その日、居酒屋で仕事をしていたは、ふと下腹部に鈍い痛みを感じた。
生理痛のような痛み。
トイレに入って様子を見れば、出血までしているようで。
しかし、妊娠しているが生理になる筈がない。
まさか赤ちゃんに何か…?
不安に駆られたが、仕事を早退する訳にもいかない。
どうしようかと考えあぐねていた所に、居酒屋の女将が声をかけてきた。
ちゃん、お腹…痛いの? さっきから、お腹押さえてたりするけど……」
の様子をいち早く気付いたらしく、女将はそんな事を問うてくる。
「ちょっと…だけなんですけど……」
女将の問いにはそう曖昧に返事を返す。
は居酒屋の主人達に自分の妊娠を告げていなかった。
だから、妊娠しているにも拘らず腹部に痛みを感じて出血していると言う話など出来るはずもないのだ。
けれど女将は何を思ったのかこう言って来た。
「もう、今日は帰りなさい。何かあったら大変だわ。 今日はそれ程忙しくもないから、ちゃんが帰っちゃっても平気よ」
その口ぶりは、が妊娠している事を知っているようにも聞える。
は目をぱちくりとさせて女将を見た。
しかし女将は、何も言わなくてよいとばかりに微笑んで「ほら、帰り支度して。 主人には伝えておくわ」との背中を押す。
今、自分の体がどうなっているのか解らない状態で、無理して働く訳にもいかない。
は女将の言葉に甘えて、帰宅する事にした。

家に帰宅する途中、は携帯電話で以前妊娠検査をした病院に連絡を入れる。
妊娠しているにも拘らず腹部に鈍痛と出血があったとそう伝えれば、電話を受けた医者らしき女性が事務的な言葉で返事を返してきた。
「横になって体を休めた状態で暫く様子を見てください」
まるで、たいした事じゃないといわんばかりの言葉使いで女性は言う。
不安を感じては「それで大丈夫なのですか?」と思わず問いを返す。
すると女性は「大丈夫でしょう」と返事を返してきた。
なんでも、妊娠中に痛みと出血が起こる事はあまり珍しい事でもないらしく、大抵が安静にしていれば乗り越えられる事態であるらしい。
そんな返事をされれば、もそれを信じるしかなく。
「出血や痛みが酷くなるようでしたら、来院してください」という女性の言葉に頷いて通話を終わらせた。
そして、ゆっくりとした足取りで帰路を進んでゆくのだった。

 

家に帰りついたは、指示通りベッドに横になる事に。
着替えるのもそこそこに、相変わらず痛む腹部を両腕で抱えるようにして、は体をベッドに預ける。
不安はいっぱいだ。
しかし安静にしていれば乗り越えられる事だと電話では言っていたし、こうやって休んでいれば大丈夫だとそう信じる事にした。

だが……。
時間が経つにつれ、痛みに波を感じるようになってきた。
激痛が走ったかと思えば、和らぐ。
それを何度も繰り返す。
更に、出血の状況も、以前より酷くなってきている様子で。
日付が変わる前の今では、歩き回る事すら辛いほど、腹部の鈍痛は強くなっていた。
言葉を紡ぐ事もうまくいかない程の痛み。
は、どうにかこうにかベッド脇の床に放置したままにしている鞄から携帯電話を取り出す。
激痛に度々襲われる為に自分だけでは、病院に行くことなど出来できそうにない。
誰か助けを求めなければ。

そんな事を考えていた時だった。
突然鳴り出す携帯電話。
渡りに船だと、は思った。
そしてはディスプレイも確認せずに通話ボタンを押して電話を耳に押し当てた。
声を出そうとしたのだが、痛みで上手く声が出なかったらしい。
口から漏れたのは苦しそうに喘ぐ音だけ。
すると、電話の向こうから聞き覚えのある男性の声が聞えてきた。
……?』
若い男の声。
しかし、宍戸の声ではない。
山岡の声でもない。
聞く事が出来なくなって、それ程長い時間は経っていないと思うのに懐かしい声。
それでいてずっと聞きたかった声。
自分の名をその声で読んでくれる筈がなかったのに……。
けれど、そんな事などにはどうでもよい事で。
今はただ、力を振り絞って言葉を紡ぐだけ。
「助けて…」
弱々しい声だった。
聞えていない声だったかもしれない。
はもう一度電話の向こうの彼に助けを求めた。
尋常ではない胎の痛み。
子供に何かあったのではないかと、は酷く不安だった。
は再び言葉を紡ぐ。
「景吾……助けて……」と。
赤ちゃんを助けて…と……。

の声は彼に…跡部に届いたようで。
『今…何処にいる?家か?!』
そんな跡部の声がの耳に届く。
「うん」と消え入りそうな声で返事をしたが、それでも跡部は聞き取ってくれたらしい。
『家にいるんだな? 解った、すぐに行くから、待ってろ!』
跡部はそう強く言い放つと、すぐさま通話を切った。
は携帯電話をベッドの上に置き、再び胎を抱えて蹲る。
色々と、考えるべき事はあった。
けれど、腹部の鈍痛が酷く、まともに思考は働かない。
ただ、は待つだけ。
彼が助けに来てくれる事を……。

