…こんなことがいつまで続くのだろう。
自分はいつまで続ける気なのだろう。
やばいことは頭では理解している。
こうも頻繁にサニーの家に通っていたら誰に見られるか分からない。
わかっているのに、やめられない。
理解しているからとやめられるのならば、大河への想いだって消せるはずなのだ。

「あら、昴さん…。おはようございます、こんなに朝早くからおじさまに御用だったんですか?」
ドアを開けた瞬間に聞こえてきた声に青ざめる。
落ち着け、と自分に言い聞かせて笑顔で彼女に振り向く。
「おはよう、ダイアナ。君もサニーサイドに用かい?」
「ええ、朝の散歩にセントラルパークへ来たのでついでにおじさまにもご挨拶をしていこうかと思って」
ダイアナは口に手を当ててふふ、と笑う。彼女の癖だ。
「…朝のセントラルパークは空気が澄んでいて気持ちがいいからね。僕もそのついでに立ち寄ったんだ」
「まぁ…そうだったんですか。おじさまと昴さんて仲が良かったんですね、うふふ」
誤魔化したつもりが余計な誤解を招いたらしい。心の中で舌打ちをする。
だが、こんな朝早くに私邸を訪れているなどそう思われても仕方ないだろう。
……泊まったと思われるよりマシか。
「そういうわけじゃないよ。ただ、ここには色々なものがあるからね。ふと日本が懐かしくなって、見せて貰おうと思って」
下手な言い訳だ。
だがダイアナは信じたらしい。
「ああ、おじさまのお屋敷には日本のものが色々ありますものね」
上手く誤魔化せた事にほっとしつつ「じゃあ失礼するよ」とその場を去る。
だが、その場限りの事と思っていた自分が甘かった。
いつまでも隠し切れない。それはわかっていた。
…わかっていた、けれど。

「昴。お前、昨日の夜何処に行ってたんだよ」
楽屋に入るなり、中に居たサジータにそう言われた。
「用があったのにウォルターに聞いたら出かけたって言うし。行き先を聞いても知らない、だし」
「……」
楽屋にはサジータの他にもみんながいる。
当然、ダイアナも。
「ああ、すまないね。ちょっと私用で出かけていたんだ。で、用ってなんだい?」
ダイアナの視線を感じつつ、気付かぬフリをしてサジータに話しかける。
…サジータが来た事はウォルターから聞いていたが、彼女は午前中は裁判で会う機会もなかった。
なんとか捕まえて先に話をしたかったが、最悪の展開だ。
「裁判の資料の翻訳を頼むって言ってあっただろ。忘れたのかよ」
「そういえばそうだったね。悪かったよ」
「……昴さん、もしかして昨日はおじさまの家に泊まってらっしゃったんですか…?」
恐れていた一言がぶつけられた。
「えー!サニーさんと昴さんてそういう仲だったんですか!?」
ジェミニの驚いたような声。
「なんだ?『そういう仲』ってどういう仲だ?」
リカが首を傾げる。
「昴…お前、そうだったのかよ」
サジータがまじまじと僕を見た。
「あら、そうだったの。知らなかったわ」
ラチェットがきょとんとした表情を浮かべる。
大河は、何も言わなかった。
「でもダイアナ。何でそれを知ってるんだよ」
「あ、それは…。今日の朝、昴さんがおじさまの家から出てくるのを見たので…てっきりそうかと」
僕を置き去りに盛り上がる周りの雰囲気は、目の前で繰り広げられているのに何処か他人事のようだった。
…落ち着け。
証拠はない、さらりと否定すればいい。
いつものように、冷静さを失わず。
「ん?みんなどうしたんだい?何だか盛り上がってるけど」
間の悪いところに間の悪い男の声がして眩暈がした。
「あ、サニーさん。本当の所、どうなんですか?」
「サニーサイドと昴がねぇ…」
「…『そういう仲』って美味しいのか?」
「あ、おじさま。ええと…その…」
ダイアナだけは固まっている僕を見てバツが悪そうだ。
この状況で何を言えと言うのだろう。
「は?本当の所って?話が見えないんだけど」
「貴方と昴の仲があやしいんじゃないか、ってみんなで話していたのよ。昴…昨日、貴方の家に泊まったんですって?」
ラチェットがみんなの代弁をする。
「……ああ、なるほど。そういう話ね」
その言葉にサニーもどういう状況か納得したらしい。
「で、本当の所はどうなの?サニー」
「ん?んー…」
サニーが視線で「どうする?」と聞いてくる。
鋭く睨み返し「余計な事は言うな」と釘を刺す。
懐から鉄扇を取り出すと、パラリと開いた。
「さっきから呆れて聞いていれば…面白い冗談だね。僕とサニーサイドが『そういう仲』だって?」
扇子で口元を隠しながら冷ややかな声で言う。
引きつった口元を誰にも見られないように。
「そもそも、君たちは僕の性別を知っているのかい?…それは僕が男として?それとも、女として言ってるのかな?」
僕は未だに自分の性別を周りに言っていない。
……サニーサイドは、当然知っているわけだが。
僕の言葉にみんながうっ、と口ごもる。
…僕が、性別の話題に触れられるが嫌いなのは誰もが知っている。
だからわざと怒っているフリをした。
「それも知らないのに勝手な想像はよしてくれないか。どちらにしても、あまり気分の良いものじゃないからね」
ぱちんと鉄扇を閉じる。
それはこれでこの話題は終了という無言の脅迫だった。
「ご、ごめんなさい…昴さん」
ダイアナが深々と頭を下げる。
「いや、いいよ…わかってくれれば、いい」
その肩に手を置いて顔を上げさせる。
これだけ脅しておけば大丈夫だろう。
ふと、ダイアナの後ろに居た大河と視線があった。
彼は、目が合うとはっとして視線を逸らす。
心に小さな棘が刺さった。


