光と闇と   6                   


「大変です!シモン様!」
「何だ、どうしたのじゃ。」

神官兵の一人が息を切らしてファラオの側近、シモンの元へと駆けて来た。
顔は青白く、まさに恐怖の形相でシモンの足元に跪く。


「どうした!?何があった!」
「ろ、六神官様が…」

千年輪(リング)を所持しておられた六神官様が!!

「どうしたと言うのじゃ!」
「リングの邪念に取り込まれ…魔物に食い尽くされて…」

なんと…六神官の中でも魔力は強い方だったのに…

「すぐにリングを回収!結界を張り魔物を近づけさせるな!」
「神官を招集せよ!緊急事態じゃ!アクナディンは何をしておる!他の六神官たちは!?」
「すでに結界を張っております。神官達も集まっていて、とりあえず危機は脱したかと…」
「よし!そのまま結界の部屋にリングを収納せよ!わしはファラオにご報告しておく。」
「はっ!」

兵士はくるっと向きを変え、もと来た道を駆けていく。
シモンは深い溜め息をつき、ファラオにどう報告すべきか頭を悩ませた。


千年リングは作られた当初から邪念が強く、生半可な者が身につけるとその邪念に取り込まれる。
そしてその力に引き寄せられた魔物に骨まで食われてしまう。
今の所有者だった神官より魔力の強い神官を探すのは一苦労じゃぞ…

リングから練りだされる邪念を、常に冷静に対処できる強大な魔力の持ち主…


シモンははっとなり、ファラオの元に行く筈だったその足を止めた。


前から王子とその世話役のマハードがやってきたのだ。



「マハード…」
「シモン!?何しているんだ?そんなところで突っ立って。」
「…シモン様…私の顔に何か…」


強大な魔力を持って生まれたが為に意志と感情を無くした少年。


この者なら、千年リングの邪念を押さえ込む事が出来るかもしれない。


「いや、何でもありません。失礼をば…」
シモンは一礼をして、二人の間をすり抜けファラオの元へと足を速めた。

まずはファラオにご報告を…その上でマハードの父親に相談してみよう。


走り去っていくシモンの背中を見て、アテムはクスッと笑いながらマハードの背中を叩いた。

「変な奴!さ、行こう。」
「はい、王子。」
「今日は…そうだな、あの泉に行くか。」

楽しそうに誘うアテムとは対照的に、無表情で頷くマハード。
運命の出会いから5年。

アテムは感情のないマハードをあちこち連れ出し、感じる事を教え続けていた。

「綺麗」と思う事、「嬉しい」と感じる事、「楽しい」と感じる事…

5年の月日は僅かではあるが、マハードの心の中に変化をもたらせていた。


勿論、笑う事も、泣く事もない人形の様である事は変わってはいなかった。
ただ一つ…唯一芽生えたマハードの意志。


この人の傍に居たい…


だからどうと言う行動は取る事はなかったが、他の者と一緒にいるより、はるかにマハードの表情が安らいでいる。
それに気が付いていたのはアテムただ一人だけだった。


「ほら、マハード。水がきらきら光って綺麗だろ?」
「…何度も申し上げますが、ただ太陽の光が水に屈折して反射しているだけです。」
それが何故綺麗、と言う言葉に代わるのか理解できません。

アテムはふぅ〜と溜め息をつき、泉の傍に腰を下ろした。

「5年…5年だぜ?」
「は…?」
「5年かけてお前に色々教えてきたのに…」

どうしてお前は変わらないんだろう…
どうして感情を持てないんだろう…

「お前が笑ったらさぞかし綺麗だろうに…」
傍に座るよう手招きをすれば、マハードは何の躊躇もなく傍に座る。
王子という者への畏敬の念はない。

あるのはただ命令に従うだけの心。

アテムはマハードの髪に指を絡ませ、さらさらした栗色の髪をなで続けた。

「なぁ…笑えよ…俺の為に…」
「…笑うと言う事を知りません…どうすればよいのか…」
「俺の事を思えば自然に出てくる筈なんだけどなぁ…」

アテムはそのままマハードの引き寄せ、唇を合わせた。
勿論、マハードは抵抗はせず、眼を瞑る事もしなかった。

「…全く…ムードもへったくれもないな…」
苦笑交じりでマハードの髪を撫で、おでこをぺしっと叩く。


どうすれば俺を見てくれる…?
どうすれば俺を感じてくれる…?

