光と闇と 16
アクナディンの屋敷前での騒動の後、アテムはよろよろと重い体を引きずりながら
宮殿内へと戻った。
心は重く、喪失感が体に更なる重みを貸せている様だ。
「俺は何をやっているんだろう…」
神に等しい身分を持ちながら、人一人救う事が出来ない。
王になったところで、マハードを救う事など出来るのだろうか。
やっとの思いで自室に戻ると、侍女たちが慌ててアテムの身支度の手伝いにやってきた。
「王子!何処においでだったのですか!」
「ファラオがお呼びです。すぐに玉座の間へお越し下さい。」
「その後は神殿などへの視察にお出かけを。」
「祭儀のお勉強もとシモン様が仰っております。」
礼服に衣服を変え、黄金の腕輪などの装飾品をつけ、香油をかけ…
アテムは何も言わず、何も動かずされるがままの状態だった。
「王子…?如何致しました?」
「………」
無言のままアテムは眼を閉じ、そのままふっと意識を失い床に倒れてしまった。
「王子!!」
「誰か!王子が!」
「すぐに薬師を!薬湯を!」
侍女達が揺り動かし起こそうとするが、アテムは全く動かずそのまま意識は回復しない。
侍女長が駆けつけ、アテムの額に手を当てると、その熱さに一瞬驚いた。
「大変!凄い熱。すぐに寝床へ運びなさい。私はシモン様に報告してきます。」
「はい!すぐに!」
王子が倒れたという知らせはすぐに城中に伝わり、ファラオもシモンも駆けつけアテムを見舞った。
はぁはぁと息が荒く、顔は熱のせいか、苦悶の表情だった。
「まさか重大な病ではあるまいな。」
「ご安心を。恐らく過労かと。」
「過労?何をそんなに疲れているというのだ!?」
アテムの日常はそれ程過酷なものではない。
ファラオとは異なり、帝王学を学ばねば成らないが公務は少ない方だ。
倒れて高熱が出るほど勉強に明け暮れているわけでもない。
むしろ、ファラオになるべく学ばねばならない事は沢山あるのに、それを疎かにしている。
もっともっと学問に進学に帝王学に身をおかねばならぬとシモンと危惧していたのに。
「うぅ…」
「アテム!気が付いたか!」
「父…上…?」
ぼんやりとした表情で辺りを見回し、そこに誰がいるか理解していく。
俺は…どうしたんだ…?
「俺は…何が…?」
「覚えてないのか?倒れたと聞いたが。何があったのかはわしが聞きたいくらいじゃ。」
虚ろな目で父を見つめ、今までの記憶を辿っていく。
そう…か。俺は部屋で倒れて…
「アテム…?」
「……」
ぼんやりと見つめていたアテムの目から、一粒の涙が零れ落ちた。
シモンもアクナムカノンもそれに気づく。
と、同時にアテムも自分の頬に何が落ちたのか理解し、思わず腕で覆い隠した。
「アテム!?一体どうした?そんなに苦しいのか?」
「王子。お身体が苦しいならすぐにでも薬をお持ちしますぞ!」
父王はアテムの肩に手をやり、シモンは傍の侍女頭に合図を送る。
だがアテムはそれらをすべて振り切る様に大声で叫びだした。
「出て行け!皆出ていけ!俺を一人にしてくれ!」
静めようとするシモンも侍女たちもすべてを拒絶し、アテムは寝具の奥深くうずくまった。
父王の声すら届かず、触れようとするとヒステリックな声を上げそれを拒んだ。
あまりの剣幕に誰もが呆然と見守るだけで、何も出来ない。
「…今は心身共にお疲れなのでしょう。一先ずゆっくり休ませた方がよろしかと。」
侍女頭にそう進言され、アクナムカノンとシモンは小さく頷きアテムの部屋を後にした。
侍女達も下げられ、寝室にはアテム一人が残された。
出来ない…
俺は父上の様に民を救うことなど出来ない。
マハードもセトも救う事が出来なかった。
俺は…どうすればいいんだ…
「アテム様がご病気?」
「はい。昨日突然お倒れになり、今もまだ臥せっておいでです。」
「昨日…からか。」
セトとアテムの一件の翌日、宮殿に出仕したアクナディンは宮殿内に漂う重苦しい空気を感じ取っていた。
唯一の王位継承者であるアテムが病気で倒れたともなれば、王家一族にとって重要な危機でもある。
シモンの話では過労によるものだと言うが、病に伏せるほど過労の原因が判らないという。
だが、アクナディンはその訳をそれとなく察していた。
「アテム様のお見舞いを。」
「ですが、王子は誰一人会いたくないと仰せです。父王、アクナムカノン様ですらお会いになりません。」
「ならば、アクナディンが昨日の事でお話しがあるとお伝えなされ。それでも会わぬのなら諦めよう。」
「昨日の一件…とは?」
シモンが不思議そうに聞き返す。
だがアクナディンは静かに笑うだけでそれ以上は答えなかった。
