「妊娠4週目ですね」
歳若い女医は、感情のない声で言った。
それは、妊娠検査薬で妊娠を知った日から数日後、とある産婦人科での事。
病院へ行こうと言ったのは、宍戸だった。
今後どうするつもりであれ、病院に行くことは不可欠だろうと……。
一人で病院に行くのは怖いだろうからと、宍戸は仕事を休んでの病院に付き合うと言った。
実際に今、の診察が終わるのを宍戸は待合室で待っていてくれている。
ただ、顔見知りという関係であっただけなのに、親身になってくれる宍戸の優しさにはとても感謝していた。
妊娠4週目という女医のその言葉は、の胎内に命が確実に宿っている事を知らせるもの。
そしてはもう、心に決めていた事があった。
妊娠を知った日から、病院に来る日までの間ずっと考えて出した答え。
胎内に宿った命を一人で育ててゆこうと……。
それが、どれだけ苦難の道のりであるか、にはちゃんと解っている。
まだ16歳の娘が、父親の知れない子を産むなどと、世間がどんな目で見るか…簡単に予想が付いた。
だからといって、胎の子を堕ろすなど……にはどうしても出来ない。
例えどんな理由であっても、自分の中に宿った命に罪はないのだから……。
「堕胎を希望されるのでしたら早めに手術をお勧めします。 この同意書に貴女と子供の父親のサインと、貴女のご両親のサインを書いて次回にでも持って来て下さい」
女医は1枚の紙切れを取り出し、そんな事を冷たい口調で言い放ったけれど、心の決まったはその言葉に頷く事はなかった。
そして、診察が終わっては宍戸の待つ待合室へと向かう。
待合室の長椅子に座っていた宍戸は、の姿を見つけるとすぐに立ち上がっての元へと近づいてくる。
「どうだった?」と少し小さな声で問う宍戸には「4週目だそうです」と言葉を返した。
宍戸は「そうか…」とだけ答えて口を噤む。
これから先どうするのか?とは、ここで聞く話ではない。
病院を出てから、どこか喫茶店でもファミリーレストランでも近くにある飲食店に立ち寄ってゆっくり聞くほうがいいだろうと、宍戸はそう考えてその場では何も言わない事にした。
会計だのという細々とした手続きを終わらせた後、と宍戸は病院を後にする。
そして、宍戸は今後についての話を聞こうと帰り道で見つけた喫茶店に立ち寄る事にした。
その喫茶店は、意外と人気の店なのかとても客が多かった。
けれどそのお陰で、二人の会話は誰の耳にも止まらないだろう。
案内された席に二人向き合って座る。
間もなくウェイトレスが二人分の冷とメニューを運んできて、テーブルの上に置いて去ってゆく。
そして、たくさんの話し声の中で、宍戸がポツリと言葉を漏らす。
「これから…どうするつもりなんだ?」
宍戸のその言葉は、の想定内の言葉で。
はすぐさま答えた。
「産みます」と……。
宍戸から視線を逸らさず、真っ直ぐと顔を向けて言ったの言葉に、迷いは一欠けらもないようで。
だから宍戸も、「子供が子供を産んで育てられると思うのか?」だとか、「子供を産んで育てる事がどれだけの苦労なのかわかってるのか?」だとか、そんなありきたりな言葉は紡げなかった。
はとっくに、それらを承知の上で言っているのだと、彼女の迷いない瞳で感じたからだ。
「……妹の事は…どうするんだ? 医療費とか、大変だって前に言ってたよな?」
宍戸はふと心に沸いた疑問をにぶつけてみた。
彼女には病気の妹が居て、その妹の医療費を稼ぐ為に昼夜働いていると聞いていたからだ。
莫大な妹の医療費と、これから掛かるであろう妊娠出産の費用と苦労。
とうてい16歳の子供一人でどうにかできる事じゃない。
けれど、宍戸の心配をよそには「の事は大丈夫です」と言葉を返した。
「今、は父方の伯父が面倒を見てくださってるんです。……私も…実は伯父のお世話になってて……、昼間の仕事はもうしていないんです」
更にそんな事を言う。
詳しく話を聞くと、なんでも彼女の父親には兄が居て、その人が今現在 、姉妹の面倒を見る立場に立っているとの事。
その父親の兄…つまり伯父は資産家であるらしく、はとても良い設備の病院に転院していて、更にもとても良いマンションに住まわせてもらっていて、たくさんの生活費を送ってくれているのだとか。
更に来年からを学校に通わせる予定で入るらしく、今、昼間は雇われた家庭教師と勉強の毎日でいるらしい。
夜の仕事は、どうしても辞めたくなかった事もあって続けてはいるようだけれど……。
「それじゃ…よ…、その伯父さんって人に妊娠の話は…?」
再び浮かんできた問いを宍戸はに投げかける。
「するつもりで居ます……。 伯父さんには怒られてしまうでしょうけど…黙ってはいられませんし……」
の返してきた言葉に宍戸は「そうか…」と言葉を返してすぐ、口を噤んだ。
