昼食の時の腕時計の一件からか、は社長にくっつきたがるようになった。
物に釣られちゃうのか、ちゃん……。
ちなみに、社長の腕時計はの熊さん形リュックの中。
ええ、それはもう嬉しそうに自分でリュックの中に時計を片付けましたよ。
ママの心中も知らずにね。
何も知らない子供だからしょうがないっちゃしょうがないんだけど……。
それで今は私とではなく、社長と手を繋いで歩いてる。
この状況はどうしたらいいんだろう…。
困ったなぁなんて思案していた私に追い討ちが。
「おにぃたん、だっこ」とが社長にせがんだのだ。
「こ…こら、っ!」
私は慌ててを叱る。
けれどは社長の膝にしがみついた状態。
ちゃん…甘えるならママだけにしてよ……。
「、ママが抱っこしてあげるからこっちにおいで」
私が呼んでもは「おにぃたんが いいにょ」と突っ撥ねるし…。
どうして、社長がいいのよ…もう……。
困っている私をよそに、社長はを抱き上げる。
社長に抱きかかえられてはご機嫌。
ママはブルーだよ、ちゃん……。
「おにぃたん あっち」とは自分の行きたい先を指し示しておねだり。
「、お兄さんから下りて自分で歩きなさい」
そう言う私の言葉も「やらもん」の一言でシャットアウト。
挙句の果てには社長の首にしがみつくし……。
ねぇ、ちゃん、その人は貴方のパパじゃないのよ?
ママの働いている所の社長さんなのよ?
てぇ……そんな事、子供にはわかんないかぁ……。
ああ、もう……、腕時計の時の事といい今といい……、ママにも立場ってモンがあるんですけどね、ちゃん……。
「別に、嫌だとは思ってねぇから、いちいち気にしてんなよ」
私の心中、社長にはモロバレだったようで、彼は私にそう言ってくれる。
「すみません、ありがとうございます。……でも、辛くなったらを下ろしてくださいね、歩かせますから」
私がそう言うと、社長は「辛くなったらな」とそう言葉を返した。
でもでも、の爆弾発言は更に続く。
「ちゅぎにょは おにぃたんと にょう」
次に乗るアトラクションへと向かっている途中にそんな事を言い出す。
「あーん?」という社長の顔をちらりと見れば…頬が引き攣ってる。
嫌なんだろうなぁ…。
「、お兄さんは乗れないの。だから、ママと乗ろうね」
私は助け舟のようにそうに言う。
ところがは「やら、おにぃたんとがいい」と我侭。
「ダメよ。我侭言ったらお兄さんが困るでしょ?どうしてそんな事いうの?」
私がそう言い聞かせるんだけど、「おにぃたん といっちょに にょよう?」と社長におねだりし始める。
こらこらこらこら、そんな風に小首かしげて、おねだり顔しないでちゃん。
行く末は悪女ですか?
そんな子に育って欲しくないですよママは。
社長…困った顔してるよ。
すっげぇ乗りたくないんだよ。
こういうの、ホントは興味ないんだろうね。
「いやにょ……?」
悲しそうなの声と表情。
「………解った………」
小さな子供にそんな声と表情されたら、嫌って突っ撥ねるの…難しいよね……。
頷く社長。
でも、どっか遠い目になってますよ社長。
そんな社長に気付きもせず、「わぁい」と嬉しそうに笑う。
「す……スミマセン…、がご迷惑を……」
「……いい、気にするな」
私の謝罪の言葉にそう言葉は返してくれるけど…、嫌そうな様子は感じ取れて。
かなり申し訳ないです……。
アトラクションのVIP用ラウンジへと到着した私たち。
もう、はアトラクションに乗るき満々なので、ショートカットコースへ直行だ。
その直前、「おにぃたんと にょゆかや、ママはここで まっててねぇ」とが言う。
「え、ママは一緒じゃダメなの?」
私が問うと「ダメにょ。おにぃたんとが いいにょ」と。
うあ……、社長の目がさっきより更に遠いよぉ。
「ママも一緒に乗りたいなぁ」と言ってみるけど「ダメにょ。おにぃたんと にゃにょ」とは嫌々と首を振る。
…どうしてこう困らせるような事をしでかしてくれるのか……。
