車窓から見えるは、紺碧の海。
舞台は、高級繁華街から一変した。
高級繁華街のブティックで、ついつい妹のの事を跡部に話してしまった。
まあ、妹としてではなく、友人として話は進めたのだが……。
そんな間に、の状況を思い出して涙がこみ上げてしまった…。
まったく、自分の泣き虫な性格に、嫌気が差してくるなと、は心の中でため息。
そして、後ほど車に戻ってきた跡部に問われる。
「どこか行きたい所はあるか?」
跡部の予定では、あの後 適当な貴金属店でアクセサリーの一つでも選んで彼女にプレゼントしたり、町を二人で並んで歩いたりと跡部は考えていたのだけれど……。
まともにお洒落をしてはいなさそうな発言を彼女がしたので、そうするつもりだったのだ。
けれど、気落ちしてしまった彼女の様子を見て、そのままの予定でよいものかと考え直した。
そんな理由で跡部はに問うたのだった。
行きたい所…と問われて、何故だかは「海…」と答えてしまった。
ただ、なんとなく…思いついたのが海だったのだ。
こんな繁華街に来ておいて、海に行きたいなどと言うなんてと、すぐに思い直し、「あ…やっぱり海じゃなくて…」と言い直そうとした。
けれど、跡部はその言葉を全て言う前ににこりと笑って言った。
「海だな、解った」と。
そして車は走り出す。
この繁華街から遠い場所、海へと……。
車が、砂浜の近くの道路に到着する。
跡部に促され、車を降りる。
そうすれば、海風が潮の香りを運んでくる。
それはとても心地よい香りだった。
そこはまだ、海開き前の、誰も居ない砂浜。
まさに、貸し切状態。
耳に聞えてくるのは海風の音と寄せては返す波の音だけ……。
「綺麗だね、海……」
砂浜にはおりず、道路際にある堤越しに海を見やって、そんな感想を口にする。
「海は好きか?」
行きたい所を問うて答えたのが海だった。
それ程 海が好きなのだろうか?
そう思って問うた事だった。
「うん、好きだよ。綺麗だし、潮の匂いがして、心が落ち着くし…」
は海から視線を逸らさずそう答えた。
「ねぇ、……アナタは…海、好き?」
今度は、がそんな事を聞いてくる。
海にあった筈の視線が跡部のほうを向いていた。
その問いよりも何よりも、跡部には気になった事がある。
「……景吾でいい」
そんな、自分が問うた事の答えとは全く違う答えが返ってきて、は「え?」と眼を丸くする。
「名前…。お前、俺の事まともに名前で呼んだ事ねぇだろ」
跡部にそう言われて、はそういえば…と気付く。
よくよく思い出せば、彼の名をまともに呼んだのは、初対面の時に猫を被って「景吾様」と呼んだ位。
後は、跡部の母親の前で「景吾さん」と呼んだ位か。
しかし、は思い悩む。
名前で呼ぶようにと言われたものの、敬称をどうつければいいのか。
やはり、さん付けがいいのか、それとも様をつけるべきか。
「んと、景吾さん…でいい?」
はとりあえずさん付けで問うてみた。
跡部と同年齢の宍戸の呼び方と同じだ。
けれど跡部はあまり良い顔をしていない。
……景吾様って呼ばなきゃダメか…と、はそう思い、言い直そうとと口を開く。
しかし、言葉を紡がれることは無かった。
「わざわざ敬称つけんな。景吾で…呼び捨てでいい」
が言葉を発する前に、跡部にそう言われてしまったからだ。
跡部の言葉を聞いて、は困惑する。
そんな彼女に、何をそんなに困惑する必要があるのかと思う跡部。
が困惑したのは、目上の人を呼び捨てにした事など、今まで一度たりとも無かったからだ。
「…でも…私、年下だよ?…呼び捨てって…」
の言葉に、彼女の困惑の理由が解り跡部は納得。
礼儀正しいというよりは、頭が固い気がするなと、跡部は心の中で苦笑。
「別に、お前に呼び捨てにされるのはイヤじゃねえし」
跡部はそう言っての頭を撫でてやる。
けれど、は困った様子で。
それもそうだ。
彼女は十も年上の人物を、呼び捨てになどした事が無いのだから。
の年齢からしても八つは年の差がある。
それでも、呼び捨てにして良いのだろうかと、やはりは考えてしまうのだ。
相変わらず困った様子のを見て、跡部は小さくため息。
そして言う。
「俺様が呼び捨てにしろって言ってんだ。素直に俺様の言う事 聞いて呼び捨てで呼べばいいんだよ」
そんな、俺様理論を聞かされて、は呆然。
跡部としては、コレくらい言わないと彼女が納得して自分の名を敬称無しで呼んでくれないのではないかと、そう思っての事だったのだが。
