光と闇と 14
「やっと捕まえた。」
上から見下ろすその赤い瞳に、セトは羽織ったマントを掴み投げ捨てた。
ほぼ全裸状態だが、こんな奴のマントを羽織るくらいなら裸の方がいい!
きっと睨みつけるセトに、アテムは苦笑しながらも投げ捨てられたマントを拾い、
そして再びセトの肩にそっと掛けた。
「何を!」
「羽織っておけ。その成りでどうやってアクナディンの屋敷に戻るつもりだ?」
はっと気が付き己の立場を思い出す。
確かにそうだ…
こんな格好じゃ屋敷どころか、この城から出る事だって出来ない。
それに…もう…神学校に戻る事だって…
マントをぎゅっと握り締めるセトを見て、ようやく理解したかとアテムは小さく微笑んだ。
「まだ授業中だろう。学校に戻れ。」
「……要らぬお世話だ。」
「俺が送っていく。案ずるな。何もしない。」
すっと差し出された手を、瀬人はぱしっと払いのける。
アテムはまたか、と言う表情でセトを見つめていた。
「お前なぁ。今の自分の立場をわきまえろ。」
「……」
「俺と一緒じゃなきゃこの城から…」
「判っている!」
突然の怒鳴り声に、流石のアテムも怒り出す。
「いい加減にしろ!俺が珍しく低姿勢になって我慢してやってるのに!」
「何だったら今この場で無理やりにでも跪かせてやろうか!」
娼婦如きが王子の俺と対等に話すなど!
そう思い、セトの腕を取り引っ張りあげる。
だが、セトは抵抗せずにそのままアテムの腕の中に滑り込んでいった。
予期せぬ出来事に、アテムは一瞬焦り、セトの肩を掴んで思わず自分から引き剥がしてしまった。
そして真正面から見たセトの表情が、暗く落ち込んでいる事を知る。
「セト…?」
「…神学校にはもう戻れない。」
「まぁ、そのナリじゃァな。」
「…違う。もう午後の授業が始まっている。一度でも欠席すれば神官として不適格と見なされてしまう。」
小刻みに震え、足に力が入らないのかセトは崩れるように地面に座り込んでしまった。
両腕で肩を抱き、まるで泣いている様に体が震えている。
一度でも欠席すれば…?
そんな訳ないじゃないか。
「そんな事聞いた事ないぞ。貴族の子供なんてよくずる休みしてるぞ。」
「…俺は貴族ではない。神学校に入る事だってかなり困難だったんだ。」
アクナディンが後見人とはいえ、出所の知れぬスラムの子が、神に仕える者となる。
その抵抗感は激しいものだった。
アクナディンが神官とかなり話し合い、いくつかの条件を飲む事で入学を許されたのだ。
「一日たりとも休まず来る」これが入学を許す条件の一つでもあった。
「仮に間に合ったとしても、今の俺では神殿に入ることすら拒否される。」
身体中を精液で犯され、神官見習いの服も切り刻まれ。
こんなに穢れた者を神が許すはずがない。
「俺は…アクナディン様の信頼を裏切った…もうアクナディン様の所にも戻れない。」
またスラムへ逆戻りだ。力を手に入れる第一歩を踏み出したばかりだったのに。
ポツリと流れ落ちた涙を、アテムには見せない様にマントで拭い取る。
これからどうすれば…このままここを立ち去るべきか…
セトの話を静かに聞いていたアテムは、暫く考え、突然すっと立ち上がった。
「来い、セト。」
「?何を言ってる。またスラムの娼婦に成り下がっても貴様に従うつもりは…」
「いいから来い。俺から離れるな。俺の手を離すな。」
ガシッとセトの腕を掴むと、アテムは有無を言わさずに歩き出す。
一瞬の事で何がなんだかわからなくなったセトは、そのまま城内へと引きずられていった。
「なっ!アテム様!?」
「王子!これは一体!?」
アテムの後に、紫のマントを羽織ったセトが引きずられるように着いて行く。
通り過ぎる人全てが驚きながら振り返る。
セトはその視線が全て自分に向けられているのを感じていた。
「は、離せ!」
「離すなよ。そして何も喋るな。」
「一体何を考えてる!俺はお前に従うつもりは!」
「いいから黙って俺の後に続け。でなければお前は処罰されるぞ。」
「何故!俺は何も!」
「今お前が羽織っているマントの色だ。それが処罰される理由だ。」
紫のマント。
それは王族のみが着用を許されている色だ。
王族でもないセトがそれを着用していたから、人々の視線がセトに向けられていたのだ。
「だがこれはお前が…」
「だから俺の手を離すな。」
俺が側に居れば誰も何も文句は言えない。
だが一度俺から離れれば、お前は王族の衣類を強奪したとみなされ、悪ければその場で処刑される。
理由など聞く機会は与えられない。
「死にたくなければ俺から離れるな。」
いつになく真剣な口調に、セトも反論の言葉を発する事ができなかった。
一体何を考えているのか…
すれ違う人全てを無視し、アテムは神学校のある神殿へと向かう。
入り口で兵士と神官に阻まれるが、アテムの勢いに飲まれ押し通されてしまった。
何故…?奴は神学校へ…?
