時間(とき)の流れのように 2
誰かの声を聞いた気がした。誰かの願いが聞こえた気がした。 それは、自らの声だったのかもしれない。 たとえ、絶望の淵にあろうとも。 せめて共に在りたい、と。 全身をかけぬける痛みよりも、指先に感じる温もりに目を覚ます。 うっすらと開いたクラヴィスの瞳に、安堵の表情を浮かべたオスカーが映った。 「……生きて…いたのか……」 にわかには信じられず、小さく声に出してみる。 あの瞬間、確かに死を覚悟した。 朦朧とした意識で最後に視界が捉えた紅も、自らの手を握る力強い腕も、都合の好い幻だと。 そう思っていたのに。 とりあえず身を起こそうとしたが、肩から背中にかけて鋭く走る痛みにそれを阻まれる。 「まだ動かないでください。出血は止まっていますが、かなりの深手です」 慌てたように手を貸すオスカーに、クラヴィスはそっと瞳を伏せる。 「すまない…巻き込んでしまったな…」 「……あなたが気に病むことじゃない…」 そっけない物言いに、胸が痛んだ。 瞳を見交わした瞬間、逃れる術もなく恋をした。 彼の視線を、彼の声を、彼の気配を感じるだけで。 凍りついたはずの心が騒ぐ。 まるで本能がもたらす欲求のように。 強く望む心。 あの男に愛されたい。 しばらく黙り込んでいたオスカーが、不意に口を開く。 「このままここでこうしていても仕方ありませんね。…起き上がれますか?」 オスカーに手を添えられて、ゆっくりと身体を起こす。痛みに一瞬眉を寄せたが、それでもなんとか 上体を起こして座ることができた。 「この崖を登るのはまず不可能でしょう。どこか迂回路を探して、一刻も早く皆と合流した方がいい」 言うとオスカーは、クラヴィスに背を向けて膝をつく。 「つかまってください。あなたには不本意かもしれませんが、俺が背負っていきます」 「…しかし…」 「その怪我で歩くのは無理でしょう」 促されて、クラヴィスはオスカーの背に身を預けた。 (……あたたかい…) 背中から伝わる温もりは、少しだけ居心地を悪くする。 それ以上を欲しがる心を知っているから。 愚かなことなのだろう、きっと。 同じ性を持ち、自らの相反する者に付き従い、守護聖であるという以外にはなんの接点も持たない男 を愛した。 なぜ、これほどまでに惹かれるのか。 理屈以上の強い力で。 「……すまない…」 自分を背負ったまま黙々と進むオスカーに、クラヴィスがそっと声をかける。 返事はない。静寂が痛かった。 「…先ほども言いましたが、あなたが気に病むことじゃありません」 しばしの沈黙の後、静かに告げられる言葉。微かに溜息を吐くクラヴィスに、オスカーは小さく言葉 を継ぐ。 「…俺が、油断したんです……」 その言葉に、クラヴィスは目を見張る。思いもよらない言葉だった。 「俺がもっとしっかりしていれば、誰も傷つかずにすんだでしょう。肝心なときに仲間を守れないのな ら、この剣も、力も意味がない」 憤りを表すように、オスカーの肩が微かに震えている。 「…それこそ、おまえが気に病むことではないだろう。油断したというのなら、皆の責任だ」 「俺は幼い頃より軍人としての訓練を積んできたんです。いざというとき、大切な人を守るために。そ れなのに…俺は…自分が情け無い…」 険しい横顔。 仲間を守りきれなかったことを悔やみ、己を責めているのだろう。 いささか自分に厳しすぎると思う反面、仲間を思う彼がひどく愛しかった。 「おまえは、私を助けてくれた…」 小さく呟いた言葉に、オスカーが降り返る。 「あのときおまえが手を伸ばさなかったら、私はきっと死んでいただろう。ありがとう、オスカー…」 オスカーは驚いたように小さく目を見張ったあと、ふと表情を緩める。 「………ありがとうございます……」 その微かな笑みは、胸をつくほどに優しかった。 それからしばらくは、また無言で歩き続けた。しかし、先ほどのように気まずい沈黙ではない。 居心地のよい静寂を破ったのは、遠くから聞こえる羽音。 「あいつら…まだ仲間がいたのか…」 先ほど崖の上で襲ってきたのと同じモンスター。オスカーの身体が僅かに強張る。 オスカーはクラヴィスを背から降ろすと、腰の長剣に手をかけた。 「あなたはここで待っていてください。すぐに片をつけてきますから」 それだけ告げると、モンスターの大群にひとり向かっていく。 状況は、見るまでもなく不利だった。オスカーは確かに強いが、空を飛ぶモンスターに剣のみで挑む のはどうにも分が悪い。 案の定、モンスターの空からの攻撃にオスカーは苦戦を強いられていた。衣装は見る見る血に染まり、 それでも決してひるまず立ち向かう彼がひどく痛々しい。 これ以上、傷つく姿を見たくなかった。何もできない自分が、ひどく情け無くて。 「もういい!! おまえひとりなら逃げられる。私を置いていけ!!」 「あなたを置いていけるわけがないでしょう!!」 鋭く言い放ちながらも、オスカーは上空のモンスターに切りかかっていく。一匹を倒し、さらに攻撃 を仕掛けようとしたところで、別の一匹に腕を裂かれる。 自己嫌悪に、涙が溢れた。彼があんなに傷ついているのに、動くことは叶わず自分は結局足手まとい にしかなれない。 「もういい…頼むから、逃げてくれ……」 「できません。俺は…守ると決めたんだ…」 ひどく傷つきながらも、オスカーはクラヴィスに笑顔を向ける。 失いたくない。失いたくなんかないのに。 「……おまえを、愛している…」 掠れた声で。濡れた双眸で彼を見上げ、縋るように告げる。 「だから、逃げて…生きてくれ……」 T o p |