牙が赤く染まる時 23
「監査結果は…」
資料を手にロイの顔をじっと見つめる将軍。
その隣で薄笑いを浮かべ結果を聞き入っているブラッドレイ。
ずらっと居並ぶ将軍ら上層部の前に、ロイはただ一人部屋の真ん中に立っていた。
肩の傷や身体の傷はまだ癒えてはいない。
立っているのも辛いはずだが、ロイは顔の表情を変えず、眼の前の将軍達を真っ直ぐ見つめていた。
そしてブラッドレイの真後ろに立つアイザックにも目線を向かわせる。
アイザックも黙ってロイを見つめていた。
資料を持った将軍が、ロイの成績を読み上げていく。
何処にも非の打ちどころがなく…そして指揮官として優秀である事を証明したあの戦い。
「全てにおいて合格点に達しております。閣下。」
「成る程。君はよほど優秀だったわけだ。マスタング大佐。」
「ありがとうございます…閣下…」
軽く一礼をし、目線を元に戻す。
ブラッドレイは終始嬉しそうに微笑んでいる。
何がそんなに嬉しいのかね…
私を散々掌で転がしておいて…
ここにいる将軍達も、刑務所での公開尋問に参加した者達ばかりだ。
私が必死で耐えていた姿を見て、心の中で笑っていたのだろう?
この上、監査結果で私をどうしようというのだ…
「監査官のアイザックの意見はどうだ?」
ブラッドレイが僅かに顔を動かし、背後のアイザックに問いかけた。
アイザックも表情をあまり変えずに淡々と話していく。
「緊迫した状況下での大佐殿の対応、部下の行動、信頼度全てにおいてマスタング大佐は期待を遥かに
上回る結果になりました。」
「上官からの信頼度も非常に高いと思われます。」
上官…?私の上官は…
「東方司令部のグラハム中将が何度と無く大佐殿の減刑を申し入れておってな。」
「監査だから対応はせずに無回答を続けていたら直接乗り込んできおった。」
うちの優秀な副官を冤罪で死なせるな、すぐに帰してくれと。この私に向かってそう言い切ったわ。
クククと笑いながらその時の状況を思い出している。
将軍達にも笑みが浮かんでいる。
「仕方がないから監査だという事を極秘に伝えたが…その時の将軍の驚きの顔は見ものでしたな。」
「いやいや、全ての事実を知った時のマスタングの顔が一番だったぞ?」
「ああ、そうですね。あの驚きと屈辱に満ちた表情、忘れられませんよ。」
顔を見せ合い笑う将軍達に、ロイの拳に自然と力が入っていく。
一向に話が進まないのに業を煮やして、ロイが口を開いた。
「それで…私の監査結果はどうなのでしょうか。」
この結果如何で私はどう処遇されるのか?
現状維持かそれとも…
「合格だ。」
ブラッドレイがロイを見据え、ただ一言そう告げる。
それまで笑っていた将軍達も、厳しい表情に戻りロイを見つめていた。
「合格…ですか。ありがとうございます…」
何故だか素直に喜べない。
合格して…私は何をさせられる?
ロイの戸惑った顔を見て、ブラッドレイは眼を細めながら報告書をアイザックに渡した。
アイザックはそれを持ち、ロイのそばまで足を進める。
「どうぞ…監査結果の報告書です。」
無表情で必要以上の事は話さず…
渡し終えるとすっと一礼をし、また再びブラッドレイの背後に立った。
「マスタング大佐は我らの期待に最大限に応えた。よって大佐を准将に昇進させたいと思うのだがどうかね?」
「構いません。マスタング大佐なら充分にその責務を果たせるかと。」
「私も依存は…」
「私も賛成です。」
その場にいた将軍全員が賛成をする。
ブラッドレイも頷いて、ロイの顔をじっと見つめた。
「どうだ…?准将となって改めて軍と国家に尽くしてはくれまいか?」
そのにこやかな表情の裏に何を秘めているのか…
ロイは静かに眼を閉じ、深く息を吸いながらカッと眼を開け、敬礼をかざした。
「ご好意ありがとうございます!私の意見を述べても宜しいでしょうか?」
「構わん、許す。何か不満でもあるのかね?」
隻眼の瞳がロイの身体を貫いていく。
数多くの鋭い視線が、ロイの額に汗を流させていた。
「監査とはいえ、私は閣下のご命令を無視し、コード名を話しませんでした。」
そして私はあなたに剣を向けた…願わくば…あなたを倒そうと…全力で戦った
「これは軍に対する反逆と取られても仕方のない行為でした。事実、グラン准将はそう判断されていました。」
「確かにな…グランが監査だと知った時、非常に憤慨しておったが…」
ヒューズに調べて貰い…グラン准将は一連の事件が監査だった事を知り、ロイが上に挙がるのではないかと
焦っている様だった。あちこちでその不満をぶちまけているらしい。
これが…この場から自分を優位に導く鍵となるかもしれない…
「私がここで准将になっても喜ばない人がおります。それは私の意に反します。」
「ほぉ?君は昇進を望んでいたのではないのかね?」
その為には手段を選ばず、この中の将軍とも身体を差し出した事があったと記憶しておるが?