俺はもう神官見習いには戻れないのに。
それを見せ付け、俺を支配しようとしているのか!
「アテム様、ここは神に仕えし者が学ぶ宮でございます。どうぞお引取りを。」
神学校の教師が深々と頭を下げ、アテムの退出を促す。
だがそれをも無視し、セトをその教官の前に引きずり出した。
「これ…は?」
「俺の玩具で遊んでたら遅くなってしまった。午後の授業はまだ間に合うか?」
その言葉を瞬時に理解したセトは、驚きと怒りでアテムを振り返った。
「貴様!俺を愚弄するためにここまでつれてきたのか!」
掴みかかろうとするセトを教官が押さえ、マントから見え隠れする赤い痣の後を目視した。
「授業に遅れたのは王子のせいだと?」
「そうだ。玩具が素直に動かぬのでな。少々手荒に扱っていたら時間が過ぎてしまったようだ。」
くすくすと笑う声が教室内に響き渡る。
セトが今まで何をされていたのか、みな理解したのだ。
「…このマントは王子のでしょうか?」
「ああ。服は邪魔だから切り裂いて捨てた。流石に神の神殿に全裸はまずいだろ?」
大声で笑う声がセトの耳を突き抜けていく。
一瞬でもこの王子を信じようと思った俺が馬鹿だった。
こんな嘘で俺を落としいれ、屈辱を与え喜ぶ。
下層の者を蔑み、己の地位の高さと優越感を噛み締める。
やはり貴様は人間の屑だ!アテム!
「そうですね。全裸もさる事ながら、穢れた身体のままでは神殿に入る事もままなりません。」
教官の背後から、マハードの父、神官長が静かに近づいてきた。
怒りと屈辱で震えるセトの手をそっと握り、それを諌める様目で合図を送る。
今にも泣き出しそうなセトに優しく微笑みかけると、神官長はアテムにそっと近づいた。
「お戯れが過ぎますぞ、王子。」
「セトが悪い。ちゃんという事を聞いていればすぐに終わった。」
「神官となる者を穢す行為は頂けませぬ。」
「ああ、判った。悪かった。これでよいか。」
まるで悪びれた様子を見せないアテムに、神官長は苦笑しながら小さく頷いた。
「セト、今回の遅刻は王子のお戯れと言う事で特別に許しましょう。」
「神官長様!」
側に控えていた教官が声を荒げる。
この男もセトをあまり良くは思っていない神官の一人でもあった。
何か事を起こせばすぐにでも追い出してやろうと画策していたが、今まさにその好機だったのだ。
「本当に…?俺…私はまたここに戻ってきても良いのですか!」
「ただし二度目はありません。そう心得なさい。」
「はい!ありがとうございます!」
嬉しそうに微笑むセトを、周りの級友、教官が訝しげな顔で見つめていた。
その雰囲気を、アテムは敏感に感じ取っていた。
神官長はセトの肩にそっと触れると、静かに語りかけた。
「今日はもう帰りなさい。不可抗力だったとはいえ、今の君は穢れている。
その身体で神への祈りは捧げられない。判るね?」
「…はい。」
嬉しそうだった顔がすぐに曇り、自己嫌悪感が突き上げていく。
そうだった…こんな喜んでいられる立場ではなかった。
これをアクナディン様が知ったらどれ程がっかりなさるだろう…
「王子。これはあなた様の所業ゆえに起きた結果。最後まで責務を果たされよ。」
「判っている。ちゃんとアクナディンの元に届けるさ。」
くすっと笑いながらアテムはセトの腕を再び掴むと、振り返る事無く元来た道を歩いていった。
引きずられる様にセトも後に続く。
そうする以外他になかった。
今、この手を振り払っても一人で帰る事は出来ない。
あの神学校で自分が全く受け入れられていない事を、今日改めて思い知らされた。
自分に何か落ち度があれば、即辞めさせられてしまうだろう。
あそこに居たほぼ全員が、自分を追い出したいと思っている。
そりゃそうだよな。
貴族の息子だってあの学校に入るには相当難しいと聞く。
それなのに、貴族でも何でもない俺がすんなり入れたんだ。
嫉妬されても仕方がない。
城内を横切り、城の外に出た途端にセトはアテムの手を振り払った。
「もういいだろう。離せ。」
「そうはいかん。ちゃんとアクナディンの元に送ると約束した。」
「俺は約束などしておらん。」
一刻も早くアテムの元から離れたかった。
先程の屈辱もそうだが、こいつと居るとろくな目に合わない。
アクナディンの屋敷までは数十メートル。
もう一人でも充分帰れる距離だ。
「セト、まだ油断するな。屋敷まで一緒に…」
「貴様!そのマントは何だ!」
アテムの声がかき消されるように、数人の兵士が怒鳴り声を上げながらセトの方へと駆けて来た。
驚くセトの腕を素早く掴み、あっという間に地面に押し付けた。
「や、めろ!俺は何もしていない!」
「何を言うか!そのマントは何だ!これは王族の方々が着る色だ!」
「貴様の様な娼婦が着れる色ではない!どこで盗んだ!」