子供ゆえ…とは解っているけれど……どうしよう……。
「……いい、行ってくるから待ってろ……」
どうも社長も腹をくくったらしい。
そう言うと、を抱いたままスタッフの案内にしたがってアトラクションへの通路へと去っていった。
私はラウンジで二人の帰りを待つことに。
社長……マジでごめんなさい……。
ホントに申し訳ない……。
待っている間に、スタッフの人が来て「飲み物はいかがですか?」って聞いてきたけど、丁重にお断りする。
それ以上に乗りたくも無いアトラクションに乗せられた社長の事が気掛かりでしょうがないです。
待つこと二十分程。
「ママぁ〜」と元気な声が聞えてくる。
あ、帰ってきた。
相変わらず、は社長に抱きかかえられていて。
は私に向かって手を振っている。
私は二人のもとへと近づく。
「スミマセンでした……」と私は社長に頭を下げる。
「いや、気にするな」と社長。
なんだろ、私たちの会話こんなんばっかだな……。
「ちゅぎもねぇ、おにぃたんと にょゆにょよぉ」
ニコニコと満面の笑みで言う。
「つ…次もぉ?」
こらこらこらこらこらぁ、ちゃん…お願いだからそれはやめてくれぇ。
「、次はママと乗ろう?ママ、と一緒がいいなぁ」
これ以上社長に迷惑はかけないでくれぇ。
私の思いも空しく……。
「いやにょ。ちゃっき、おにぃたんと やくちょくちたもん」
何時の間にそんな事を約束してんの、ちゃん!
こ の 未 来 の 悪 女 っ 子 め !
「ねぇ〜」とは社長に同意を求める。
「ああ…」と返事をする社長。
でも、さっきよりは嫌じゃないように見えるのは……なんでだろう?
「次は何処に行くんだ、?」
「んちょねぇ…。もっかい にょりたいにょが あゆにょ」
「どれに乗りたいんだ?」
「いちばん ちゃいちょに にょったにょに にょいたいにょ」
「一番最初に乗ったのな」
微妙に雰囲気の変わった社長に小首をかしげている私の前で繰り広げられる会話。
……まるで親子みたいじゃない?
てぇ……何考えてるの、私は。
変な錯覚起こして、馬鹿じゃないの……。
「いくおー、ママぁ」
ボーっと考え事をしていた私に、の声が届く。
気が付けば二人はVIPラウンジの出入り口に居る。
「あ…」と私は二人のもとへと急いで向かった。
社長と一緒に二度目のアトラクションに乗り終えたはご満悦。
でもね、ちゃん……社長に抱っこされたままってのは、いい加減にやめてくんないかなぁ?
「…、いい加減に自分で歩きなさい」
「やら」
「じゃあ、ママが抱っこしてあげるからこっちにおいで」
「やらもん」
そして社長の首にしがみつく。
どうしてこうも聞き訳が悪いのか……。
何かえらく社長に懐いちゃったんだけど……。
私はがっくりと肩を落とす。
「いちいち気にすんなって言ってんだろ」
「そうは言われましても……ご迷惑でしょう?」
「別に……。こういうのも悪くない」
そんな風に言ってくれる社長。
悪くないって……。
まぁ、この先の予行練習と思えばそうなのかな……。
彼だって結婚して子供ができたらこんな事をするのかもしれないだろうし。
なんて考えているところに……。
べちっと額に衝撃。
「いたっ」
私は社長にデコピンされた。
「しけた面してんなっての。俺は迷惑だとは思ってねぇ、こういうのも悪くないと思ってる。いい加減に納得しろよな」
社長が言う。
でも……納得なんて……ねぇ……。
「納得しろっつってんだろ。もう一発食らうか、アーン?」
そう言いながら再びデコピンの用意をする社長。
にしても社長……デコピンなんてちょっと子供っぽ過ぎですよ。
ああ、でも痛いのはいやです。
「わかりました…納得します……すればいいんでしょう?開き直って社長にはの父親役をやってもらいますよ!」
もう殆ど自棄になって私は言葉をつむいだ。
すると、社長の眉がピクリと不機嫌そうにゆがむ。
あれ、の父親役やってもらうって言ったの不味かったかな?