それから、サニーの屋敷に訪れるのは止めた。
…今度見つかったら今度こそ言い逃れは出来ない。
「……っ…」
時折…体が疼いたが、そんな時は以前のように自分で慰めた。
自分が求めているのが、大河なのか、サニーなのかわからない。
目を閉じても、ちらつくのは僕から視線を逸らす大河の顔と僕を抱いている時のサニーの顔が交互に浮かんできて。
以前より淫らに高い声を上げて、身体が仰け反る。
「…はっ……はぁ…はぁっ…」
僕はいつの間にこんな風になってしまったのだろう。
自分のいやらしさに嫌気がさす。
こんなはずでは、なかったのに。

扉をノックする音にはっとして慌てて乱れた衣服を整える。
濡れた指も急いで拭き取った。
本当は洗いに行きたいが、とりあえず来訪者が誰だか確かめてからでもいいだろう。
「……誰だ」
「ボクだよ、昴」
「!!」
明るい声が聞こえてきて、背筋がぞくりとした。
ほんの少し前まで自分の想像していた相手の声だったから。
「…何の用だ」
扉の傍まで行きつつもすぐにドアを開ける気分にはなれなかった。
こんな夜に彼が僕に用があるとしたら一つしかない。
…だが、一番最初の時以来、彼から僕を訪ねて来る事は一度もなかった。
いつも訪ねるのは僕ばかり。
「酷いなぁ。昴の顔が見たいのにドアを開けてもくれないなんて」
正直、彼が訪ねてくるとは思わなかった。
あれ以来、僕が訪ねていかなくてもサニーは表面上全く態度が変わらず、誘いの言葉一つかけてこない。
だから、サニーはきっと新しい相手を見つけたんだと思っていた。
別に、彼ならば相手に不自由などしないだろう。
……わざわざ、僕を相手にしなくても。
なのに。
「用がないなら帰ってくれないか。こんな時間に来て…また誤解されたらどうするつもりだ」
さきほどの余韻で火照る身体を押さえつけ、呟く。
よりにもよってこんな姿を見られたくない。
「用ならあるよ。セックスしないか?」
「……なっ!」
あまりにストレートな物言いに呆然とする。
「昴から来てくれないかなーと思って待ってたんだけど、来てくれないからねぇ。ボクの方から来たんだけど」
「行ける訳がないだろう…!ばれたら、どうするつもりなんだ」
「ボクは前から言ってるじゃない。ばれたらばれたで構わないって」
「……」
確かにそれは言っていたが、まさか本気で言っているとも思えなかった。
「もう一ヶ月も昴に触れてないからねぇ。いくら淡白なボクでも溜まるものが溜まっちゃったよ」
「……したいなら他を当たってくれないか。僕は、別にしたくない…」
嘘だ。
声を聞くだけで、身体が震える。
ああ、抱いて欲しい。
自分で慰めるだけでは、我慢できない。
扉に預けた背中がずるずると扉を滑る。
身体が熱くなって、力が抜けそう…。
「うーん、そうかぁ。じゃあ昴の気が変わるまで、ドアの前で悲しく待つよ」
「!」
思わず鍵に手をかけそうになり、理性で押し留める。
そんなの冗談に決まっている。
しばらくすれば、帰るはずだ。
…だが、一時間経ってもサニーは帰らなかった。
「…サニーサイド…いるのか?」
おそるおそる声をかける。
居ない事を祈りつつ。
「居るよ」
聞こえてくる声に深々とため息をついた。
この階には僕の部屋しかないとはいえ、こんな所をホテルの従業員に見られたらたまったものではない。
「帰る気はないのかい?」
「昴こそ、気は変わったかい?」
…観念してドアを開ける。
サニーはドアの横に腕を組んで座っていた。
「スーツが汚れるぞ…」
「だって立って待つの疲れたし」
すっと立ち上がると手首をつかまれ顔が近づいてくる。
払いのけられなかった。
唇の間から入ってきた熱い舌が絡まると、治まったはずの身体の熱が再び身体中を駆け巡る。
「やっと開けてくれて嬉しいよ。ちょっと自信なかったからね」
顔を離すと、サニーはそう言って笑った。