程なくして、侍女がアテムからの伝言を伝えに来た。
「アクナディン様。王子がお会いになるそうです。お一人でお部屋の方にお越し下さいませ。」
「何と!父君のファラオにすら会わぬと豪語しておったのに!?昨日一体何があったのです?」
言い寄るシモンに、アクナディンはそれを制し、穏やかに笑いかけた。
「時として…もっとも身近な肉親よりも赤の他人の方が話しやすい場合があるのだよ。」
納得がいかなそうなシモンを後に、アクナディンはアテムの寝室に向かった。
「アテム様…アクナディンです。入りますぞ。」
寝室の入り口のカーテンに手をかけ、アクナディンはアテムの休むベッドの傍に歩み寄った。
横になっていたアテムはゆっくりと身体を起こし、アクナディンを招き入れる。
「すまぬ…このままで失礼する。」
「いえいえ。構わずお休み下さいませ。御身体の方は…?」
「まだ…本調子とは言えぬな。」
くすっと笑いながらアテムはうつむき、暫く沈黙が続く。
「…セトを…」
「はい?」
「…セトを危険な目に合わせてしまった。俺の責任だ。すまぬ…」
ブランケットを握り締め、しかしアクナディンと目を合わせられずアテムは俯いたまま詫びた。
もっと色々話さなければならないのに、上手く言葉が出てこない。
身体が震え、鼓動が激しく脈打っていく。
それでも、俺はこの人に謝らなくてはいけない。
セトに謝らなくてはいけない。
「俺は…」
「もう何も仰らなくて結構です、王子。セトはすべてを判っております。」
「アクナディン…?」
アクナディンの言葉に、アテムは思わず顔を上げた。
優しい隻眼の瞳でアテムを見つめている。
「セトは、あなた様があの子を守った事をちゃんと理解しております。」
「でも俺は!」
「俺はあいつを蔑んだ。娼婦とののしり、俺の前に跪かせようと…」
「アテム様がその様な行動を取ってしまったのには必ず原因があるはずです。」
「セトはその理由を必ず見つけるでしょう。その上で、あなた様との関係をどうするかはあの子が決める事です。
未来のファラオとして畏怖の念をもって跪くか。
自分より魂は下と侮蔑するか。
「最初に会った時、俺は確かにあいつに怒り、見下し突き放した。」
アテムがぽつりと話し始めたのを、アクナディンは静かに聴いていた。
「マハードの事もろくに知らずに、その力と魔力に憧れ、マハードの様になりたいだなんて。」
その力と魔力のせいで感情を失い、やっと取り戻せたのに今度はそれを表に出せない神官になるなんて。
それもすべて王家の為。俺のせいなのに。
嬉々とした顔で結界の部屋を見つめるセトに、俺は怒りの感情を抑えられなかった。
その笑顔を壊して、苦悩を刻み込もうと思った。
少しでもマハードの気持ちを判らせようと、俺はいつを犯した。
侮蔑し、人として扱わず。
二度とそんな言葉を発せない様に思い知らしめるつもりだった。
「父上があいつを跪かせればマハードを返すと仰り、俺は何としてでもあいつを跪かせようと思った。」
高圧的に権力をかざし、無理やりにでも跪かせる。
でもあいつは全然俺に屈しなかった。
神の子でもある王家の、ましてや王位継承者でもある俺に。
誰もが俺に対しひれ伏し、畏れるように接しているのに、あいつは…
「こんな事初めてだ。いや、マハードもそうだった。でもマハードは感情が無かったから
俺に畏れると言う事を知らなかっただけだ。」
「セトは…何故あんなにも畏れる事をしない?」
ただの娼婦だとしてもだ。教育が無いから…?いや違う。
セトは他の神官見習いの貴族より遥かに賢い。
それに、父上には畏敬の念を持ち、それに相応しい態度をとっていた。
「そうしてあいつを追いかけ見ている内に、俺はある事に気が付いた。」
「…何でしょう?」
「セトは…笑わないんだ。」
「笑わない…?セトが?」
身分の低い者が突然神官見習いとして宮殿内に出入りすれば、笑うなんて緊張して出来ないのかもしれない。
でもセトは違う。
「一人の時も誰かといる時もあいつは笑ってないんだ。」
「でもアクナディンといる時だけ、あいつは笑っていた。」
アクナディンの姿を見つけると、嬉しそうに傍に駆け寄っていった。
声をかけて貰った時、セトは満面の笑みを浮かべていた。
「俺の前で笑わないのは判る。笑うような事は全然してないからな。」
「俺だって一人の時、綺麗な物を見た時とか自然に笑みが零れたりする。」
「でも、セトは笑わないんだ…お前といる時以外決して…」
何故だ…?マハードの様に感情が無いわけではない。
どうしてあいつは笑わない。どうしてアクナディンの傍にいる時だけ笑う?