数人の将軍たちがふっと笑顔を浮かべている。
出世の為に身体を差し出したのではない…
私の上へ行く事への強き思いを利用して、有無を言わさず犯しただけじゃないか…
ロイはぐっと堪えながら、言葉を続けていく。
「私は…軍人として誰もが認める功績を挙げ、その上で閣下のお傍で尽くしたいと存じます。」
「では、今回の昇進は断わると…?」
ブラッドレイのその言葉に皆息を飲み込んだ。
この国の独裁者がお膳立てした監査を否定し、昇進も拒むなど…あってはならない行為だ…
それはブラッドレイに異を唱えるのと同じ。出世の道も絶たれてしまう危険性もある。
だがロイはあえて今回の昇進を断わるつもりだった。
今受けてしまったら…もう逃げられない。
一生この人の足元で這い蹲らなければならないだろう。
それでは駄目なんだ…
上に行くには自らの功績や、上に行かせざるを得ない状況下にしなくては…
「もし許されるのでしたら、このまま現状維持をお願いしたいのですが…」
「ふむ…セントラル勤務も断わると?」
「セントラル勤務は私の目標ですが、今はまだ東方司令部にやり残した事が多く、
今暫くあちらで勉強させて頂きたく、お願い致します。」
すべてを話し終わったロイは、再び静かに眼を閉じる。
どう出るか…このまま押し切られてしまうか、それとも…
「マスタング大佐も…欲のない奴だな。」
「本当に。こういう人物こそ准将に必要なのだが…」
「もう一度考え直してくれないかね?マスタング大佐。」
将軍達の言葉にロイは静かに首を振った。
あなたの思い通りにはならない…
「勝手を申しまして誠に申し訳なく思っております…ですがこのままでは必ず軍務に支障が出るかと思われます。」
私は全てに完璧な状態で閣下のお役に立ちたいと存じます。
言葉に心意は含まれていない。上辺だけの語り語とだ。
それを悟られない様に語る事に随分慣れてしまったな…
あの方がそれを見抜けない人ではないと思いつつも…
将軍達が皆困った表情でブラッドレイを見ている。
全ての判断をこの独裁者に一任するつもりなのだろうか。
「…マスタング大佐がそこまで言うのなら、それも致し方あるまいな。」
この一言でロイは全ての呪縛から開放されていく感じだった。
将軍達は驚きながらも、独裁者がそう判断したなら、と小さく頷いていく。
「では、このまま現状維持で宜しいかな?」
「致し方ありませんな。閣下がお許しになるのなら、マスタング大佐の意思を尊重しましょう。」
「まぁ、大佐の優秀な成績を考慮して、何か一つだけ願いを聞き入れようと思うのですが如何でしょう。」
将軍の一人がブラッドレイに相槌を求めた。
ブラッドレイは静かになずき、それは了承される。
「では、マスタング大佐。何か希望はあるかね?」
その質問に、ロイはすっと顔を上げた。
「ではお言葉に甘えて一つだけお願いがあります!」
その内容に、ブラッドレイは眉をひそめ、アイザックは小さく微笑み頷いていた…
監査結果を終え、ロイはその2日後には東方地区に向かう列車の中に居た。
本来ならまだ病院で安静にしていなければいけないのだが、ロイはすぐにでも中央を出たかった。
でなければ今度こそブラッドレイの足元から離れられなくなりそうな気分に追い込まれ、
居ても立っても居られなくなっていたのだ。
「大丈夫ですか…?」
「あ、ああ。振動で少し傷が痛むけどね。」
心配して最後まで中央に残ったホークアイ中尉が、少し苦痛の表情を見せるロイを気遣う。
もうすぐだ…
もうすぐ何もかも終わる。
東方司令部に戻り、自分の司令室の椅子に早く座りたい。
そうすれば私は、あの方から逃げ切れたと実感できるだろう。
ヒューズに極秘に調べて貰っていたのだが…
過去、監査と思われるテロ事件や国家反逆罪事件に関わった軍将校の消息が忽然と消えていた。
死んだ訳ではなく、処分された訳でもなく。
行方不明と言うわけでもない。
関わった者全てが居なくなっていたのだ。
家族、部下、そして本人…
その事件がおきた後、秘密警察の捜査力が一段と上がっている。
軍内部の摘発や、テロリスト達の一網打尽。
『監査を受けた将校達は、そのまま大総統府配下の秘密諜報部に配属されているようだ。』
証拠は全くないがな。
これがヒューズの調べた結果だった。
そう…もしあの場で准将の地位を受取れば、そのままブラッドレイの命の下に動く完全なる狗と化していただろう。
だが断わればその場で反逆罪と見なされてもおかしくはない状況。
ロイはグラン准将の不満を逆手に、断わって当然の様に話を導いて行ったのだ。
だがそれは危険な賭けだった。
あの場で有無を言わさず准将にされ、地下に潜れと言われたら、ロイにはもうどうしようもない。
