視察のため聖地を離れていたジュリアスが、戻ってきた。
　その知らせを聞いたオスカーの胸に、小さな嵐が起こる。
　恋敵の帰還に焦りを覚えるほどに、自分は卑小な男ではないつもりだ。
　けれど。
　相手は、あのジュリアスである。
　多忙な執務の中、この希少なチャンスに何らかのアクションを起こさずにいるはずが無い。
　彼は…もう、クラヴィスに会ったのだろうか。
　くだらない思考ばかりが脳裏に浮かび、オスカーは小さく舌打ちした。
　いつから、こんなに余裕の無い男になったのだろう、自分は。
　立ちばかりがつのり、自己嫌悪が増してゆく。
　見慣れた扉の前で、オスカーはそっと自嘲の笑みを唇に刷いた。
　会いたい…けれど会いたくない。
　こんなにも荒んだ心では。

　水晶球を眺めていたクラヴィスは、ふと扉の向こうに馴染んだ気配を感じた。
　先程思い浮かべた当人の現れに心が粟立つ。
　だが、この違和感は……いつものような強さ熱さが色褪せている。
　何かあったのか…私が気に病む事でもなかろうが…
　それにしても…何をしている？何がしたいのだ？
　すぐに開かれるはずの扉は、いつまで立っても音を立てず、かと言って立ち去る気配もない。
　クラヴィスは、扉の向こうに苛立ったように声を掛けた。
「…オスカー…入る気がなくば立ち去るがいい」

　クラヴィスの声に、はっとしたようにオスカーは顔を上げた。
　気配に敏い方だ。気付かれぬと考える方がおかしいのだろう。
「あなたに会いたい…けれど、今日は会えません」
　扉の向こうにいる愛しい人に、声をかける。
　彼は、どのような表情で自分の言葉を聞いているのだろうか。
「会えば、きっと傷つけてしまいます」
　心の中で、吹き荒れる嵐は収まることを知らず。
　強暴な衝動が、彼を傷つけるのがなによりも恐い。
　分厚い扉に拳を打ちつけて、オスカーは泣き笑いのような表情を浮かべた。
「こんなにも…優しくしたいのに」


　何かを打ち付けた激しい音に、一瞬クラヴィスの身体がビクリと強張る。
　物ではない…拳か？あれだけの音を立てたなら、さぞ痛かろうに……
　つい身体を緊張させたのは、音でなく、その拳に秘められた様々な感情。
　自嘲、苛立ち、哀しみ、愛しさ…オスカーの内から流れ出す想いがクラヴィスに伝わった。
　おまえは、それほどまでに私を求めるのか？
　溢れる感情を持て余し、傷ついているおまえを見放すことはできぬ。
　安らぎを与え癒す…それが闇の守護聖の務め……
　務め…果たしてそれだけなのか？…わからぬ……私自身も気持ちを持て余している…
　おまえに会い話せば…答えが見つかるだろうか。
　クラヴィスは、立ち上がるとゆっくりと扉へと向った。
　何かが確実に変化する…逃げ切れない予感に否応なしに身体が震える。
　扉に手を掛けると落ち着けるように深く息を吐く。そして……押し開いた。
「…いつまでもそこにいられるのは、迷惑だ。入るがいい」

　目の前でゆっくりと扉が開く。
　見慣れた、薄暗い部屋。
　そこに立つクラヴィスの肌だけが白く浮かび上がり、オスカーの目を灼いた。
　言葉ほどに冷たくはない、その表情。
　溢れるほどの優しさを浮かべた瞳に、胸が痛んだ。
　こんなにも愛しい人を、なぜ傷つけられるなどと思ったのだろう。
　オスカーは、クラヴィスの肩を柔らかく抱き締めた。触れて初めて、彼の身体が震えていることに気
付く。
　彼は、どれほどの決意をもってこの扉を開けてくれたのだろうか。
「…あなたの、優しさに……」　
　宥めるように背筋をなで上げながら、掠れた声で告げる。
「……つけこんでもいいですか？」



To be continued...