どうすれば俺の前であいつは笑ってくれる?
アクナディンは静かに目を閉じ、そして語り始めた。
「セトは…笑う事を忘れたのです。」
「忘れた!?何故?どうやってそんな事を忘れられる!?」
「笑う事を忘れてしまうほど、セトは苦しく辛い日々を送ってきたのです。」
身内を、知り合いを、友人も何もかも亡くしただ一人生き残り。
幼いあの子を助ける者は誰一人いなかった。
「何の後ろ盾もない子供が一人で生きていく為に、セトは想像以上の苦難の日々を過ごしたのです。」
「身を落とし汚してでも、何としてでも生きて這い上がる為に。」
必ず権力と力を手に入れ、母親の敵を取る為に。
「そう生きていく内に、セトは笑う事を忘れてしまったのです。」
笑う暇など無いほど、辛い日々だったのだろう。
心から笑う余裕を無くしてしまうほど、辛い事が重なり続いたのだろう。
何時しか、その表情から笑顔は消え、笑う事そのものを忘れてしまった。
「そういう人生の中で唯一見つけた希望の光が、神官としてその力をつけることだったのです。」
力を身につけ、絶望の中から這い上がる。
セトがマハードの力に憧れたのも、力こそが己の願いを叶えられると信じていたから。
私の前でのみ笑うのは、私がセトに希望を与えたから。
アクナディンが語り終えると、アテムはただ俯いて握った拳を振るわせていた。
「セトに…謝らねばならない。」
俺はあいつを誤解していた。いや、あいつの本当の姿を見ていなかった。
セトの中に秘めた情熱、決意を見る事すらしなかった。
「セトはどこに?」
「いつもと同じ、神殿で勉強中ですよ。」
優しい笑顔を浮かべ、アクナディンは答える。
アテムも苦悩の表情が和らぎ、笑顔が浮かんでいた。
ゆっくりと身体を移動し、アテムはベッドを降りる。
側で控えていた侍女が慌てて側に駆け寄った。
「アテム様!お体は…」
「寝てなどいられぬ。すぐに神殿へ向かう。」
「しかし!」
「支度をせよ!」
「アテム様…神殿に向かってもセトに会えるとは限りませんぞ。」
その言葉にアテムが驚き振り向いた。
アクナディンは変わらず笑顔で語りかける。
「昨日の一件もあります。セトは人前は王子を避けるでしょう。」
「ではどうすれば!どうすればセトに会える。」
身分が違いすぎて俺の寝所に呼んでも兵士が止めるだろう。
いや、俺の命令ではあいつは絶対に従わない…
セトに…
「セトに…会いたい…」
会って話がしたい。
今までのことを謝りたい。
セトの思いをもっともっと知りたい。
「マハードの結界の部屋に行ってはいかがですかな?」
思いがけない提案に、アテムは一瞬表情を強張せる。
すべての元凶となったあの場所に!?
何故あそこに行くべきなのか…?
「何故だ?セトがあそこに行く保証でもあるのか!」
「あります。セトがあなた様のマハードへの思いを知ったなら必ずそこに行くでしょう。」
「何故そう言い切れる!」
少しいらだつ様にアテムはアクナディンを見つめていた。
そんなアテムをやはり変わらず笑顔で見つめ返す。
「判りますとも。私はセトをずっと見てきましたからな。」
セトへの理解の深さ、その優位さを楽しむようにアクナディンはアテムの肩を軽く叩く。
アテムは深いため息をつき、侍女に支度を続けさせた。
この男には全く敵わない。
父上も一目置く、ミレニアム・アイの所持者。
未熟者の俺が敵うはずなかったな。
苦笑交じりに支度を整え、まだ力の入りきらない身体をようやく動かし結界へと向かう。
セトに会ったら何を話そう…
まず、昨日の事を謝らなければ。
それから、あの最初に会った日の事も謝らなきゃ。
それから…それから…
結界の部屋の前で座っている人影を見つけ、思わず立ちすくむ。
「セト…?」
その声に驚くように顔を上げ、その青い瞳で自分を見つめている。
「アテム…」
互いの名を呼ばれ、それ以上の言葉が互いの口から出す事が出来ない。
三つの星の運命が、今静かに動き出した。
To be continues.
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