突然 知らない男性に知らない大きな屋敷に連れてこられたは、困惑を隠せないまま、なすがまま、されるがまま。
そうしているうちに、屋敷のリビングらしき部屋にまで、つれてこられた。
そして、その部屋に入った途端、その部屋に居た身なりのいい中年男性に頬を張られる。
「この、馬鹿娘が!」
そう強く怒鳴られたけれど、には何が何やらな訳で。
「、心配したのよ」
と、更に同じ部屋に居た、やはり身なりの良い女性が涙ながらに言ってくる。
しかし、にはこの二人が誰なのか、さっぱり解らない。
大体、とは誰なのか。
訳が解らないのに、いきなり頬は張られるし、何より、仕事に行くことも出来なくて。
湧き上がる怒りを抑える事など出来なかった。
「人違いですっ!」
怒りをそのまま語調に乗せて、は言った。
「そんな見え透いた嘘が通用する訳がないだろう、!」
男がの言葉にやはり怒気を含んだ言葉で返す。
「嘘じゃありませんってば!私は。ですっ!」
は男へ強い視線を向けて言い放つ。
だが、それだけでは足らないだろうと考えたは、持っていたバッグから、作業員証明証を取り出す。
それは、の昼の仕事先から発行されている物で、の身分を証明出来る唯一のもの。
写真の付いたそれをみて、男が眉をしかめた。
「本当に……じゃないのか……?」
男がそう言いながらと作業員証明証を交互に見やる。
「違います。人違いです」
はきっぱりと言い放った。
「…まるで、双子を見ているようだ……」
の顔をまじまじと見詰め、男が言う。
「……と瓜二つの女の子が居るなんて……」
いつの間にか、男の隣に女が並んでいて、やはりの顔を見ながら言葉を紡ぐ。
「……帰っても良いですか?仕事、遅刻しちゃってるんで、これ以上遅くなるわけにはいかないんです」
驚いている中年夫婦をよそに、は淡々と言葉を紡ぐ。
家の大きさといい、身なりといい、金持ちの夫婦なんだろうが、は違う。
働かなければお金はない。
妹の医療費が稼げなくなってしまう。
それでは、困るのだ。
「ごめんなさいね、家出して帰ってこない娘にあまりに似てたから……」
女の方が、の言葉に反応して返事を返す。
さらに、をこの屋敷へと連れてきた男に向かっていう。
「沢木、送って差し上げて。彼女の仕事先にも、人違いで迷惑をかけたことを謝っておくのよ」
すると、沢木と呼ばれた男は「かしこまりました」と頭を下げると、に視線を向ける。
「申し訳ございませんでした。お仕事先まで、お送りいたしますのでこちらへ…」
沢木に促され、は彼の後をついて部屋を後にした。
が出て行った部屋では、中年の夫婦達がお互い顔を見合わせて大きなため息をつく。
「…一体何処へ行ってしまったんだ……」
男がそう言って肩を落とす。
男の名は、修一。
石油王と呼ばれ、一代にして莫大の財と名誉を手に入れた男。
「失踪して、もう三週間になるわ…。こんなに探しているのに、見つからないなんて……。このままじゃ…」
修一の妻、深雪はそう言いながら夫の腕に手を添える。
「解っている。跡部の御曹司との暮らしがもうすぐ始まるというのに、間に合うか……」
そう言って、再びため息をつく修一。
「どうするの? が失踪しました、だから縁談はなかったことにしてください、とでも言うつもり?」
そんな修一を見上げて深雪が言う。
彼等の娘 は、ある日突然失踪した。それは、跡部財閥の御曹司との結婚が、決まった矢先の事。
手を尽くして探しているのだが見つからない。
結婚前に花嫁たる娘が失踪など、醜聞も良いところだ。
跡部家の者達に悟られぬよう、夫妻は娘の行方を捜していた。
そのせいで、はと間違えられたのだ。
「そんな事をしたら、私の信用はがた落ちじゃないか。何のために、の失踪をひた隠しにしていると思っている」
修一は咎めるように深雪に向けて言葉を放つ。
「でも、期限までにが見つからないのなら、隠している意味もないわ」 と、修一の言葉を切り返す深雪。
「だから、今こうやってを探しているんじゃないか!」
イライラとなって、修一は思わず声を荒げた。
しかし、深雪は気にする事もなく、言葉を紡ぐ。
「見つからなかったらどうするの?ここ三週間、ずっと探しているのに手がかり一つないのよ?挙句の果てには、よく似た他人を沢木は連れてくるし……」
呆れたような物言いの深雪。
すると、修一の表情がはたと気付いたようなものになる。
「……よく似た…他人……?」
呟くように言う修一。
「…どうしたの?」
夫の様子の変化に戸惑い、深雪は夫の顔をうかがう。
「……あの娘……。に瓜二つだった、あの娘……」
修一のその言葉に、深雪も彼の言わんとしていたことに気付いたらしい。