 

苦しそうなとの通話を終わらせた後、跡部はすぐさま自室の片隅にある小さな引き出しへ向かった。
その中に、跡部の愛車の鍵があるのだ。
何時も使っている運転手付きの車は、宍戸を家に送る為に使っている。
したがって、今すぐ使える車は跡部の愛車だけとなってしまう。
愛車の鍵を手にした跡部は、自室から飛び出した。
その様子に驚いて、清音が何事かと言っていたようだが、そんなものにかまっている余裕などない。
電話口では苦しそうにしていた。
きっと何事か起こったに違いない。
彼女にもしもの事があったら……。
そんな不吉な考えがよぎり、跡部を更に焦らせた。

車庫に収められていた車に乗り込み、エンジンを掛けるとすぐさま車を走らせる。
カーナビで宍戸から聞き出した彼女のマンションまでの道のりを探しだす事も忘れない。
そうして跡部は、彼女いるマンションへ急ぐのだった。
 

 

 

あれから、幾程時間が過ぎただろうか?
痛みでベッドに蹲りながらは思う。
電話が終わってから随分と時間が過ぎたように感じる。
それが、正常なのかそうでないのかも、痛みに支配されたの頭では解らない。
その間にも、出血は続き、激痛の波が襲ってくる。
胎の赤ん坊は大丈夫なのだろうか。
それが酷く気掛かりでならない。

そんな時だった。
呼び出しのチャイムが鳴る音がの耳に届いた。
マンション出入り口からの、呼び出しチャイムだ。
きっと、彼だとは思った。
運良く、今は痛みはあるものの激痛ではない。
は、ベッドから降り、リビングへとよたよたとした足取りへ向かった。
マンションの出入り口にある自動ドアは、暗証番号と静脈認証で開けるか、部屋からのコントロールで開けるかのどちらかしかない。
今の場合は、が部屋からコントロールして開けるしかないのだ。
だからは必死な思いでそのコントロールが出来るリビングへと向かった。
どうにかこうにかリビングにたどり着いて、マンションで入り口の自動ドアは開いく。
けれど、それだけではない事に気付いていた。
今度は、この部屋の玄関の鍵を開けなければならないのだ。
は再びよろよろと、今度は玄関口へと向かった。
リビングから玄関口まではそれ程遠い訳ではない。
けれどには酷く遠い道のりに思えた。
そして、やっとの事で玄関口にたどり着いたは、玄関の鍵を開けるとすぐさまその場に座り込んで蹲る。
再び激痛の波には飲み込まれ、動けなくなっていた。
 

それから間もなくして、玄関のドアが慌しく開く。
っ!」と自分の本当の名を呼ぶ彼の声が聞えて、は頭を上げた。
目の前に、同じ目線にいるのは、会いたくても会えないと思っていた愛しい彼…跡部景吾の姿。
の事を心配そうに見つめる彼の姿。
それを見た途端、の両目から涙が溢れ出す。
そしては彼に縋るように言葉を紡いだ。
「…赤ちゃんを…助けて……」
のその言葉に跡部はすぐさま頷いた。
「すぐに、病院に連れて行ってやるからな!」
心強いその言葉に、は幾らか安堵する。
両の目から零れ落ちる涙も、収まってゆく。
頼ってはいけないとそう思っていた彼なのに。
けれど、今は彼に頼るほか考えられなくて。

そして、跡部に連れられて、は病院に向かうのだった。
 

間もなく、は跡部に連れられて病院へと到着した。
そして、すぐさま処置室へと運び込まれる。
彼女の処置を担当するのは壮年のベテランだろうと思われる女医。
けれどその女医からもたらされたのは、悲しい結末。
流産。
女医のその言葉を聞いた瞬間、の目の前が闇に染まった。

一方跡部は、一人処置室のドアの前、廊下に据え付けられている長いすに座り祈っていた。
と赤ん坊の無事を……。

せっかく再会できたというのに。
せっかく授かった命だというのに……。
どちらも失いたくはなかった。

けれど、神は跡部の願いを聞き入れてなどくれなかった……。
が処置室へと運ばれて、どれほどの時間が経ったのかは解らないが、処置室から女医が出てきた。

跡部は椅子から立ち上がり、彼女に向けて視線を向ける。
二人の安否はどうなのか?と問えば、女医は跡部にとって悲しい事実を告げた。
「赤ちゃんは、助かりませんでした」
そんな、跡部の目の前を真っ暗に染めてしまうような言葉を……。

女医の言葉に、跡部は何故?と思った。
何故助からないのか?と。
その言葉を紡ごうにも、口が思うように動いてはくれない。
女医の言葉はそれほどまでに跡部に衝撃を与えていたのだ。
「進行流産のようです。 このまま放っておくと、母体にも危険が及びますのですぐ手術に掛かります」
そんな女医の言葉に、跡部はただ頷くしか出来ない。
そして呆然とするだけ。
女医が処置室へと去った後も、彼はその場に立ち尽くしたまま、動けなかった。









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<あとがき>
すいません;;
いろいろと、すんません;;
死ネタ、ネガティブ系書けないとかいっときながら……;

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