どうすればお前を人に戻せる…?


アテムはマハードの瞳を覗き込んだ。
いつもならただ真っ直ぐにアテムを見るだけの無感情な瞳。

だが今回は違っていた。僅かに戸惑いを感じられる。

「マハード…?」
「…何故…いつもキスを…」
眼を細め、指を唇に触れ、瞳が僅かに揺れている。

「嫌…か…?」
頬に手を添え、再び髪に指を絡ませ、からかう様に小さく微笑んだ。

嫌…?嫌とは…どういう意味…だ…?

「アテム…様…解りません…『いや』と言う言葉の意味が…」

意志のないマハードにとって、拒否すると言う概念はない。
命令は全て受け入れる。そう教えられていた。

それがマハードにとって当たり前の事だった。


「して欲しくないのか…と言う意味だ。マハード。」
それなら二度としない。嫌がる事をするのはたとえ王子といえど許されぬ。


マハードの心の中で何かが大きく変化していく。


して欲しくない…?それならしない…?
『いや』と言えば王子は二度とキスをしないのか…?


「マハード…」
大きく眼を見開き、何かを言いたそうなマハードにアテムはもう一度口付けを落とす。


いつもなら身動き一つしないマハードの腕が、ピクリと動いた。
ゆっくりと持ち上げ、アテムの両腕にそっと添える。


見開いた瞳はゆっくりと閉じられ、マハードは初めてアテムの腕に身を委ねた。


ワカラナイ…何だろう…この思いは…
ワカラナイ…

アテムはゆっくりとマハードの腰に手を回し、もっと近づけさせようと力を入れたその時…




「王子!こちらにおいででしたか!」



泉の脇から一人の兵士が飛び出してきて、アテムのもくろみは見事に壊される。


「何だ!今忙しい!用なら後にしろ!」
凄まじい怒号に兵士は一瞬怯むが、その背後から今度はアクナディンがやってきた。


「王子、ファラオがお呼びです。すぐにお仕度を。」
「父上が!?ったく!これからってところなのに。」

ちっと舌打ちしながらマハードの方に眼を向けると、いつもの無表情に戻っている。


もう少しだったのにな…


小さく溜め息をつきながら、アテムは兵士が用意してきたマントを身につけ、マハードを従えて謁見の場へと向かった。



ナイルの恵むが育んだ豊かな台地を見渡す事ができる謁見の場。
諸外国にこの国の力を示さんが為に作られた広場。

その中央に君臨するファラオと、その横にはシモンが難しい表情でアテムたちを迎えていた。

「…?父上?何かあったのですか?そんなに厳しい顔をして…」
「千年リングの持ち主だった神官が死んだ。」

アテムの表情もみるみる変わっていく。
千年アイテムが作られた過程は教えられていなかったが、千年リングの邪念の力はアテムでもよく理解していた。

「どうするおつもりです!!あのアイテムを扱えるものはそう居ないのでは?」
「そうだ。そうそう協力な魔力を持つ神官はおらん。」

今いる神官の中で一番魔力が強いものを、邪念を扱えるだけの力にする為に修行をさせるとしても、それは数年かかるだろう。
その間、千年リングの邪念は膨れ上がり、この国をも滅ぼしてしまうかもしれない…

「ではどうすれば!?」
「マハードの力を借りたいのだ。」

アテムの動きが一瞬止まる。
マハードは微動だにせず、ただファラオの方をじっと見つめていた。

マハード…を…?
彼を千年リングの所持者にすると言うのか!?

「マハードの魔力なら難なく千年リングの邪念を押さえ込む事が出来るだろう。」
「でもマハードにそんな重責を負わせるのは危険です!彼は…」
意思もなく、与えられた命令をただこなすだけの人形。
そうだ…マハードなら難なく千年リングの所持者となるだろう。

だが、そうなれば、マハードはますます人間から離れていってしまう。
折角感情が芽生え始めてきたと言うのに…

「マハード。引き受けてくれるな。」
「はい。ご命令とあらば。」
「駄目だ!!マハードにそんな事はさせない!」

戸惑う事無く頷き、立ち上がったマハードの前に、アテムは無意識に立ちはだかった。

「アテム!一刻を争う事態なのだぞ!?」
「よく解っています!しかし…」
アテムはマハードの肩を掴み、揺れ動く事のない瞳を見つめ続ける。
どうすれば…どうすればいい…?

