「おはよう、
そう言って朝の挨拶をする跡部の顔は満面の笑み。
対する、…跡部にとっては…はといえば……。
「おはよ……」
酷く苦しそうな顔をする。
しかし、そんなの様子などお構いなしに跡部はの許へと近づき、ぎゅーっと彼女を抱きしめる。
そして彼女の頬に口付けを落とすのだ。
それが、挨拶程度の軽いものが一度だけならば……も多少の抗体ができようものなのだが……。
生憎そうではない。
それはそれは濃厚な口付けを頬に落とすのだ。
頬に、キスマークをつけてしまうのではないかと思うくらいのキス。
それを何度も何度も繰り返すから、としては堪ったものではない。
それに、は跡部からのスキンシップが苦痛でならない。
なぜなら、彼からもたらされる愛の言葉は、自分ではない他の女性に向けられるはずの言葉であるからだ。

二人で初めてのデート以来、跡部は殊更 を構うようになった。
いままでのように、意地悪な事をするのではなく、愛情あふれるスキンシップをするようになったのだ。
に想いを告げた跡部は、照れる事無く自分の思いを口にする。
「好きだ」と言う言葉は当然の事、更には「愛してる」という言葉まで……。
しかし、彼が呼ぶ名はのそれではなく、全く他人の
当たり前だ。
に身代わり、替え玉でしかないのだから……。
仕事として、割り切ってしまえばよいのだ。
けれど、跡部の真摯な言葉がそうさせてはくれない。
彼が紡ぐ言葉は真剣なものだと、にも解る。
嘘偽りのあるものではないものであると。
跡部の愛情の深さを感じれば感じるほど、の心は酷く痛む。
彼を騙しているというこの事実が、の心を痛めつけてゆく。
妹の為…、妹の病気の治療費と腕によい医者を手に入れる為。
そうは思っても、人を騙して手に入れるもの。
本当にそれで良いのか。
跡部を騙し、彼の気持ちを踏みにじってまで手に入れる事が本当に良い事なのだろうか。
跡部の愛情を感じる度に、は心の中で考えるようになった。
人の愛情を踏みにじって手に入れたお金で、例えが助かっても、本当の意味で喜ぶ事が出来るのだろうか……。
それは、がこの仕事を引き受けたその時から考えていた事で。
けれど、どうしようもない状況なのだから仕方がないのだと、そう思って考えないようにしていたのだ。
汚い事をして手に入れたもので、自分の命が助かっても、は喜ばないような気がする……と……。
そう考えてしまうと、の心は一気に沈んでくる。
本当に、このままで良いのか。
このまま、跡部を騙して、彼の愛情を踏みにじったままで良いのか…と………。

一方の跡部はというと、そんな彼女の心の葛藤に気付いていた。
何かに葛藤しているようだと、それには、己の事も関わっているのだと。
そう気付けども、未だに彼女は跡部に心を開く気配がない。
愛を囁き、抱きしめて、跡部は己の愛情全てを彼女に注いでいた。
そうする事で、彼女の心を開きたかったのだ。
しかし、そう思って行動すればするほど、彼女の表情は曇ってゆく。
愛を注げば注ぐほど、苦しそうな顔をする彼女。
どうしてやれば、彼女を苦しみから解放してやれるのか。
それが解らず戸惑い始めていたのも、また、事実……。

そして、跡部が出勤し、は使用人達共々屋敷に取り残される。
跡部との生活は何の苦労もない楽な生活であるとは思う。
替え玉を始めたばかりの一週間は、社交ダンスのレッスンがみっちりとあったお陰で忙しかったが、今では社交ダンスのレッスンも週に一回きり。
その他に、作法の勉強だなんだというものが多少あるものの、それさえこなしてしまえば、何もする必要はない。
家事も、何もかも使用人がしてくれるのだから。
本来なら、体験する事が出来なかったであろう、悠々自適な生活なのだが、それ故には酷く心が苦しい。
何かやる事があるのなら、それに集中して考えないようにすることが出来る。
けれど、何もやる事がないという事は、それだけ考える時間があると言う事。
自分が今やっている事を、続けたままで良いのかと考えてしまうのだ。
跡部の、優しい笑顔や声色を思うと、心がズキリと痛む。
以前のように、嫌な男のままで跡部が居てくれたなら、それ程 良心の呵責を感じずに済んだかもしれない。
しかし、二人でのデートの一件以来、の跡部へ対する心象は変わってしまっていた。
確かに、俺様で唯我独尊な男ではある。
けれど、優しい一面も持ち合わせている男(ひと)だ。
跡部との日々を暮らすにつれ、知ってゆく跡部景吾と言う男の人となり。
彼を知れば知るほど、彼からの愛情を受ければ受けるほど苦しくなる。
どうすればいいのだろう。
このまま続けていていいのだろうか……。
そんな葛藤を抱えたまま、は答えも出せず日々を過ごすのだった。

