光と闇と 9
「父上!アテム、参りました。」
「こちらへ…」
アテムは一礼をして、謁見の間のファラオの前に跪く。
周りには5人の神官が勢揃いしていた。
「マハードの…件でしょうか…」
「判っているとは思うが…我々には時間も手段もないのだ、アテムよ。」
所持者を失った千年リングは邪念を増すだけ。
それは国をも飲み込む強大な力となりうるだろう。
「その前に所持者を定めねばならぬ。」
「マハードは所持者にはさせません、父上。」
マハードが望まぬ限り、その件はお断りいたします。
アテムはキッパリと言い切ると、真っ直ぐな瞳でファラオを見返した。
その揺ぎ無い意志に、ファラオはただ溜め息をつくだけだった。
「では王子、他に所持者を決めなくてはなりません。」
重い空気の中、アクナディンが口を開く。
皆、一斉にアクナディンに眼を向け、その言葉の続きに注目した。
「マハードが受けないのなら、他に推挙しなくてはなりません。王子には当てがおありですか?」
「そ、れは…」
アテムは言葉を詰まらせ、アクナディンの視線から逃れるように俯いた。
確かに…事は一刻を要する。それは判っている。
だからといって意思のないマハードをそんな危険な役目を負わせるなど…
「マハードは…もはや意思のない人形ではないのでは…?」
「アクナディン!?それはどういう…」
「昨日の一件で、マハードは明確に自らの意思を示しました。」
王子の呼びかけに身を持って答え、我々の命令に「拒否」を示しました。
そうだ…彼はもはや意思のない人形ではない。
俺に腕の中で泣き、笑い、寂しいとすがる。
傍にいて欲しいという意思の言葉をマハードの口からはっきりと聞いたじゃないか…
「…マハードにもう一度意向を聞いてはどうじゃ、王子。」
「その上でマハードが改めて拒否するならば、我らも諦めようぞ。」
ファラオのその言葉にアテムはただ俯き、そして静かに頷いた。
昨日の状況とは違う。冷静に考え、マハードの真意を確かめる。
本当なら彼を俺の傍においておきたい。
マハードはやっと考える事が出来るようになっただけだ。
そんな彼が…千年リングの所持者と言う重責に耐えられるだろうか…
だがこのままでは…
「誰か!マハードを呼べ!」
アテムの苦悩をよそに、ファラオは家臣にマハードを呼んで来る様命じる。
どんな状況になっても、マハードは俺の物であり、俺が守る。それに変わりはない。
アテムはそう心に誓い、運命をマハードに委ねる事にした。
その頃、マハードは王宮内のとある一角へと足を向けていた。
そこは厳重な警備と、強固な結界が張られている場所。
「マハード様!ここは危険です。すぐにお戻りを…」
駆け寄る兵士を右手で制し、マハードはゆっくりとその一室の扉の前に向かっていった。
目の前に立つだけで、凄まじい怨念がマハードの身体を突き抜ける。
思わずかざした右手を引っ込めてしまうほどだ。
そう、ここは千年リングが封印されている一室。
神官団の中でも優秀な霊力を持つものが4人がかりで押さえ込んでいる。
それでも部屋からは邪念が噴出し、辺りの空気を黒く澱ませていた。
マハードはもう一度ゆっくりと部屋に向けて右手をかざす。
黒い邪念がマハード目掛けて一気に突き刺さった。
「!?」
体の中を駆け抜ける瞬間、マハードの脳裏に千年リングに秘められた怨念が描き出されていく。
鎖で繋がれる村人の呻き声、溶鉱炉の中に落とされる時の悲鳴、死への恐怖、そして王家への恨み。
一瞬の内にマハードは、千年アイテムが作り出された恐るべき経緯を把握した。