もそのまま黙り込んでしまう。
そして暫くの間、二人の間に沈黙が下りた。
騒がしい店内で、と宍戸だけ黙ったまま。
どれほど黙り込んでしまったのだろうか。
そして沈黙を破ったのは宍戸のほうだった。
「子供の父親には…何も言わないつもりなのか?」
宍戸の問いに、は静かに頷く。
「……その…父親がどこの誰かってのは…言えない…か…?」
更なる宍戸からの問いにも、は黙って頷くだけ。
「ごめんなさい…宍戸さん…。こんなに親身になってもらってるのに…」
そうは宍戸に謝罪の言葉を継げる。
真実を話せないのは、優しい心遣いで病院にまで付き合ってくれた宍戸には申し訳のない事だと思う。
けれど、どうしても言う事は出来ない。
そんなの気持ちを、宍戸は汲み取ってくれたようで。
「…いや、俺のほうこそ、無理強いしてゴメンな」とそれ以上の追求はしなかった。
そして、宍戸はに問う。
「一人で、子供を産んで育てようと思ってんのか?」
はそんな宍戸の言葉に「はい」と強い意志の篭った言葉で返事を返す。
「一人で…なんて大変だって事は解ってます。辛い事があるって事だって承知してます。でも、お腹の赤ちゃんには何の罪もないんです。何の罪のない人を、死刑になんて出来ません。したくありません。だから、私はどんな事があったってこの子を産んで育てます。 世間が私をどんな目で見たって、お腹の子に悲しい思いをさせてしまうかもしれないけど…でも、生きていればきっといい事がある筈だから。 幸せになれる筈だから……」
そう言葉を紡いだには、もう、一片の迷いも曇りもなかった。
そんなを見て、宍戸も一つの決意を固めた。
彼女の妊娠を知って、そして、その父親には何もいえない事情であるという事も全て知って、ずっと考えていた事。
がどんな事があっても産むのだと、そう決意しているのならば……。
そして宍戸はを真っ直ぐ見詰めて言葉を紡いだ。
「結婚しないか?」
宍戸のその言葉を聞いた途端、の時間が数秒ほど止まった。
驚きのあまり、思考が停止してしまったのだ。
「俺と結婚しないか、?」
宍戸がもう一度 言葉を紡ぐ。
そこでやっと、の思考が動き出す。
「だ…駄目ですっ!」
慌てて頭を振る。
「宍戸さんを巻き込むなんて私には出来ませんっ! これは、私個人の事情であって、宍戸さんには何の関係もない事で……」
宍戸の放った言葉を撤回して欲しくて、は言葉を紡ぐ。
けれど宍戸は自分の言葉をなかった事にするつもりはないらしい。
「だからって、俺はお前を放ってはおけないんだよ」
そう言って、宍戸は食い下がってくる。
「だったら、ただ見守って…応援してくださるだけでいいんですっ」
は必死に頭を振って宍戸の言葉を拒絶する。
「俺と結婚して、胎の子を俺の子として産む方が、未婚で父親の知れない子供を産むよりも世間の目はマシになるだろ? 10代で出産するだけでも世間の目は厳しいんだ。少しでも、マシになるほうがいいに決まってる。 胎の子だって、父親が居た方が良いだろ? お前はそう思わないか?」
宍戸の言葉に、ははっとした。
親の居ない子供に対する世間の目がどれだけ冷たいのか、は体感して知っていたからだ。
父親が居ないだけでも、の体感したものと同等のものがあっておかしくない。
「胎の子の事を考えたら、その方がいい。 俺の事は気にすんな。 もう、首を突っ込んじまったんだ、責任持って最後まで面倒見るのが筋ってもんだろ? それに俺は、何の罪もない子供が、ただ父親が居ないだけで、ただ母親が若いってだけで辛い目に…なんて見過ごすなんてできねぇよ」
更に重ねられる宍戸の言葉にの心は揺さぶられる。
子供の事を考えたならば、宍戸の言葉に甘える事が一番だとはも思う。
けれど、自分の所業を考えれば、彼に甘える事など出来ようはずもない。
「でも…、でも…駄目です……。無理です…私…結婚なんて……」
はそう言って必死に頭を振った。
「どうして、無理なんだ?」
宍戸の問いに、は一瞬声を詰まらせたが、すぐに立ち直って言葉を紡ぐ。
「………こんな事になったのも、全部私が悪いんです。 だから、私一人で何とかしていかなきゃいけない事なんです」と。
すると宍戸は「なんでそんな事言うんだ…?」と更に問うてくる。
彼の問いにどう答えたらいいのか、は一瞬迷ったが、こうなってしまった以上、本当の話をしたほうが良いと思えた。
その方が、宍戸だって怒って面倒なんて見ないと言ってくれるかもしれないと……。
一呼吸の間をおいてから、は口を開いた。
「私…人を騙してお金を手に入れようとしたんです……。とある、資産家の御曹司を…その人の婚約者のフリをして騙し通せたらお金をもらえるって……、そんな言葉に乗って……」