 

 

 

ある日の事。
は妹、の見舞いに彼女の入院する病院を訪れていた。
「お姉ちゃん、いらっしゃい」
病室に姿を現したを見るなり、はにっこりと微笑んでそんな言葉で出迎える。
彼女が居るのはベッドの上。
ベッドの背もたれを利用して上半身を起こしている状態だ。
抗がん剤の副作用の為、彼女の頭髪は全て失われた。
それを隠す為、彼女はニット帽を被っている。
初めてのデートの日に跡部が買ったニット帽だ。
幾種類ものデザインのよい、それでいて高価そうなニット帽の数々。
それをにと購入していたらしい。
跡部が泣きそうになったを車に残してブティックに戻った理由を、はその時に理解した。
もちろんその時、はそのニット帽を受け取るのを断った。
けれど、跡部は「俺からの気持ちだ」とそう言って、に無理やりニット帽の入った包みを渡し、更に要らないなら捨ててしまっていいとまで言う。
そこまで言われてしまえば、彼の好意を無下に出来る筈もなく。
結局、貰ったニット帽全てをに届けた。
仕事先の人が、にと買ってくれたものだと…、そう理由をつけて。
は嬉しそうに笑いお礼の言葉と、大切にするという旨を伝えて欲しいと言った。
もちろん、その言葉は跡部に伝えてある。
気に入ってもらえたようなら嬉しいと言った跡部の笑顔は、とても優しいものだった。
顔も知らない他人にまで、そんな気遣いをしてくれる跡部の優しさを踏みにじっている今の現状。
やはり、全てを打ち明けるべきなのかもしれない……。
そう思うのに、どうしても踏ん切りが付かないのは何故なのか。
の心にある、小さなわだかまり。
その理由はすぐに理解する事になる。
すぐに……、その日に……。

「ねぇ、お姉ちゃん?」
見舞いの品として持ってきたリンゴを、に食べさせようと剥いている時の事。
の様子を見詰めていたが声を掛けてくる。
「ん?どうしたの?」
剥いているリンゴに視線はそのままに、は返事を返す。
「お姉ちゃん、元気ないよね。何か嫌な事でもあったの?」
の言葉に、ギクリとなる
彼女の前では、明るく普段のように振舞っていたつもりだった。
自分の抱えている苦しみを見せないようにと。
しかし、十年以上も共に、苦しい時も楽しい時も過ごしたには、彼女の心内をすぐさま悟る事が出来たらしい。
けれどはそれを誤魔化すようにリンゴを剥く手を止めて頭を振った。
「そんな、たいした事じゃないよ。大丈夫、気にしないで」
に視線を向けてにこりと笑ってそう言葉を返すのだが、は納得がいかないと言う顔をしている。
「お姉ちゃん、に嘘ついてない?」
更にそんな事を言われて、の顔が一瞬 強張った。
事実、は嘘をついている。
嬢の替え玉をしている話を一つもしていない。
今までどおり働いているように見せかけているのだ。
そう、は跡部景吾や沢木を除く跡部邸の使用人たちだけでなく、妹のまで騙している。
にそう言われて、更には自分のやっていることの罪深さを感じた。
だからと言って、真実をに伝える勇気をはもてない。
真実を知ったは、人を騙してまで大金を、医者を手に入れようとする自分をどう思うだろう。
例えの為と思ってやっている事でも、許せない事だと言われてしまうのではないか?
たった一人の妹に嫌われ、軽蔑されてしまうのではないだろうか……。
そう考えてしまうと、真実を告げるのは恐ろしい。
今更になって、夫妻の言葉に頷いた自分を後悔している。
あの時、替え玉の仕事など引き受けなければよかった。
本当に、今更思っても仕方のないことなのだけれど…。
「お姉ちゃん?」
不意にに声をかけられた。
どうやら、は思案に囚われていたらしい。
に、話すべきなのだろうか?
自分の行いを……。
しかし、にそんな勇気はわいてこない。
に嫌われるのが怖いのだ。
「ごめん…………」
そう言ったの瞳には、涙が浮かんでいる。
こんな時、泣くのはずるいと解っているのに、頭では泣いてはいけないと思っているのに、こみ上げる涙はどうしようもなくて。
「今は、何も言えないの……。ごめん…、に黙ってる事がある…、けど、今は言う勇気がないの……ごめん……」
零れそうになる涙を堪えて、にはそれだけしか言えなかった。
「そっか……解った。困らせてゴメンね、お姉ちゃん」
の言葉を、は深く追求する事無く、そう言って微笑んだ。
それからのは、先ほどの話などなかったかのように振舞い始めた。
の切り分けたリンゴを美味しそうに頬張って「美味しいリンゴだね」などと感想を述べたり。
病院の先生と看護師たちとどんな会話をしたのだとか、同じ病気を患っている別室の友達とどんな事をしていただとか、そんな事を話してくれたりもした。
普段どおりの態度に戻った
それは、のためを思ってしてくれた事だと解る。
心優しい妹を騙してまで、こんな事をしていていいのだろうか。
こんな正しくない行為を、続けたままでいいのだろうか……。