盗んでなどいない!と叫ぼうとしたが、上から強い力で押さえつけられ言葉を出す事ができない。
ばたばたと手足を動かし抵抗するが、兵士数人に押さえつけられ身動きすら出来なくなっていた。
「さぁ!来い!この盗人が!」
「どこの誰から盗んだのか、たっぷり聞かせて貰うぞ!」
セトは両脇を兵士に押さえつけられながら城に向かって歩かされた。
「待て!そのマントは俺の物だ!」
兵士達の前に立ちはだかり、その歩みを止める。
兵士はアテムの姿を見て驚き、そしてセトと共に地面にひれ伏した。
「アテム王子のマントをこやつは盗んだのですか!」
「何と言う恐れ多い事を!二度と盗みなど出来ないよう両腕を切り落としましょう!」
二人がセトの両腕を掴み肩を押さえて、もう一人が剣を抜きセトの目の前に差し出した。
セトの顔がみるみる青ざめ、違う!と叫んでも兵士達は聞く耳を持たなかった。
「違う!そのマントは俺がセトにあげたんだ!セトを離せ!」
怒りの形相で止めさせようと叫ぶが、兵士はアテムの話をも聞かなくなっていた。
頭の中で「セトが王子のマントを盗んだ」と植えつけられ、その恐れ多い行為に
我を無くしているのだ。
必死でもがくが、さっきよりも更に強い力で押さえつけられ、びくともしない。
「覚悟しろ!この大罪人め!」
「止めろ!俺は何もしていない!」
「セトを離せ!俺の話を聞け!」
兵士が剣を高く掲げ、セトは思わず眼を閉じる。
アテムが必死で止めようと駆け寄るが間に合わない。
「止めよ!ここは我が領地内ぞ!」
太く低い声に、興奮しきっていた兵士が我に返る。
同時にアテムが兵士に飛び掛り、剣を取り上げセトを押さえていた兵士にその剣先を向けた。
「セトを離せ!今すぐ!」
厳しい口調に、押さえていた兵士もはっとなり、すぐにセトから手を離す。
肩を抑えながら、セトは声のしたほうに振り向き、その姿を確認すると足早に近づき
その身体にしがみ付いた。
「アクナディン様…」
「セト…アテム王子。これはどういう事ですかな?」
肩を振るわせしがみ付くセトを優しくなで、ぐっと自分に抱き寄せた。
そして真実を見るミレニアムアイでアテムを見つめていた。
ぼんやり立ち尽くしていた兵士が我に返り、アクナディンに事の全てを説明した。
「成る程。この少年は私が後見人をしている者。いわばわが身内。その者が盗みなどする筈もない。」
「しかし!紫色のマントを纏っていたとなれば!」
「アテム王子が先程から仰っているではないか。それはあげたのだ、と。」
ならば何も問題はない。立ち去るが良い。
アクナディンの落ち着いた、そして威厳のある言葉に兵士達も反論も出来ず、その場を立ち去っていった。
後に残されたのは、悔しそうに唇をかむアテムと、自分にしがみ付くセト。
そのセトの首筋から見える痕に、アクナディンはすぐに気が付いた。
「セト…今はまだ神学校に居る時間ではないのか?」
「…はい…でも今日はもう帰れと言われて…」
「何故?何か粗相でもしたのか?」
「お、俺がセトを連れまわし、時間に遅らせた。穢しもした。だから…」
アクナディンのミレニアム・アイに見つめられ、アテムはその先の言葉を発する事が出来なかった。
全てを見通すミレニアム・アイ。
俺が嘘を言ってもアクナディンに通用する筈がない…
それでも、セトを神学校に戻す為には嘘を突き通すしかない。
「俺が…全て悪い。セトは悪くない。だから…」
下を向き、言葉もところどころつまり、身体も震えが止まらない。
アクナディンにしがみ付くセトは、ぐっと眼を閉じ、何も話そうとしなかった。
「…話は後で、セトも王子も少し落ち着いてからゆっくりとお聞きしましょう。」
「兎に角、今はどうぞお引取りを。セトは私が連れて帰りますゆえ。」
軽く頭を下げ、アクナディンはセトの肩を抱きながら身を翻し屋敷に向かって歩き出す。
同行していた使用人や奴隷達も後に続いていく。
セトはちらりとアテムを見た後は、屋敷に戻るまで一度も振り返らなかった。
アテムは二人の影が見えなくなるまで、その場に立ち尽くしていた。
あの時と一緒だ…
マハードを守れなかったあの時と一緒だ。
権力…こんな力が何になる…
結局俺はセトも守れなかった。
アクナディンはああも簡単にセトを救う事が出来たのに。
俺は何もできなかった。
逆に危険な目にあわせてしまった…
誰もが羨む力を持ってるはずなのに。
その力で全ての民を守らなければならないのに。
俺はたった一人でさえ守れないのか。
「くそっ!」
アテムはガクッと倒れこみ、砂を握り締めて地面に叩きつける。
暫くの間、その姿が立ち上がる事はなかった。
To be continues.
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