いつの間に、眠ってしまったのだろう…。
は、今時分が眠っているという事に気付いた。
気持ちよさそうなベッドの誘惑に負けて、少しだけと横になってみたのが運の尽き。
睡魔に襲われてしまったらしい。
それにしても先ほどから、耳に感じるおかしな感覚はなんなのか。
もぞもぞとしたり、時折濡れた何かが滑ってゆく感覚を感じたり。
訳の解らない感覚に、は戸惑い、眼を覚まさなければと考え始める。
すると今度は、足元になにやら違和感を感じた。
脹脛から膝、太股の裏を通って内股へ這い上がってくる感触。
まるで触られているような……。
触られてるような?とは思わず小首をかしげる。
そして、瞼を開いた。
すると、誰かの肩らしい部位が視界に入る。
目覚めたおかげで、クリアに聞えてくる音。
ぴちゃぴちゃというその音。
自身の顔の真横に誰かの顔がある。
更に、相変わらずある足元のおかしな感覚は、スカートの中へと入り込んで上へ上へと移動してきており、今にも彼女の中心へと到達しそうだ。
一瞬、真っ白になるの思考。
そして次の瞬間「ぎゃぁぁぁっ!」という、悲鳴と共に大暴れ。
手足をばたつかせ、思い切り暴れるものだから、上にかぶさっていた彼は驚き怯む。
「おい、落ち着け」と彼が声をかけるが、は彼が怯んだ事に気付いておらず、思い切り手を振り上げた。
バチン…というよりは、ガチンという酷く鈍い音が、の耳に聞え、振り上げた手の甲に鈍い痛みが広がる。
そこでやっと、は我に戻った。
上半身を起すと、目の前には、頬を押さえて肩を震わせている男の姿。
「あ…」と思わずが言葉を漏らす。
なにせ、彼は跡部景吾。
の婚約者。
何故この部屋に来ているのか、理由がさっぱりなのだが、それ以上にマズい事になったような気がする。
先ほど振り上げたの手の甲が、彼の頬にクリーンヒットした事は、全ての事象を考えれば明白だった。
「つ…てぇ……」と跡部が唸る。
彼は頬を押さえながら、をじろりと睨む。
その視線にはビクリとして硬直する。
「この俺様を殴るとは……、いい度胸してやがるな、小娘」
低い声でそう言われて、恐ろしさに体が竦む。
が……よくよく考えてみよう。
この男は、何故かの眠るこの部屋にやってきて、不埒な事をやっていたのだ。
それに驚いて、大暴れして、更にその勢いで頬を張られた。
………これってただの逆切れじゃん。
は即座に思った。
寝込みを襲っておいて、反撃されていい度胸だなどとのたまうなんて、逆切れ以外のなんでもない。
「ふざけないでよ…、どう考えても、殴られても仕方ないことしてたのはあんたでしょうが!」
正常な思考に戻ったは、跡部を睨み返して怒鳴る。
「あぁ?寝てるから起してやってたんだろーが」
跡部は悪びれる事もなくそんな言葉で言い返す。
「嘘吐け!あんた確実にセクハラしてたでしょう?!寝てる女の子を襲うなんて、サイテー!」
仔猫が毛を逆立てるかのように怒りをあらわにしている。
しかし、跡部はひるむ事もない。
「夫が妻に触れる事の何処がセクハラなんだよ。んな事言ってちゃ、セックスも出来ねぇじゃねぇか」
恥じる事もなく、露骨な台詞を吐く跡部。
の顔が一気に朱くなった。
「んな…、な…なぁ…」と、言葉にもならない声を零しながら、は口をパクパクとさせる。
「何、朱くなってんだ?もしかして、想像しちまったのか?あーん?」
くくくと喉の奥で笑いながら、跡部は言葉を紡ぐ。
「なっ、そんな事…ある訳ないでしょ!」
は慌てて頭を振った。
しかし、跡部は笑いをやめない。
「さっきは俺に耳やら足やら弄られて、いい声で啼いてたくせに何言ってやがる」
そんな事を言いながら口元をニヤリとゆがめる。
「んな…っ!」
跡部の言葉に、顔どころか体までもが朱くなってゆく。
