手薬煉引いて…てのは、この状況の事を言うんだな。
もうすぐ、がこの社長室へ来る。
少し前に清掃員がこちらへ向かうと秘書の女から連絡があった。
間もなくして、ドアがノックされる。
「清掃のものですが…」と昨日と同様、の声。
入ることを許可すると、が社長室へと入ってくる。
一晩ぶりに見るの姿。
この時間を待ちわびた。
「よぉ、遅かったじゃねぇの。待ちくたびれたぜ?」
俺がそう言うと、は相変わらずニセモノの笑顔を作って、「申し訳御座いません、すぐに掃除を終わらせますね」と言葉を返す。
なぁ、
俺はお前のそんな顔を見たいんじゃない。
そんな言葉を聞きたいんじゃない。
清掃をしているの姿を昨日と同様じっと見詰めた。
そして、この部屋から出てゆくにまた声をかける。
「またな、」と……。

 

 

その夜、俺は夢を見た。
が俺に微笑みかけてくる夢。
あの、俺がずっと見ていたいと願ったあの笑顔を、が俺に向けている。
幸せだと思った。
俺は、そんなの頬に手を伸ばす。
その指先が、の頬に触れようとしたその瞬間。

俺は眼を覚ました。

時間を見れば、もう起床時間。
体内時計が俺を覚醒させたのだろう。
俺は、ベッドに横になったまま大きなため息をついた。
後もう少し眠っている事が出来たなら、俺はに触れていたというのに……。
そう考えて、ふと気付く。
夢の中で触れられたからなんだというのだ。
現実の世界で、触れる事が出来なければ意味が無い。
夢の中だけの住人にをしたいわけじゃない。
を、俺の傍らに。

いつか、同じベッドに横たわり、同じ朝を迎えたい………。

 

 

 

 

俺は、がこの社長室へ来ることを心待ちにしていた。
相変わらず、ニセモノの笑顔ではこの部屋に入ってくる。
どうすれば、お前に近づける?
時折 に声をかけてみたりするが、は丁寧にその話題をやり過ごす。
そして、手際よく清掃を終えてこの部屋から出て行ってしまうんだ。

なぁ、警戒しないでくれよ。
俺はただ、お前を愛してるだけなんだ。
なのに、お前はちっとも気づかないよな。
俺がこんなに想っているのに。
気付いてくれよ。
俺の気持ちに。
愛に。
愛してる。
本当に。
愛してるんだ。
昨日よりも、愛しさが倍増している。
きっと、明日も今日より愛しさが増えてるんだろうな。
愛してる。
、愛してる。
愛してる………。

俺は、静かにため息を付いた。

 

 

 

そしてとうとうが社長室への清掃に来る最後の日がやってきた。
それなのに……。
会議が長引きすぎて、アイツが来る時間には社長室へ戻れそうに無い。
俺は心の中で舌打ちをした。

社長室に帰り着いた頃には、もう、の就業時間が終わっている。
せっかくこの部屋にが来たというのに……。
次にこの部屋に来るのは何時になるだろうな。
結局との距離は離れたままだった。
どうやって、に近づいたらいいものか………。
やはり、根気よく会話を交わすのが一番なんだろうな。
なら、今度はの休憩中に声をかけてみようか。
もう、知らない仲ではないのだし……。
そう思案しながら、何気なしに見やった部屋の隅の観葉植物。
その鉢の傍らに、何か落ちていることに気付いた。
……なんだ?
俺は不思議に思い、その観葉植物に近づく。
鉢の傍らに落ちていたのは、携帯電話だった。
一体誰が…?と一瞬思ったが、もしや…という予感に変わる。
俺は携帯電話を開き、ディスプレイを見た。
待ち受け画面は、にこりと笑う幼子の写真。
その笑顔は、彼女によく似ていた。

もしや…とそう思い、俺は携帯電話を操作し始めた。
画像フォルダを開いてみる。
中からは、やはり待ち受け画面に写っている幼子の写真が。
その中の幾つかには、の姿も映っていた。
やはり、この携帯はのものか……。
そう思いながら、画像を幾つか開いて見てみた。
の姿が映っているものを。
生まれたばかりの幼子を抱くの姿。
幼子に乳を含ませているの姿。
幼子の頬に口付けているの姿。
幼子を抱き上げているの姿。
その全てのの顔は、俺が求めて止まないあの笑顔で飾られている。
愛しさが募ってゆく。
俺は、ディスプレイに映るにそっと口付けを落とす。
馬鹿な事をしているのはわかっている。
本物に口付ける事が、まだ叶わないからそんな事をした。
だが、いつかは実現させる。
その為には、に近づかなければな……。
ああ、いい事を思いついた。
この携帯を使って、計画を立ててやろう。
に近づく為の計画を……。

 

そして俺は、の携帯をスーツの内ポケットに仕舞い、仕事へと戻って行った。

 

 

週明け1日目。
が休憩の時間であろう時間帯。
俺はいつも彼女のいる休憩室へと足を向けた。
は、そこに居た。
休憩室のソファーに、何をするでもなくボーっと座っている。
今日に限って、ドアが閉まってないのは面白いな。
ドアを閉めるのも忘れていたのだろうか。
「おい」と俺はに向かって声をかけた。
はすぐに俺のほうに顔を向ける。
「何の御用ですか、社長?」
がそう言いながらソファーから立ち上がる。
そんなの前で、俺はフッと笑みを浮かべてスーツの内ポケットからの携帯電話を取り出した。
「私の携帯!」
の目の色が変わる。
は慌てた様子で俺のもとへと近づき、俺の手の中にある携帯に手を伸ばした。
だが、そう簡単に返すつもりは無い。
の手が携帯に届く直前に、俺はその携帯を高く掲げるように持ち上げ、彼女の手から引き離す。
何をするんだというの表情。
「あの、それ…返して…いただけませんか?」
内心ではムッとしているだろうクセに、言葉は丁寧に携帯を返すように言ってくる
だが、今は返さない。
「今夜8時、○×駅前公園の時計台下にこい」
俺がそう言うと、は驚いて目を丸くする。
唖然とした様子のに気にもとめず、俺はの携帯電話をスーツの内ポケットに戻し、くるりと踵を返す。
に背を向けて、休憩室へ出ようとした。
が、足を止めて肩越しに振り返る。
言い忘れていた事があったからだ。
「ガキは連れてくるなよ」
ガキなんて連れてこられたら、せっかくの計画が台無しだからな。
俺はそう言い放つと、休憩室から去ってゆく。
は、相変わらずその場に佇んだままのようだ。

 

さぁ、今夜が楽しみだな。
俺は心の中でほくそえんだ。

 

 

 

 

 

 

だが、結局。
俺の計画は実行されなかった。
それどころか…。
俺はそんな計画を立ててしまった事を、酷く後悔する羽目になる。
……浅はか過ぎた…俺は……。

彼女との距離の遠さを知った。







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