マハードが普通に感情を持っている人間だったら、その凄まじき怨念に発狂していたかもしれない。
だがマハードには、まだ恐怖や恨みなどの感情を感じた事が無かったのだ。
だからこそ、こうしてドアの前で平然と立っていられるのだろう。
マハードは右手を扉に触れさせる。
結界を張っていた神官達は皆一斉に声をあげてマハードを制した。
「マハード様!いけません!触れたら結界が崩れます!」
「ここの邪念は我々の力ではこの部屋に抑えるのが精一杯なんです!今バランスを崩したら…」
だがマハードは静かに眼を閉じ、溢れ出る邪念にその波長を合わせ始める。
マハードから強大な魔力が発せられる。
その力は邪念をも凌ぎ、部屋の周りを包み込んでいた黒く澱んだ空気が薄まっていく。
「はっ!!」
マハードがカッと眼を見開き、魔力を最大限に解き放つ。
だが昨日の暴走とは異なり、明らかに何かとシンクロさせようとコントロールをしているようだった。
「マハード様!?」
「マハード様!危険です!お下がりくださ…」
兵士がマハードの周りを取り囲む。
だがその言葉を制する様に、マハードの身体が金色に輝き始めた。
そして、その輝きが最高潮に達した時。
今までの邪念が嘘の様に収まり、そこには澄んだ空気が流れていた。
「ま、マハード様…?」
「…邪念は…今は落ち着いている。だがいつまた暴走するかわからない。」
邪念の向かう先はただ一つ。このエジプトの偉大なる王。
近い未来、そのの矛先は確実にアテム様へと向けられる。
「ファラオが…私に託すと言った千年リングとはこれの事…」
確かにこの邪念の力では、並みの神官では勤まらないだろう。
だが、自分とて、気を抜けばこの邪念に取り込まれるかもしれない。
なまじ強い魔力を持っている為、一度取り込まれてしまったらそれはもはや取り返しの付かない事になる諸刃の剣。
私はどうすればアテム様の為になる…?
私のこの魔力は何の為に授かったのだろうか…
何故父上は私から意思を奪ったのだろう。
そして私は何故意思を取り戻せたのだろう。
「マハード様!こちらにおいででしたか!」
背後から声をかけられ、ゆっくり振り向くと、数人の兵士が直立不動で立っていた。
「ファラオがお呼びです。すぐに謁見の間へおいで下さい。」
「…ファラオが…?」
「?しかしこんな所で何を…?」
そう言いながら兵士はこの場の雰囲気が変わった事をおぼろげに感じとる。
この場所は傍を通るだけでその邪念に身体が押し潰されそうだった筈…?
なのに今は澄み切った空気に覆われている。これは…?
不思議そうな顔をしている兵士にマハードは今まで見せた事のなかった優しい笑顔で微笑んだ。
「すぐに参ります。」
そう言ってブラウンの髪をさらりと流し、マハードは謁見の間へと足を向けていった。
謁見の間に入ると、中央の玉座にファラオが、その横にアテム。
そしてその更に横には5人の神官。
そこからまた少し離れた所に、マハードの父親が立っていた。
マハードはファラオの真ん前に立つと、跪き頭を垂れる。
「お呼びと伺いました…」
「うむ…体の調子はどうじゃ。」
「はい。アテム様に介抱され、今は至って何もなく。ご心配をおかけ致しました。」
淡々と答えるマハードは、昨日までと何ら変わらない様にも見える。
「昨日の件はわしにも非はある。許せ。」
「勿体無いお言葉…痛み入ります…」
顔をあげる事無く深々と平伏す。
やはり、マハードは何も変わらなかったのか?
意思のない人形はまだ健在なのか?