どうすればお前の本音を聞き出せる…?

「マハード!よく考えろ!千年リングの所持者になるって事は、それだけの危険を背負う事になるんだぞ!?」
「しかしご命令です。」
「俺とも離れなければならない。六神官になるのなら、俺の傍にはもう置いておく訳にはいかなくなる…」
一緒に庭を散策する事も、泉で水浴びをすることも出来ないんだぞ?

「マハード…俺はお前が俺の傍にいて欲しい。」

お前は…俺の傍に居たくないのか…?

「アテム!王子と言えどこればかりは我儘は許されぬぞ!」
「アテム様…この子に考える意志はありません。私がそうしたのですから…」

生まれてから10年もの間。人格を形成する時期に隔離された部屋で私と過ごし、それら感情を全て放棄させた。
そうしなければ魔力に翻弄され、身を滅ぼしてしまうから。

「マハード。ファラオのご命令に従いなさい。」
「はい、父上。」
アテムの手をそっと振り払い、マハードはファラオの前へ足を進めた。
アテムはとっさにマハードの腕を掴み、そのまま自分に引き寄せその唇を奪った。

「アテム!?」
「王子!何を…」
そんな事をしてもマハードは何も感じまい。

愛情が一番強い負の感情「嫉妬」を生み出す。故に愛情と言うものを知らせずに育てたのだ。

「王子…お諦め下さい。全てはファラオと王子の御為…」
「マハード…今父上の元に行けばもうキスをしてやる事も出来なくなる。それでも行くのか…」
「俺の傍にいるのがそんなに嫌か…」

俺の為に笑うのがそんなに嫌か…マハード…

そのまま崩れる様にマハードの足元に座り込む。
それでもマハードは動かない。

いや、動けなかった…


動こうとしても足が前に出せない。
何故…?命令には従わなくてはいけない…
どうして…動けない…?動きたくない…?

傍に…居たいから…


「ア…テム…様…」
「マハード!こちらへ来るのだ。命令だぞ?」

マハードの瞳が大きく開いていく。

これは何だ…?私の中に渦巻くこの気持ちは何だ…?



「い…や……」
「マハード…?」
「いや…だ……そちらに…行くのは…」

「マハード!?何を言っている!早くファラオの御前に…」

マハードの肩に触れた父親の手を、マハードは激しく振り払った。

嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!


「うっああああ!!」

頭を抱え、悲鳴に似た叫び声を上げると同時に、謁見の間全体が震えだした。
そこにいた全ての者が立ち上がり、ざわざわと騒ぎ立てる。

「マハード?!」
「どうした!マハード!」
父親である神官とシモンがマハードの身体を押さえつける。
だがマハードはそれを振り払い、両肩を抱きかかえてその場に蹲ってしまった。

「マハード…気を静めよ。落ち着きなさ…」
最後まで言う間もなく父親はマハードの身体から発せられた衝撃波で壁まで吹き飛ばされてしまった。
その直後、広間は激しく振動し、辺りには闇が広がり始める。

「何だ!?何が起こっている!?」
「マハードだ!あいつから出る衝撃波が宮殿を振動させているんだ!」
「取り押さえよ!衛兵!何をしておる!早く…」

揺れる床にバランスを崩されながらも、衛兵達がマハードの周りを取り囲んだ。
マハードを取り押さえるべく、一斉に飛び掛った。

「うわぁっ!!」
見えない衝撃波が10数人の衛兵達をも吹き飛ばす。


「マハード…一体どうして…」
「感情の…爆発です…ファラオ。」
打ち付けられた肩を押さえながら、神官長がファラオの元へとやってきた。

僅かに芽生えた自らの意志。従わなくてはならないと言う気持ちと、それの相反する新たなる感情。
それがぶつかり合って、感情のコントロールが利かなくなってしまった。


マハードの中の強大な魔力を抑えられなくなり、爆発した感情と共に今魔力が大暴走しているのだ。


「何をしておる!早くマハードを取り押さえよ!」
ファラオが命ずるまでもなく、六神官達がそのアイテムを駆使してマハードの魔力を押さえ込む。
だがその力さえも弾き飛ばす強大な力の前に、なす術もない。