するとは困ったようにため息をついた。
「解った、景吾って呼べばいいのね」と、そう言ったの顔は相変わらず困った様子を醸し出しているのだけれど。
それでも、彼女が自分の名を親しげに呼び捨てにしてくれるのは、跡部にとっては嬉しい事。
「ああ、それでいい」
跡部はそう言いにこりと満面の笑みを浮かべた。
その笑顔を見た途端、は心の中の何かが弾る。
けれど、それは気のせいだとそう思って、気にしない事にした。
は、話の腰が折れてしまったことに気付き、再び問いをかける。
「話、もとに戻すけど……。…っ景吾は、海は好き?」
景吾と名を呼ぶ事に多少抵抗は感じたが、それを飲み込んで言葉を紡ぐ。
そんな様子の彼女は可愛らしいものだと、跡部はそう思いながら、彼女の問いの返答を返そうと言葉を紡ぐ。
「嫌いじゃ、ねえな」
跡部の返答はそんなものだった。
「嫌いじゃない…って事は、好きでもないって事?」
その返答を聞いて疑問に思った事をそのまま問う。
「……ま、どちらかと言えば、川や湖の方が好きだな」と、跡部からはそんな返答が返ってきた。
海よりも川や湖が好きな理由は何故なのだろうか……。
はなんとなく興味を感じて「どうして?」と問うてみた。
すると跡部は頬を緩めて口を開く。
「空気の綺麗な、大自然に囲まれた川や湖は良いもんだぜ。そんな場所で日がな一日 釣り糸たらしてるのも、楽しいしな」
跡部は堤に、頬杖を付いてを見やりながら言う。
「釣り…、お魚釣り、するの?」
跡部の言葉の一片、釣りというフレーズにが食いついてくる。
『お魚釣り』という言い方が随分と可愛らしいと感じるのは、跡部だけなのだろうか。
「最近は忙しくて行ってねぇけどな。フライフィッシングすんだよ」
その言葉を聞いて、は「へぇ」と感心したような声をあげる。
「お魚釣りって、私やったこと無いんだ。面白い?」
は経験の無い釣りに興味を覚え、跡部にそんな事を問う。
「ああ、面白いぜ。特に、釣り上げる前の魚との駆け引きが、最高に楽しいんだ」
駆け引きに勝って魚を釣り上げた時の気持ちよさもたまらねぇなと、そう言う跡部の表情が生き生きとしている。
テニスの他にも、跡部には好きなことがあるのだなと、は思った。
「私も、何時かやってみたいな」
出来る事なら、妹のと…と、心の中で付け加えて、は言う。
「なら、連れて行ってやるよ」
跡部が、の言葉に反応して言った。
「別荘に一泊するほうが、長く楽しめる…。纏まった休みが取れる時が良いな。…今年の夏は、会社のプロジェクトが大詰めの時期でもあるから無理だが、秋…9月の後半から10月にかけてなら、何とかなるだろ……。その頃には式も終わって余裕があるだろうしな」
跡部が半分独り言ちる様にそんな予定を口にする。
「秋には必ず連れて行ってやるよ」と、そう言って跡部はに笑いかけた。
けれど、はうまく笑い返す事が出来ない。
秋といえば、夫妻との契約がとっくに切れている頃。
跡部とは、全くの他人に戻っている頃。
どんなに約束しても、果たされる事など無い。
それが解っているから、どうしてもうまく笑えなかった。
そんなの様子を見て、跡部は思わず「どうした?」と問いかけながら彼女の顔を覗き込む。
は慌てて「なんでもない」と頭を振り、跡部から視線を逸らしたかと思うと、近くにあった堤の切れ目と切れ目の間にある階段を下りて、砂浜へとおりてゆく。
そうやって逃げ出す事で、跡部からの追求を避けたのだ。
うまく嘘をつく自信の無かったに出来るのは、それくらいでしかなかった……。
そんな彼女の姿を見詰めながら跡部はポツリと呟く。
「また、『なんでもない』か……」
そう言った跡部の表情は、酷く寂しげなもの。
まだまだ、彼女との距離が遠い事を、今の会話だけで悟ったからだ。
は、階段の途中で履いていたミュールを脱ぎ捨て、砂浜へ下り、更に波打ち際へと向かった。
波打ち際で寄せては返す波に足を浸す。
波が引くとの踝よりも下まで水面は下がり、波が返ってくると彼女の脹脛や脛を濡らした。
とても冷たい海の水。
それでも、には心地よいもので。
今日は天気もよく気温も高め。
だから、余計に気持ち良いのだろうと、は思う。
太陽の光でキラキラと光る海面はとても美しくて。
は更に深い方へと足を進める。
途中、着ていたワンピースのスカートの裾が濡れてしまわないように、そのスカートの裾の部分を膝上20cm程度の場所で結びつけて。
