愛しい少女との繋がりが、一切閉ざされてしまった跡部は、途方に暮れていた。
跡部の足は、誰も居ない邸の前に縫い付けられたまま。
夫妻が彼女の身元を知っていると、この屋敷へやってきたというのに、彼らは居ない。
彼等が帰ってくるのを待つか?
そう考えている所に、跡部の所持していた携帯電話がけたたましい音を立てて鳴った。
こんな時になんだ?と思いながら、携帯電話を取り出してディスプレイに目を落とす。
そこには、父の名が表示されている。
父からとなれば、無視するわけにもいかず、跡部は通話ボタンを押して携帯電話を耳に押し当てた。
『今、お前はどこに居る?』
電話に出た跡部に対して、父が言った最初の言葉はそんな彼の居場所を問うものだった。
「……邸の前だ……」
跡部は正直に自分の居場所を答える。
別に邸の前に居る事を隠す必要などないと思ったからだ。
『は、もう居らんだろう…。違うか?』
何かを知っているかのような、父の言葉。
「ああ。の家には誰も居ない」
跡部はその言葉に頷いた。
『夜逃げとはスマートではないが……まぁ、所詮は成金という事か……』
跡部の言葉を聞いた父は、たいして気にもしていない風体で言葉を紡ぐ。
『夜逃げ』という父に言葉に、跡部は思わず眉を跳ね上げる。
夫妻が逃げた?
逃げるという事は、やましい事があるからすることで。
そこで、跡部に思いついた夫妻のやましいことと言えば、例の替え玉の件。
「…親父は、俺の元に居たが替え玉だった事を知ってたのか?」
跡部は父にそんな言葉を問い掛ける。
『ん?あの娘が替え玉である事を、お前が何故知っている?にでも聞いたか……? まぁ、そんな話は良いいか……』
跡部が、替え玉の件を知っている事は、父にとっては予想外の事であったらしい。
少し驚いたような口調ではあったが、父は更に言葉を紡いだ。
『昨日、替え玉の件を知った。……が、達が姿を消したのは別の理由だ』
「別の理由?」
父の意味深な言葉に、眉間の皺を深くする跡部。
父はなにやら知っているような様子。
『そうだ……と、電話口の話ではなんだ。家に戻って来い、景吾。夜逃げしたの家に居ても、何も始まらんだろう。 実家の方に私も帰って来ている』
「ああ、解った」
跡部は、父の言葉に頷き、実家へと戻るべく邸から離れるのだった。
半時ほどで、跡部は実家へと到着した。
玄関で出迎えた、古参の使用人松本につれられて、父が待つというリビングへと向かう。
リビングには、父だけでなく、母も居た。
リビング中央にあるソファーに座っていた母は、何故だか複雑そうな顔で、リビングに顔を出した息子に視線を向けている。
父はといえば、落ち着いた様子でリビングのソファーに座っていた。
母のおかしな様子に、小首を傾げながらも、跡部は一番知りたい事実を知るべく、父と向き合うのだった。
ソファーに並んで座る両親と対面する形で、跡部は向かい側のソファーに一人腰を下ろす。
そして、前置きをする事もなく、夫妻が何故逃げ出したのかを父に問う。
父の口から語られるのは、夫妻が過去行っていた不正の数々。
全ては時効となってしまった事ではあるが、スキャンダルには違いない。
故に、彼らはそのほとぼりが冷めるまで姿をくらました、という訳だ。
なるほど、それで家はもぬけの殻だったのか。
事実を知って、跡部は思わず苦笑する。
これで、跡部家と家が結ばれるという事はなくなるだろう。
スキャンダルを背負った家と、婚姻関係を結ぶなど、ありえるはずがないのだから。
しかし、それは跡部にとってどうでもいい事。
スキャンダルから、婚約話が消えてしまうのは、上流階級ではよくある話だ。
父もそれに慣れているが故に、落ち着いた様子で居るのだろう。
が、跡部が知りたい事は夫妻云々ではない。
「夫妻については、解った。が、俺が一番知りたいのはもっとほかの事だ。 俺が邸に居たのは、それを知るためだった」
跡部は父に向けてそんな言葉を紡ぐ。
電話口で、父は昨日、彼女が替え玉である事を知ったのだと言った。
ならば、父がその少女について何か知っているのではないかと、そう思ったのだ。
「俺はアイツの口から真実を聞いた。……親父達が、どこでアイツが替え玉である事を知ったのかはこの際どうでもいい。今朝、目覚めたらアイツは居なくなっちまってて…、俺はアイツの事を何も知らないんだ…。 なぁ親父、アイツの素性を知っているなら、教えて欲しいんだ。俺は、それを夫妻に会って問うつもりだった」
跡部は正直に、自分が何故邸に行ったのかを告げた。
更に、彼女の素性を知っているならば教えて欲しいという事も。
昨晩 跡部との間の事だけは、正直にいう事は出来なかったけれど……。
すると母は、意味深な視線を己の夫…つまり父に送った。
父の表情は相変わらず、落ち着いたもの。
そして父が、静かに口を開く。
「そんな事を知って、何をするつもりだ?」