「……貴方、まさか……」
深雪は夫にハッとした様な眼差しを向ける。
「その、まさかだ」
そうきっぱりと言い放つ修一。
「思いついた案がある……聞くか?」
修一はそういうと、妻になにやらその案の内容を伝える。
「そうね…それが一番の方法だわ…」
深雪はその内容を聞いて小さく頷いた。
だが、修一が考えたその案が、の運命を決めてしまった事を、この時は誰も気付く者は居なかった。
居る筈がなかった。
*
所変わって、そこは仕事帰りのサラリーマンで席を埋め尽くされた居酒屋。
時間はもう夜。
昼間は雨が降っていたが、今の時間は降ってはいない様子だ。
その店は小さな店だが、料理の腕が良い事もあり、隠れた名店として名高い場所だった。
見ず知らずの女性と間違われて連れ去られてしまったは、沢木と言う男性に送られて、仕事先であるこの居酒屋に到着した。
沢木が、人違いで迷惑をかけてしまったことを、この店の大将や女将に説明した事もあって、は怒られなかった。
もともと、勤務態度のいいだったので、時間に遅れたのは何か事故でもあったのかと心配されていたようだ。
「人違いってぇ?災難だったなぁ」
が、いつもなら仕事をしている時間に居なかった事を常連客に問われて、正直に答えると、その客からそんな言葉が返ってきた。
「もう、ホント災難。 なんか、瓜二つだったらしくて……」
客の空いた席を片付けながら、は常連客に言葉を返す。
に親しく声をかけている常連客の名は宍戸亮。
数年前程から、この店の常連となっている商社マン。
と知り合ってまだ数ヶ月程度だが、人のよい性格で、とすぐに仲良くなった。
歳は26と若いが、真面目にすっきりと切り揃えられた黒髪が印象的な男性だ。
「世の中には3人位同じ顔のヤツが居るらしいって言うけど、面白いもんだよな」
宍戸はくすくす笑いながら言う。
「笑い事じゃないですよ、宍戸さん。おかげで、私 見ず知らずのおじさんに殴られたんですよ?仕事は遅刻だし、最悪」
テーブルをふきんで拭きながら、はそう言うと、宍戸を軽く睨んでやる。
「ま、そういうついてない日もたまにはあるだろうさ」
「それはそうですけど…。 でも、人違いなんて二度とゴメンですよ」
相変わらず、くすくすと笑う宍戸の言葉に、はそう言葉を返し、空いた食器の詰まれたお盆を持って厨房裏へと戻ってゆく。
宍戸は、厨房へ戻ってゆくのその後姿を顔に笑みを浮かべたまま見送るのだった。
そして時間は過ぎ、客が一人、また一人と帰ってゆく。
宍戸も、その中の一人となる。
客を店先で見送るのは、の仕事。
「ありがとうございました。また、ごひいきに」
にこりと笑っては宍戸に頭を下げる。
「ああ、またな。今度は、俺の学生時代の後輩連れてくる。大将や女将さんにも、そう伝えといてくれるか?」
その言葉に「はい」とが頷くと、宍戸は満足したように笑顔を浮かべ、に背を向けて道を歩き出す。
「気をつけて、帰ってくださいね」
が宍戸の背中に声をかけると、宍戸は肩越しに振り返り、に軽く手を振った。
そして次の日、は朝から妹 の入院する病院へ行くことにする。
昼間の仕事は、新しい派遣先が見つかるまで休み。
正直、辛いのだけれど、これだけはどうしようもない。
どこかで、新しく仕事を探してみるかと考えながら、はの居る病院へと向かうのだった。
が病室に入ると、「あれ、お姉ちゃん」との不思議そうな声がする。
の来訪がいつもより早いので不思議に思っているのだろう。
「おはよう、。熱はどう?」
ベッドに横たわるに近づきながらが問う。
「今は微熱だよ」
そんな言葉がから返ってくる。
「なら良かった」とはに微笑を向けながら、ベッド近くにあった丸椅子へと腰掛けた。
「お姉ちゃん、仕事は?」
がそんな問いをする。
「昼間はお休みなの。次の派遣先が決まるまでは…」
「なら、暫くは毎日お見舞いにこれるの?」
の言葉に、がまた問う。
は、微笑をに向けて頷いてみせる。
するとも嬉しそうににこりと笑った。
そして、の見舞いを終えたは、彼女の病室を後にする。
朝から、の身の回りの世話や、検査の付き添いをして、時間はあっという間に過ぎた。
しかし、夜の仕事に行くには、少々時間が余る。
どう時間を潰そうかと、そんな事を考えながら病院の玄関をくぐったその時だった。
目の前に、見覚えのある男性が立ちふさがる。
昨日、をお嬢様と言って間違えた、沢木と言う男だ。
沢木は、と視線が合うとすぐペコリと頭を下げた。
の背筋に、とてもとても嫌な予感が走った。
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