そうすれば、海水が膝丈の所まで進むことが出来た。
足元を、小さな魚が数匹、群れを成して泳いでいる。
澄んだ海水であるおかげで、海底まで見えて、更にそこに居るヤドカリらしい生き物も見ることが出来た。
小さな海の生き物達を見て、は微笑ましい気分になり、頬が緩む。
ああ、そういえば。
昔、まだ両親が健在であった頃。
両親と妹のと四人でシーズン前の海に来た事があったなと、思い出した。
と二人で波打ち際で遊ぶうち、二人ともびしょ濡れになってしまったんだったと、は思い出をふり返る。
母は困ったような顔で、父は優しい笑顔で、波打ち際で戯れる娘達を見詰めていた。
覚えている。
もう、ずっと昔の記憶。
跡部に行きたい所を問われ「海」と答えたのは、もしかしたら無意識に、楽しかった頃の思い出を思い出せる場所を選んでいたのかもしれない。
は、なんとなくそう思った。
そんな時だ。
「」と、跡部に呼ばれた。
は、海へと向けていた視線をその声の主である跡部の方へと向ける。
「あまり、深い方へは行くな。戻って来い」
跡部が、心配そうにそんな事を言う。
「これ以上先には行かないから、大丈夫だよ」
跡部の言葉に、がそう言葉を返した時だった。
海面が、何故だか先ほどよりも低くなる。
なんだろう?と、が思った瞬間。
ザッパンという音と共に大きな波。
その波はの腰元まで届く高さ。
成す術もなく、の腰から下は海水に濡れてしまった。
下着まで濡れてしまってかなり気持ち悪い。
「うえぇ…」と、情けない声がの口から漏れる。
そんな彼女の様子を見ていた跡部が、呆れたようなため息をつく。
「だから、言わんこっちゃねぇ。時々、大きな波が来るから、あまり深くまで行くなっつったんだよ」
跡部にそう言われ、「うぅ…」と唸るしか出来ない事がは悔しい。
「たく…馬鹿だな、お前」
しょうがないヤツだという表情で跡部が言う。
言い返す言葉が見つからないなのだが、それでもなんだか悔しい気分だ。
けれど、そこで怒ったとしても、筋違いなのでどうしようもない。
とはいえ、どうもあの男の言い方にはムカついてしようがないのも事実で……。
「おら 、もう岸に上がって来い」
跡部が、思案を巡らせているに声をかけて来る。
しかし、それに従うしか術はなさそうだ。
は渋々、跡部のその言葉に従って岸へと向かって歩き出すのだった。
岸に上がり、波打ち際では腰に結んでいたスカートを解いて水気を絞る。
そうすれば、布が含んだ水分の幾らかは絞り出す事が出来た。
けれど、それでも下半身が気持ち悪いのには代わりがなく。
特に下着が濡れてしまったのが、気持ち悪さに拍車をかけている。
「…うぇ、気持ち悪いよぉ…」
の口から、思わずそんな言葉が漏れた。
「人のいう事を気かないからそんな事になるんだよ」
呆れたような口調でそんな事を言う跡部。
悔しいがぐうの音も出ない。
「近くに、うちの系列会社のホテルがある。そこでとりあえず風呂だな」
纏わり付くスカートを忌々しげに見詰めているの頭に手を乗せて跡部が言う。
「……ホテル?」
が跡部の手を頭に乗せたまま顔を上げて小首を傾げる。
「ああ、この近辺は跡部の系列会社の力が強い地域でな。ついでに言うと跡部のプライベートビーチもある。ここは違うがな」
跡部がそんな説明をしてくれた。
さすが金持ち。
プライベートビーチまで所有しているのかと、は思う。
おそらく、自家用クルーザーだのなんだの、思いつくお金持ちが持っているものは全て持っていそうだ。
が、そんな事を考えている事など、跡部は思いつく筈もなく。
「おら、行くぞ」と、の手をにぎり、更にその手を引いて促してくる。
は黙って、それに従って歩きだした跡部の後ろを付いていった。
砂浜に大小二つの足跡。
それは、跡部とが砂浜を離れた後も、暫くの間 残ったまま……。
<あとがき>
ひょえぇぇぇ。
デートが行き成り繁華街から海へ移動だよ。
どういう展開だよ。
おかしくないか?
仕方がないのですよ。
この展開しか思いつかなかったんですよ、、、orz
ほんと、すんません;;
更に、本当は付け加えたかったエピソードもあったんですが、、、、。
長くなりすぎるのでカット。
今後もベタな展開ですので、ああ、神威の頭もこの程度なんだなと、生暖かい目で見てやってください。
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