのに、いつからか敦彦がそれを嫌がるようになった。
樹が好きな男の子の話をするのもいつもにこにこと笑って聞いてくれていたのに、好きなこの名前を出すだけで怒るようになった。
なにくれと理由をつけて一緒にいることを拒まれ始めた時に初めて、樹は自分の気持ちに気がついた。
大吾君もバスケ部のあの男の子だって、その時好きだった筈の秀才でさえ、敦彦の変わりにはなれないのだと。
いつも敦彦の彼女のことが本当はとても嫌いだった理由。
何時の間にか敦彦のことが好きだった。一緒に居すぎて自覚する暇もなかった。
そうして自覚した瞬間に樹の恋は終わってしまった。
その時の敦彦の彼女に「ホモじゃないんだから、あんまり敦彦にべたべたしないでよ」と言われた時に、敦彦から離れる覚悟を決めた。
敦彦が樹と一緒にいることを嫌がる気持ちの中にゲイである自分への嫌悪があるような気がしたのだ。
だが終わった筈の恋はいつまでも樹の中に残り、樹を苦しめていた。
敦彦は樹が離れた直後のテストから学年トップの成績になり、それは卒業するまで変わらなかった。
敦彦を見ているのがつらくてやめてしまったバスケ部も敦彦がキャプテンになった3年の時、全国に行った。
どんどん素晴らしく成長していく敦彦への想いが、樹にはどうしても捨てることが出来ないでいた。