眠っていたに、この男は何処まで不埒な行為をしていたのか。
「寝ててあんなにいい声なんだ、本番はさぞかしもっと可愛いんだろうな」
跡部はそう言いながら、一旦離れていた距離を再び縮める。
抵抗しようとしたの両手をいとも簡単に封印し、跡部は彼女をベッドに押し倒す。
「やだ…やめてよ」と言うの言葉に耳を傾けることもせず、跡部はの顔の自分の顔を近づけてくる。
「せっかくベッドの上だ、今から本番と…イこうぜ」
低い声で跡部は言うとはうっとりと瞳を閉じ、の唇に自分の唇を重ね………られなかった。
「そのような事は、夜の褥でやってください」という、ぴしゃりとした女性の声が聞えたからだ。
跡部の動きがぴたりと止まり、から顔を離して声の主の方へ首だけをめぐらせる。
「今は、アフタヌーンティーのお時間ですのよ、景吾様。様をご寵愛なさるのは構いませんが、TPOをお考え下さいませ」
そう淡々と言葉を紡ぐのは、この屋敷の使用人たちを統括する女性、清音。
この屋敷の使用人の中で、唯一 跡部と対等に話せる人物でもある。
清音の言葉に、跡部は不快そうに眉をしかめたが、「しかたねぇな」と呟くと、のほうに向き直る。
それは、一瞬の出来事だった。
ちゅ…という軽い音と共に、の唇に柔らかな感触、更に目の前には美しい男のドアップ。
「続きは夜にな」と言う言葉が聞こえ、男の顔はあっという間に遠ざかっていった。
が、にはそのような事はどうでもいい。
今……、何された?
真っ白になった思考が働くまでに、酷く時間を要した。
「おら、お前もいつまでも寝てんなよ。リビングで茶の時間だ……て、おい?」
跡部はさっさとからはなれてベッドから降りると、彼女に視線を向けて言葉を紡ぐ。
けれど、の様子がおかしい。
「アーン?」と怪訝そうに小首を傾げてしまう跡部。
寝室の出入り口にいる清音も、不思議そうにの様子を伺っている。
「いま……たの……」とがブツブツと言い始め、唇に自分の右手を持ってゆく。
指先で、自分の唇に触れる。
「いま…キス…された…の……?」
自分で言って更に実感した、先ほど起こった悲劇。
次の瞬間、は転げるようにベッドから下りて、脱兎のごとく寝室から飛び出し、何故かバスルームへと飛び込んでしまった。
寝室に居た跡部と清音は、あまりの展開に思考が着いてゆかず、呆然と事の成り行きを見守るしか出来ない。
と、その時、プライベートルームの方へ「失礼します」と言う声と共に入ってくる人物がいた。
……本当は……専属の使用人、沢木である。
「うわーん」という声が、何故かバスルームから聞こえ、沢木はたいそう驚いた。
「どうかされましたか、お嬢様?!」と、慌ててバスルームの方へと向かう。
バスルームの中は、洗面所、脱衣所、浴室、トイレと分かれているのだが、の声はトイレから聞えてくる。
どうやらは、トイレに篭ってしまったようなのだ。
この屋敷は部屋に鍵をつけて居ないことが多いのだが、流石にトイレだけは鍵をつけてある。
だからといって、何故こんな所に篭ってしまったのか……。
トイレのドアの向こうで、わんわん泣いている。
するとそこへ、呆然としていた状態から立ち直った跡部と清音もやってくる。
「……失礼な事をお聞きしますが…、お嬢様に何かなさったんですか?」
尋常ならざるの様子に、沢木は思わず跡部達に問う。
「だだキスしてやっただけだ」
沢木の問いに、即答で返す跡部。
「…キス…ですか?」と沢木は問い返す。
「キスっつっても、簡単なバードキス程度だぜ。ちょっと唇が触れた程度だっての」
跡部としては、あの程度のキスでまさかこれほどまでの反応を返されるとは思っても見なかったのだ。
「様は初心でらっしゃるのでしょう。行き成り不意打ちでやられたら、驚くのは当然ではありませんか?」