跡部の目をしっかりと見据えて、父が問う。
「アイツと結婚する」
父の言葉に、跡部は即答で返した。
父に向けられた視線から目をそらす事も無く……。
その途端だ。
「駄目だ、絶対に許さん!」
父の表情が一気に変わる。
眉間に皺を寄せ、怒りの形相で立ち上がると、父はそう怒鳴った。
「親父にどう反対されようとも、俺はアイツを妻にする。 アイツ以外の女と結婚する気はない」
対する跡部は、静かに父の目を見詰め返し、言葉を返すだけ。
「相応しくない相手との結婚など、俺は絶対に認めん!」
父は頭に血が上っているらしく、強い怒気を孕んだ言葉を跡部にぶつけてくる。
けれど、跡部は怯む事もない。
「相応しい、相応しくないってのは、親父が決める事じゃねぇだろ……」
そんな言葉を心静かに父に返すだけ。
「幸せになれるという保証はどこにもないだろう!?」
跡部の言葉に、納得いかないのだろう。
父は更にそんな事まで言ってくる。
「保証がないからといって、手に入れなかったら余計 不幸になるかもしれねぇ……」
相も変わらず、跡部は落ち着いたもので。
それでも、父は反対だと言いたいのだろう。
次の言葉を紡ごうと口を開く。
けれど、言葉は放たれることは無かった。
「貴方、景吾の気持ちは固まってるわ。何を言っても無駄よ」
そんな母の言葉に遮られて……。
父は口を噤み、憮然とした様子で乱暴にソファーに座った。
「親父…アイツの素性を教えてくれ。知ってるんだろ? 迎えに行きたいんだ…」
不機嫌な顔のまま、横を向いている父に跡部はそう言葉を向けた。
けれど、父は何も答えるつもりはないらしい。
口を噤んでしまっている。
「…お袋…、知ってるなら教えてくれ」
父が駄目なら、母ならば…と、跡部は母に問いを向ける。
すると横から父が口を挟む。
「、余計な事は話すな!」と……。
父にそう命令されてしまうと、母も何もいえないらしく「…ごめんなさい…」と申し訳なさそうに顔をゆがめた。
父からも母からも、彼女の情報は見込めないようだと解った跡部は、ソファーから立ち上がる。
「…なら、解った。こっちで勝手に探す事にする」
そう言って、跡部は父に視線を向けた。
「親父…、何度も言うようだが、俺はアイツと結婚する。アイツ以外の女との縁談を持って来ても無駄だ。どんな事があっても、どんな理由があっても縁談は全て蹴る。の件の様な事になっても、婚姻届に判を押す事は、絶対にありえない。 絶対に…、俺はアイツ以外を妻に迎える気なんかない。このまま、アイツが見つからないのなら、俺は一生独身で居る。 俺の妻になれるのは、この世でただ一人、アイツだけだ」
跡部はそう自分の思いを父に全て語り尽くす。
父は、跡部を睨んだまま何も言葉を返さなかった。
そして跡部は踵を返し、リビングから立ち去るのだった。
跡部が立ち去り、リビングルームに取り残された跡部の両親。
不意に、跡部の父がソファーにぐったりと背を預けて、大きくため息をつく。
「なんだって…こんな事に……」
顔を右手で覆ってそんな言葉を漏らす。
「……黙って、認めてあげたほうが、あの子は幸せになれるんじゃないの…貴方…?」
脱力してしまった夫に、跡部の母はそう言葉を紡ぐ。
けれど、跡部の父は頭を振った。
「俺にはそうは思えない……」
跡部の父はどうしても、結婚を許す気にはなれないらしい。
そう言って否定するのだ。
「困った人ね……貴方って人は………」
頑なな夫の姿を見て、妻は一つため息。
「大切な存在の幸せを願って、何が悪い?」
彼女の発した言葉が気に入らなかったのか、跡部の父はそう言って顔を覆っていた手を離し、妻に視線を向ける。
「悪いとは言ってないわ。 ただ、貴方の思う事だけが全てじゃないと…、そう言ってるだけ」
夫からの睨むような視線に怯む事もせず、跡部の母はそう言葉を返した。
「…お前の言いたい事の意味が、解らないわけじゃない。 だが……やはり、この件に関しては譲ることは出来そうにない」
そんな夫の言葉に、再びため息をつく跡部の母。
「やっぱり、貴方って困った人だわ……」
妻にそんな風に言われても、跡部の父は自分の意志を曲げる気にはなれないようで。
「あの娘の素性に関しては、誰にも他言無用だ。いいな? 誰にも…だ」
跡部の父は妻に対してそう念を押すと、ソファーから立ち上がる。
そして、妻を残してリビングルームから出て行ってしまった。
一人リビングに取り残された、跡部の母。
また、大きなため息がその口から零れ落ちる。
「運命の神様は、どうしてこんなにも意地悪なのかしら……」
そんな言葉と共に……。
<あとがき>
あい、跡部さん、両親に結婚宣言。
つーか、ヒロインの意思は全く関係なし。
ゴーイングマイウェイですな。
でも、跡部ってこんなイメージ強いw
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