だが何故だがロイの主張は素直に通り、ロイの処遇は現状維持で収拾した。
「大佐が監査官にならなくて良かったですわ。」
「そうか?出来ない役ではないと思うが…」
「もし大佐が監査官になどなったら、『面倒くさい』と全ての監査対象を合格にしてしまいそうですから。」
クスッと笑いながら、何か食べるものを食堂車から買ってくると席を立つ。
ロイは一瞬呆気に取られながらも、微笑んで「頼むよ」と見送った。
窓の外を見ながら、監査終了後に話したアイザックの言葉を思い出す。
「監査、ご苦労様でした。これで全て終了です。」
「アイザック…君に一言忠告しておく。」
「はい…?」
「私でも気が付いた…あの方が気が付いていないと思っていたら危険だぞ…」
「そうですね…私もそろそろ潮時かと思っておりました。」
そう言ってにっこり微笑むと、一枚の紙切れをロイに手渡す。
「今度はちゃんと燃やしてくださいね。」
「アイザック…」
「私は地下に潜ります。生きていればまたお会いしましょう。」
さっと敬礼をかざし、アイザックは優雅に微笑んだ。
ロイも怪我をした肩を庇いながら、左手で敬礼をかざす。
立ち去ろうとするロイに、アイザックがすっと腕を掴んで自分のほうへと引き寄せた。
「!?アイザック!」
驚くロイの唇を奪い、舌を絡めて咥内をかき回す。
長いディープキスを終えると、濡れた唇を指で拭い、優雅とは一変した黒い笑みを浮かべて囁いた。
「あなたがあの場で准将の地位を受取ったら、あなたは我が組織のブラックリスト2番目に乗ってましたよ…」
筆頭は誰だかお判りでしょう?
そして突き放すようにロイから離れると、振り返る事無くその場から立ち去って行った…
アイザック・ボーグ…
テロリスト『赤い牙』の幹部…
ブラッドレイ配下の監査官…
ヒューズが調べても、その人物の素性は全くわからなかった…
ロイは手に残った紙を見つめる。
受取ったその紙には、英数字が組み合わさったコード番号と、キーワードが書かれていた。
23T44E867L2L
漆黒の闇より来る者、赤き龍を纏いし救世師となる
前回の、獅子の牙が赤き湖に染まる時…これは大総統府の壊滅を示唆している…
歴史が変わる…近いうちにクーデターでも起こすつもりだったのか…
そしてそのリーダーに今度こそ私がなれと言っているのか…
ヒューズの情報によると、秘密諜報部に配属された人物の暗殺と思われる事件が、ここ最近頻発しているらしい。
名前も素性も明かされていないので、何の証拠もないのだが…
『明らかに内部スパイが居ると見ていいぞ。』
これがヒューズの見解。
そこから導かれる今回の事件の真相…
「赤い牙」は実在に存在するテロ組織だと言うこと。これは過去の事件から実証されている。
あの「赤い牙」のメンバーは全員本物の組織の人間だったんだ。
そしてアイザックも…「赤い牙」の本物の幹部だったんだ。
監査の為に作り上げられた偽りのテロ集団。
実はそれら全てが本物のテロリスト達だったとは…
大胆にも、ブラッドレイの懐にテロリストの幹部が潜入し、軍の内部を内側からスパイしていた…
あるいは逆だったのかもしれない。元々軍監査官だったアイザックが、テロリストとなったのか…
だがそれに私が気が付いたと言う事は、閣下も当然気が付いているはずだ。
地下に潜る…姿をくらますと言う事だろうが…間に合えばいいが…
「大佐…?どうかしましたか…?」
ホークアイの声に、ロイははっとなり、そちらの方へと眼を向ける。
両手に飲料水とサンドイッチを持ったホークアイが、心配そうに立っていた。
「いや、同じ意思を持った者の行く末を心配していただけだ。」
ハボックが言っていた…アイザックの行動がまるで監査官とは思えないほど閣下に対して殺意を抱いていたと。
機会とあらば、あのままクーデターを起こしていてもおかしくなかったと。
「私がその機会を奪ってしまったわけだ…」
「はい?」
「いや、何でもない。」
私があのまま「赤い牙」と手を組んで、閣下の軍とぶつかっていれば、アイザックは監査を捨て、テロリストとして
クーデターを起こしていただろう。
だが私は手を組まず、赤い牙と決別した。
アイザックにとっては思わぬ誤算だっただろうな…
それが良かったのか、悪かったのか…今はもう判断は出来ないが…
この監査は、巧妙に仕組まれた、アイザックのクーデター計画だったんだ…
私と言う囮を使い…閣下を誘き寄せるために…
「もうすぐ東方司令部に帰れますね…」
「そうだな…帰ったらまず将軍にお礼を言わねば…」
流れるような景色を見つめながら、ロイは買ってきたサンドイッチに口を付けた…
To be continues.