けれど宍戸はそんなの告白に動じた様子はなかった。
怒った様子すら全くないのだ。
「そんな話に乗ったのは、妹の為に金が必要だったからだろ?その時は…必要でやるしかなかったんだろ?」
宍戸はがそんな話に乗った背景をすぐさま理解した。
だから怒る事もなかった。
自分が同じ立場であったなら、やったかもしれないとも…そうも思える。
怒る事も詰る事もせず、優しい言葉を紡ぐ宍戸には酷く困惑した。
は慌てて言葉を紡ぐ。
「でも、私は彼の心を傷つけたんです。私を自分の婚約者だって、そう信じて好きだって言ってくれたのに……。 酷い話でしょ?人の心を弄んでたんですよ…私……。こんな事になったのも、全部全部その報いなんです…。罰なんです。 だから、私は一人で乗り越えなきゃ……。 子供に辛い思いをさせるのは忍びないですけど、私一人で一生懸命幸せにしなきゃ…そうしなきゃいけないんです」
そう言って、は宍戸に甘えられないと必死に訴えた。
すると宍戸は「……どうしても、俺の申し出は受けられないか?」と、そう問うてくる。
「ゴメンなさい、お気持ちはとても嬉しいです。…でも……宍戸さんの申し出は受けられません…」
はそう言いながら宍戸に頭を下げた。
すると宍戸は小さく息をついて「解った…」と頷く。
「お前がそこまで言うなら、もう何も言わない。 でも、どうしても無理だと思ったら、俺を頼って来い。いつでもお前たちを迎えるから…な?」
そんな優しい言葉を相変わらず掛けてくれる宍戸に、は心から感謝していた。
「……ありがとうございます…宍戸さん……」
そう言ったの言葉は心の奥からの気持ちで。
「気にすんな」
礼の言葉を口にしながら頭を下げたにやさしい笑みを向けて宍戸は言う。
「お前の事、応援してる。 だから、頑張れよ」
宍戸の言葉には「はい」と力強く頷いた。
ここまで親身になってくれた宍戸のためにも、自分は頑張らなければと思いながら……。
そしてそれから間もなくの、とある天気の日の昼下がり。
「妊……娠?」
姉からのその言葉は、にとって寝耳に水だった。
最近、は昼間の仕事をせず、家で勉強の毎日で。
それが終わって夜の仕事までに時間が空けば見舞いにやって来てくれた。
そんな姉が、そういえば近頃、なにやら悩んでいるような様子で、どうしたのだろうかと考えていた矢先…。
妊娠したとそんな告白。
混乱する脳内をどうにか落ち着かせながら、は考える。
何故 姉が妊娠してしまったのかと。
するとすぐに、思いついた。
「お姉ちゃん、もしかしてあの…跡部さんて人との……?」
のその言葉に、は迷いもせず頷く。
姉が、自分の為に金持ちの御曹司を騙してまで大金を手に入れようとしていた事は、本人から直接聞いていた。
けれど、途中でそんな事は出来ないと、その相手の御曹司に全てを話して、お金も何も受け取らなかった事も……。
しかしまさか…まさか、姉と御曹司がそんな関係にまでなっていたとは思っても居なかった。
子供ができる…という事は、そういうコトをしなければありえないのだから……。
とはいえ、そうなってしまった過去を変えることなどできないと、にだって解る。
考えるべきは今後の事だ。
はそう思って姉に向かって問いを掛ける。
「これから…どうするの?」と。
するとは「一人で産んで育てる」と答えた。
全く迷った様子も見せないで。
もう、完全に心が決まっていると、にはすぐさま解った。
どんな事があったとしても、は意志を絶対に曲げない所まで決心をしていると。
それは、長年妹として傍に居たからこそすぐに気付いた事で。
は何もかも解っていて、それでいて、一人で子供を産んで育てるとそう言っているのだと。
故にが言える言葉はその言葉だけ。
「病気が治って退院したら、もお姉ちゃんを手伝うよ。 こうやって良い病院に転院させてくれた伯父様にも恩返ししなきゃいけないけど、その前に、今までの為に頑張ってくれたお姉ちゃんに恩返ししたいから……」
の言葉を聞いて、は「うん」と頷いた。
「その為にも、は頑張って病気を治そうね」
はそう言ってのニット帽で包まれた頭を優しく撫でる。
子供を身篭ったからだろうか、その仕種がには母親のような動きに見えた。
<あとがき>
あい、オットコマエな宍戸さんをお送りしております。
宍戸って優しい人だと思う。
人のために親身になれるタイプの。
鳳もそうっぽいけど…。
宍戸の場合、根っからの兄貴肌って感じで、ほっとけねぇ!んじゃ俺がやってやる!的な感じがするw
それにしても、やっぱ加筆修正したいな……。
分解して削って貼り付けてって、結構掛かりそう;
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