まだ結婚もして無いのに……。
ところが、彼が不機嫌になったのはそんな理由じゃなくて。
「お前…俺の事は名前で呼べって言ったよな」
そう社長に言われて「あ……」と私は自分の発言に気付く。
気をつけて名前で呼ぶようにしてたのに、さっきは思いっきり『社長』って呼んじゃった……。
「どうせお前の事だから、建前では名前で呼んでも頭の中じゃ『社長』のままだったんだろうよ」
社長の言葉にぐうの音も出ない……。
ほら、今だって社長って呼んじゃってるし……。
っていうか、なんで頭の中では『社長』呼びだって解ったんですか?
「なんだかエスパーみたい……」
思わず口から漏れるそんな台詞。
「お前の心理は読みやすすぎなんだよ。考えてる事すぐに顔に出てるしな」
意地悪そうな笑みを浮かべて言う彼。
「私、そんなに考えてる事顔に出てますか?」
私は頬を触りながら彼に問う。
「ああ、丸解りだ。お前もそう思うだろ、なぁ?」
彼はくすくす笑いながら自分の腕に抱いているに同意を求める。
は彼の言った言葉の意味を理解しているわけでも無いのに「うん」と頷く。
「、意味が解って無いのに頷かないの!」
「子供に当たるなよ」
「う………」
思わずに言った言葉に彼が突っ込みをいれて私は思わず言葉に詰まる。
確かに、八つ当たりしちゃったかもだけど……
「酷いママだなぁ」と社長がに言うと「ひどいねぇ」とが言葉を返す。
「もぉ!酷いのは私じゃなくて景吾さんとの方じゃないの!?二人で結託しちゃうし!」
私はむくれて、ついでに景吾さんを睨んでやった。
「別に結託なんてしてねぇよ。ただ、と意見があっただけだし、なぁ?」
私が睨みつけたって景吾さんは相変わらず意地悪そうな笑みのままでそんな事を言う。
も「うん」と頷くし……。
「結託してるじゃない!」
私は思わず大きな声になる。
「あー、ママが おこったぁ」
がその言葉に反応してそんな事を言う。
「怖いな、逃げるぞ」
景吾さんはそう言うと軽く小走りになって私との距離を開ける。
「にげおー」とが景吾さんの腕の中できゃっきゃと笑いながら言う。
「こらぁ、逃げるなぁ!」
私は急いで逃げる二人を追いかけるのだった。
それから、凄く楽しくなった。
今までが楽しくなかったわけでは無いけれど、どこか遠慮とかそういうのがあって、心底楽しめなかったのが現状で。
でも、今はそういうのなんてなくて。
周りにいっぱい居る親子連れに混ざって、私たちも親子連れのようだった。
実際、飲み物を買おうと立ち寄ったお店の女性店員に「カッコいいパパだね」なんてに話しかけられたし。
流石に、そんな事言われると心中複雑になるんだけど……。
でもそんな考えすぐに打ち消した。
楽しい気分をそのままにしておきたいから。
この日の事は、きっといい思い出になる。
私にとってもそうだろうし、にとってもそうの筈。
大人になれば薄れてしまうだろうけれど、きっと心の奥にはずっと残る記憶になる。
そんな一日をくれた景吾さんに心底…心底感謝した。
本当に嬉しかった。
でもそれは一日きりの事だと、そう思ってたの。
だって、もう彼が私たちにこんな事をしてくれるような理由なんてもうないから。
せっかく貰った思い出の一日を、めいっぱいと一緒に楽しもう。
そう思ってた。
遊園地から帰り着けば時間はもう夜。
は遊び疲れてぐっすり眠ってる。
景吾さんに家まで送ってもらって。
アパートの玄関先。
ぐっすり眠ったは景吾さんが抱いている。
私の両手には出かけた時より増えた荷物が。
玄関の鍵を開けて、景吾さんを招きいれ、私も荷物を持って部屋へと入る。
「狭くてスミマセン…」
きっと大きな家に住んでいるのだろう景吾さんには、娘と二人で暮らす1DKのアパートは狭いだろう。
でも、景吾さんはあまり気にした様子もなくて。