ナイルの空にはにわかに黒い霧が現れ、宮殿に近づいていた。

「あの霧は…」
「マハードの魔力に引き寄せられている魔物たちです。このままでは…」
この宮殿はおろか、この国全体が魔物に覆われてしまうかもしれない。


もはやマハードの命を絶つしか方法はないのか…
拳を握り締め、意を決する。
それしか術はないのなら…ファラオを始めとする全ての民を守らなければ…


六神官たちと視線を合わす。全てを承知した彼らは、精霊を呼び出す準備を始めた。
ディアディアンクを着け意識を集中させる。

今自分達が呼び出せる最強の精霊を召還しなければ、マハードの魔力には敵わないだろう。
下手をすれば返り討ちにあうやも知れない。


ファラオも立ち上がり、ディアディアンクを装着する。
許せ、マハード。わが国と民の為だ。


腕輪の翼が開かれ、魂を表す飾りが光りだす。



「待て!!皆下がれ!マハードに手を出すな!」


六神官とマハードの間に、両腕を大きく開いたアテムが立ちはだかった。

「王子!そこをお退きくだされ!危のうございます!」
「アテム!そこを退け!わしはわが民を守らねばならぬ。」
「マハードも父上の大切な民の一人です!」

静かに諭す様に話すアテムに、六神官の動きが止まった。


「マハードの命を絶たねば、その暴走は止まらぬ。」
「彼は今、人間に戻ろうとしているだけです。」
「大人の都合で人形にさせられたマハードが、本来あるべき姿に戻ろうとしているだけです。」
あなた方にそれを止める権利はない!

ゆっくりとマハードの方を振り返ると、アテムは静かに歩み寄っていく。


「マハード…そんなに嫌だったのか…よく解ったよ…」
両手を広げ、優しく微笑みながら傍に寄って行く。

マハードは肩を抱きながら、苦悩の表情でアテムを見つめる。
ギリッと唇を噛み締める度に衝撃波がアテムを襲った。

まるで空気の槍が突き刺さるように、アテムの身体に傷を負わせていく。
だが痛みに耐えながらもその歩みを止める事はしなかった。

「マハード…大丈夫だ。誰もお前が嫌がる事はしない。」
嫌ならたとえ父上の命令でもそれを強要する事は出来ない。


それは人間の権利。マハード、お前は人間なんだ。


「うっあ…あああ…」
「俺はお前の傍にいる。お前を神官などにはさせはしない…」
差し出された手がマハードの頬に触れた瞬間、マハードの眼からは涙が一筋零れ落ちた。


「私…は…あなたの…御傍に…」
「あぁ、解った。それがお前の意志だって事。」
マハードを引き寄せ、アテムはそっと抱きしめる。
温かい腕に抱かれながら、マハードは静かに眼を閉じた。


「振動が止まった…」
「霧は!?魔物達はどうなった!?」
「霧は消えております!空は青空が…」

マハードの暴走が止まった…?
まさか…


「マハード!?」
神官長がアテムの傍に近寄っていくと、マハードはアテムの腕の中で気を失っていた。
その表情は安らかで、笑っている様にも見える。


「マハード…」
そっとその頬に手を寄せ、神官長は泣き崩れてしまった。
「…マハードの意思はこれで解ったな。」
「王子…私は…」
「マハードは俺の元に置いておく。異存はあるまいな。」

居並ぶ者全てが何も口に出せず、ただ俯く以外に術はなかった。
ファラオでさえ、何を言ってよいのか皆目見当がつかなかった。


運命の星の絆はこうも強いものなのか…


「ファラオ…今は王子の仰る通りにした方が懸命です。」
ペンダントに手を添え、眼を閉じていた六神官の一人、アイシスがファラオに進言する。
「未来はそう告げているのか…?」
「解りません。あの二人の未来は何故か千年タウトでも示す事が出来ません。」

でも感じるのです。あの二人の運命を。
全ては王子の思うままにした方がよいと…

「千年リングの所持者はマハード以外に術はないのだ。」
「存じております。ですが、きっと上手くいく様な気がするのです。」
王子とマハードの星の絆を信じて、私達はそれを見守った方がよいかと。


ファラオはドサッと玉座に腰を落とし、深い溜め息をついてアテムに告げた。


「解った…好きにせよ。もう何も言うまい。」

眠り続けるマハードの瞳にキスを落とし、アテムは穏やかに微笑んだ。



「マハードを俺の部屋に運んでくれ。」


衛兵にそう命令すると、アテムとマハードは謁見の間から立ち去って行った。



To be continues.








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