との面会を終えて、沢木と待ち合わせをしている駅へと向かう。
その途中でも、は考えていた。
真実を、もそうだが跡部にも伝えなければならないと。
その事で、大金や腕のよい医者が手に入らなかったとしても、人を騙して手に入れた汚いモノで命を救われてが喜ぶ筈がない。
そうだ。
間違った事をしていてはいけない。
これ以上、誰かを騙したままではいられない。
夫妻や沢木には悪いが、真実を彼に話そう。
真実を知った跡部はどう思うだろうか。
妻になるはずの女が実は偽物で、本物はどこに居るのか解らない状況である事を。
そして、自分が愛情を注いでいた存在は、お金の為に替え玉を引き受け、彼のご機嫌伺いをするためだけに居たのだと知ったら……。
その時、の脳裏に、初めて彼と対面した時の無機質な彼の表情がよぎった。
優しく微笑んでくれていた跡部のあの顔が、冷たく凍った無表情なあの顔に……。
優しい声色は冷たいものになり、言うのだ。
「よくも今まで騙してくれたな」と……。
を見つめる優しい瞳も、きっと冷たく蔑む瞳になってしまうかもしれない。
そう思った時、の心の奥底から恐怖というものが沸き起こってきた。
跡部に軽蔑され、嫌われてしまう事を恐ろしく感じたのだ。
彼から、今まで向けられていた優しい全てが消えてしまう。
そして、嫌われてしまう。
それが酷く怖い。
怖くて、怖くてたまらない。
彼を騙している事に罪悪感はあるけれど、でも、彼に嫌われるのは怖い。
嫌われたくない……。
そこまで考えた時、は動かしていた足をぴたりと止めた。
人の行き交う往来の中、突然足を止めた少女に、あたりの人々は不思議そうに視線を向けたが、が気にする事はなかった。
はこの時、自分の心の奥にいつの間にか息衝いている感情に気付いてしまった。
本当に、何時の間にだか解らない。
けれど確かに息衝いてしまった感情。
故に、は跡部の愛情を感じるたびに苦しかったのだ。
そして、彼に事実を伝える事に踏ん切りがつかなかったのだ。

 

私は、景吾の事が好きなんだ……。

 

その答えに気づいてしまった時、更に心が重くなるのを感じた。
彼への気持ちに気付いてしまったからこそ、今のままで良いとは思えなくなってくる。
騙されているとも知らず、あれ程までに真摯な愛情を注いでくる跡部の事を思うと、今のままではいけないのだと、そう思えてくる。
彼に、嫌われ軽蔑されてしまうのは仕方がない。
妹の為とはいえ、お金欲しさに、医者欲しさに替え玉などを引き受けてしまったのだから。
自分のやってしまった事は、もう取り返しがつかない。
許してもらえないかもしれないが、全てを話して謝ろう。
例え、お金がもらえなかったとしても、かまわない。
以前の通り、朝も夜も働いて、お金を作れば良い。
楽な道を選ぼうとしたのが間違いだったのだ。
全てを跡部に話して、その後妹のにも全てを打ち明けよう。
二人に嫌われてしまうだろうが、自分のやったことには責任を持たなければ。

そしては再び足を動かし始めた。
その心に、一つの決意を秘めて……。









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<あとがき>
むりやり、展開でもうしわけございません;;
けれど……。
とうとう両思いでございます。
やっとこさ、両思いでございます。
まったく、何時の間に好きになったんでしょうかねぇ……(作者なのにわからんのかっ!・爆)
更にヒロインちゃんは決心を固めましたよ〜。
次の話は、ものめっちゃ短いですが…orz

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