「時にマハード…千年リングの件、改めてそなたに引き受けて貰いたい。」
「昨日は否応無しに命令してしまった。だが事はかなり危険な責務。」
その先の言葉を続けるのを戸惑うファラオに、アクナディンが口添えをする。
「そなたの意思を聞いた上で所持者に任命するかどうか決めると言う事になった。マハード…」
だがマハードの表情は変わる事無く、ただ黙ってファラオたちの言葉に耳を傾けていた。
アクナディンは構わず言葉を続ける。
「千年リングの所持者、引き受けてはくれぬか…?」
その場の誰もが息を飲む。
これでマハードが拒否すれば一から神官を育てなければならない。
その間、四六時中結界を張り、その邪念を抑えなければならない。
それが一ヶ月になるか、一年になるか、10年になるか…
「千年リングの件、謹んでお引き受けいたします、ファラオ…」
ゆっくりと顔を上げ、その決意に満ちた表情はそれが単に命令だから、と言う安易な考えではない事を物語る。
アテムが思わず身を乗り出し、マハードの肩をガシッと掴んだ。
「マハード!判っているのか?千年アイテムの所持者になると言う事がどんな事なのか!」
だがマハードは静かにアテムの手を取り、にっこりと微笑んだ。
「全てはあなたの御為、です。アテム様。」
千年アイテム、特に千年リングは諸刃の剣。
強大な力で国を守るが、扱い方を一つ間違えるとそれは国をも滅ぼす邪念となる。
「その力を抑え、コントロール出来るのは自分だけだと悟りました。」
千年リングが封印されていた部屋で自分が成すべき事に気がついた。
それは自分が何故この強大な魔力を持って生まれてきたのかを意味する事にもなる。
「あの千年リングには人間の負の感情が渦巻いておりました。」
「ですが私はその負の感情をまだよく知りません。それが幸いしました。」
でなければ、未熟な私は千年リングの負の感情に取り込まれ、昨日よりももっと最悪な状況になっていたでしょう。
「父が…私の感情を抑えてくれたお蔭です。今後負の感情を知る事になっても、いきなり取り込まれる事はないでしょう。」
その言葉にマハードの父親がはっとなって見つめていた。
マハード…お前を人形同様にしたのを恨んではいないのか…?
この私を許してくれるのか…マハード…
マハードは静かに頷き、そしてファラオを真っ直ぐに見つめる。
全てに意を決した様な表情は、アテムでさえも声をかけられない。
「所持者になるに当たって、一つお願いがあります。」
「うむ、聞こう。出来る限りの望みは叶えよう。」
マハードはアテムに一度視線を向け、そして言葉を続けた。
「一年、私に時間を下さい。あの結界の部屋で神官と成るべく修行を積みたいと思います。」
千年リングと向き合い、その力を理解し我が物とする。
秘められた邪念を少しでも融和できれば、すなわちそれは王家への怨念を減らす事にもなる。
その為には、外部との遮断が必要なのだ。
私が…かつて10年間外部と遮断され、己の力と向き合った様に。
「お前はそれで良いのか…マハードよ…」
一年もの間、お前はアテムと会う事が出来ない。
触れる事も、声を聞く事も出来ない。それでも所持者になると…
「これは私の意思です…ファラオ。」
私が生まれた理由。それはアテム様を守る為。
ただ一人の私のファラオを守る、その為に私は生まれてきた。
「マハード…それでいいのか!?所持者になったら俺の傍に常に居れなくなるんだぞ?」
「傍に居る事が全てではありません、アテム様。」
自らの傍らに膝を折り、自分の肩を掴み真正面に向き合うアテム。
その頬にマハードはそっと手を触れる。
「私の心は常にあなたのすぐ傍に…」
魂、精神、肉体、全てをあなたに捧げます…
人目も憚らず、マハードはアテムの唇にキスを落とす。
いつもはアテムからしていた友愛のキスを、今度はマハードがアテムに与える。
マハードの固い意志に、アテムはもう言葉を失い、ただマハードの手を握り締めるしかなかった。
アクナディンとシモンがゆっくりと近づき、マハードの肩をそっと叩く。
「では、マハード…所持者になる為の儀式を早速始めよう。」
「はい…アクナディン様。」
すっと立ち上がるマハードに、アテムがマハードの腕をつかみ、自分の胸に引き寄せた。
「アテム様!?」
「もう一度…抱いてやるって約束したのに…」
お前が望んだのに…何故俺はそれを叶えてやらなかった…
肩を震わせながら強く抱きしめるアテムの胸に、マハードは初めて身を委ねる。
待っています…あなたが再び私に触れてくれる日の事を…
待っている…お前が再び俺の腕の中に戻ってくる日の事を…
アテムはマハードの頬に手を添え、そのまま深い口付けを交わす。
マハードもそれに応え、互いの魂を分け合った。
シモンとアクナディンに促され、マハードはすっと立ち上がり、ファラオに一礼して謁見の間を立ち去っていった。
To be continues.
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