そんな風に淡々と言葉を紡いだのは清音。
「はっ!は18なんだろ、キスの一つや二つくらい、経験……」
「初めてだったんだもん、バカ---ー!!!」
清音の言葉に跡部が小馬鹿にしたように言葉を紡いでいたら、途中の台詞をの台詞で遮られた。
どうやら、外の会話は聞えているらしい。
しかし跡部はそのような事を気にしていられないほど絶句。
今時18にもなって、ファーストキスがさっきのだったなんて、どれだけ天然記念物なんだ?と、跡部は思わずには居られない。
跡部は知らない、彼女がまだ16歳であるという事を……。
「お前、もしかしなくても処女か?」
思わずそんな問いが跡部の口から漏れた。
すると……。
「さらりと そんな いやらしい事を聞くな、ヘンタイ男ーーー!うわ〜〜〜〜〜んっっ!!!!」
は更に大泣きしてしまった。
ちょっとだけ、自分の言葉が失言だったと跡部は後悔。
そんな時、「あの…景吾様……」と沢木が遠慮がちに跡部に声をかけてきた。
「なんだ?」と跡部は沢木に視線を向ける。
「お嬢様は少々興奮なさっていらっしゃるようですので、落ち着くまでそっとしておいていただけますか?落ち着けば多少お話も出来ますでしょうし……」
沢木の言葉にはかなり突っ込みどころ満載のような気がする。
は少々どころかかなり興奮しているし、落ち着いても多少しか話が出来ない辺りが、言葉の突っ込みどころだ。
しかし、跡部はそれを気にしないことにした。
「沢木さんの言うとおりですわ」という清音の言葉もあったからだ。
跡部は小さくため息をつくと、「しかたねぇな」とトイレの前から離れ、バスルームから出て行く。
それに従って、清音もバスルームから出てゆく。
トイレの中では、相変わらずが大泣きしている。
同棲初日から、どうしてこうも大騒ぎになってしまうのか……。
跡部と清音が、更にの私室から出て行ってしまったあと、沢木は一人で頭を抱えて項垂れるのだった。
一方、の私室から出て行った跡部と清音は……。
「あら、坊ちゃま、頬が赤いですわよ?」と、清音が気が付いたように言う。
すると跡部も先ほどに殴られたことを思い出す。
「あ…そういや、アイツに殴られたんだっけか……。あまりにありえない展開にすっかり忘れてたぜ……」
跡部は殴られた頬を指先で撫でながら言葉を紡ぐ。
そして、すぐに「清音、しれっと坊ちゃまって呼んでんじゃねぇ」という清音の言葉遣いに突っ込みも忘れない。
「あら、つい…。申し訳ございません、景吾様。冷やしたタオルを持ってきますわ。リビングにお茶の用意は出来ていますけれど、様があの状態でしたら、アフタヌーンティーは出来そうになさそうですわね……」
清音は、相変わらず冷静に言葉を紡ぐ。
「……俺が悪いって言いてぇのかよ?」
跡部は清音をじろりと睨む。
「さぁ、どうでしょう?ですが、これ以上様のご機嫌を損ねて、大騒ぎになるのはやめて頂きたいですわね。せっかく準備した物が台無しになってしまうというのは寂しいですから」
跡部ににらまれていながらも、ここまでズケズケと言えるのは、清音ぐらいなものだろう。
跡部は不機嫌そうに鼻を鳴らすと、「部屋に戻る」とそう短く言って歩調を速めて清音からぐんぐん遠ざかる。
清音はそんな跡部に何をいうこともなく、ただその背中を見守るのだった。
そして、トイレの中のは……。
相変わらずわんわん泣きっぱなしだった。
<あとがき>
きゃほー。
相変わらず、跡部さんがセクハラ大王。
ヒロインちゃん、超初心でおねんね少女でいらっしゃいます。
今時、16でキス経験のない子だって、希少価値の天然記念物かもしれませんけど…。
そうでもないですかね?
跡部の使用人さん清音さん。
おそらく跡部への突っ込み担当はこの人だと思います。
ええ、きっと…… |