のおもちゃや絵本が少しだけ散乱している6畳のダイニングキッチンを興味深げに見回している。
景吾さんにを抱いてもらっている間に、寝室に使っている部屋で用の布団を敷く。
「景吾さん、を寝かせますから……」
ダイニングキッチンにいる景吾さんに私が声をかけると、彼はを抱いたまま寝室へと入ってくる。
そして、景吾さんは眠っているを起こさないように、彼女をそっと布団に寝かせた。
は一瞬だけ身動ぎはしたけれど、何事もなかったかのように眠ってる。
可愛い寝顔の。
今日はきっと楽しかったに違いない。
いっぱいいっぱいはしゃいでいたから。
の寝顔を見つめている私の前で、景吾さんがの額に優しく口付ける。
まるで、父親が娘に口付けを与えるように。
そんな錯覚を感じてしまうような、自然すぎる動きだった。
そして、私は景吾さんを車の近くまで見送る事に。
「今日は、本当にありがとうございました。随分とお世話になってしまって…」
遊園地へのチケットだけじゃない、食事代だって、お土産代だって彼が全部支払った。
私の財布から、お金が一円たりとも出てゆく事はなかったのだ。
「侘びだ…気にすんなっていったろ?」
景吾さんがそんな事をまた言う。
「それにしたって……おつりが出るくらいです…。今度、何かお礼をさせてください。私にできる事…になりますけど……」
私の言葉に「礼なんていらねぇよ」と景吾さんは言葉を返す。
「いえ、私の気がすまないんです。ですから、私にできる事があったらなんでも言ってください。といっても…たいした事が出来るわけじゃ…ないですけど……」
私は景吾さんに詰め寄るようにそう言葉をつむいだ。
すると景吾さんは、一瞬だけ考えたような顔をした。
そして、言う。
「何かあったら…言う。それでいいだろ?」
「はい!そうしてください」
私は嬉しくなってにっこりと笑った。
そこで、私は思い出した。
が景吾さんの腕時計を取り上げたままだった事に。
更に言えば、景吾さんのスーツのジャケットも以前のの病院費用も景吾さんに返さなきゃいけない。
「あ…景吾さんの腕時計、のリュックに入れたまま……」
「ああ、そういえばそうだったな」
私の言葉に景吾さんはたいした事なさそうな返事。
「それだけじゃないですよ、スーツのジャケットもこの前のの病院費用もお返ししなきゃ……。持ってきます!」
私はそう言うとアパートに戻ろうとした。
「どうせ捨てるモンだから、返さなくていいっつったろ」
景吾さんがアパートへと戻ろうとしている私の背中に向かってそんな事を言う。
「え、でも…」
「腕時計はにやったモンだ、そのまま持たせとけ。どうせあの腕時計も捨てるつもりだったモンだしな。それと、金の事は気にするなよ。お前みたいに貧乏人じゃねぇんだ。はした金使ったってたいした事ねぇんだよ」
困って言いよどむ私に景吾さんはかなり高圧的に言う。
でもやっぱり気になっちゃう訳で……。
「そんな……景吾さん……」
「俺が気にすんなって言ってんだ、気にするんじゃねぇ、いいな」
景吾さんは私の心中を察してそんな事を言う。
しかも、命令口調で。
そして、私の返事も聞かず車に乗り込む。
「まって」と引きとめようとしたけれど、車は動き出してそれも出来なくて。
私は呆然と、去ってゆく車を見送るしか出来なかった。
どうしてこんなに強引なのかな。
そういえば、最初から景吾さんは強引だったよね。
今日の事があってすっかり失念してたんだけど……。
結局、返したいものは返せず仕舞。
お世話になるだけなっちゃって……。
お礼にできる事、早く見つかるといいな……。
そんな事を考えていた。
でも、私は気付いていなかった。
彼の気持ちに。
気付ける訳無いじゃない。
私は人の心は読めないんだから……。
back/next |