「んっ…ぁ…はぁっ……あぁ……」
眼下に広がる摩天楼を見つめながら、吐息が漏れる。
窓ガラスについた手が少しずつ滑って、吐息で白くなったガラスに指の跡をつけた。
「…流石にロイヤルスイートからの眺めは絶景だね」
僕の胸と秘所に愛撫をしながらサニーが耳元で囁く。
「キミの方から夜景を見ながらやりたいと言われたときには驚いたけど…まぁ、ボクの家じゃ出来ないしねぇ」
そう、望んだのは自分。
「興奮する?この高さじゃ下から見られることはないだろうけど、見られてる気分がして」
「あっ……ああ…サニーサイド……」
押し広げるようにしてサニーが入ってくるのを感じ、全身に歓喜の震えが走る。
「摩天楼に抱かれている気分はどうだい?昴」
サニーが笑う。
「そうだね……最高だよ…」
あの明かりの中に。
大河の家もあって。
もしかしたら、彼が今、下を歩いて自分の部屋を見上げているかもしれない。
そう思うだけでイきそうだった。
もしかしたら、彼は僕とサニーサイドの関係に気付いたかもしれない。
サニーと初めてベッドを共にした日。
大河を誤魔化すためとはいえ、サニーは僕と『約束』があると嘘をついた。
そしてその後、僕とサニーはシアターから消えた。
…後からサニーはシアターに帰ったけれど。
それにこの間の件を足せば、十分に予測はつく。
大河が視線を逸らしたのは、それに気づいたからだろうか?
ああ、大河。
こんなにも卑しい自分を君に見られたくない、でも見たらなんて言うのだろうか。
罵られるだろうか。
それとも少しは、僕に欲情してくれるだろうか。
ああ…大河。
君の声で、君の全てで
僕を罰して。
「ん、ぁっ……や…ああーーーーーっ!」
眼下に広がる星々のような明かりを掴むようにガラスに爪を立てて、僕は快楽のおもむくままに身を任せた。


結局、僕はサニーとの関係を絶つ事が出来なかった。
彼は戯れに僕の部屋にやってくる。
だが、今までとは少し違っていた。
僕がその気でないとわかるとすんなりと身を引く。
そして、僕を抱きしめるだけであとは会話なりをして去っていく。
今までのちょっと変わった性癖も、少しだけ鳴りを潜めた。
…と思ったら、色々な大人の玩具を持ち込んでは僕で試そうとされたが。
何処から手に入れてくるのやら、そのあくなき好奇心には頭が下がる。
けれど、考えてみたら今までサニーの事を知ろうともしなかった分、あれこれ会話を交わすのは新鮮だった。
……これだけ身体を重ねていながら、相手の事をよく知らなかったというのもおかしな話だが。
オーナーとしても司令としても彼の能力自体に不満はなかったから、個人としてまで興味を持たなかった。
訪ねていってはセックスを求めるだけだった自分を思い出し、少し恥ずかしくなる。
その大きい身体に包まれながらサニーと会話するのは好きだった。
時折ジョークを交えながら囁かれる内容は、政治経済からゴシップまでバラエティに富んでいて、飽きない。
いや、彼が僕を飽きさせないようにしているのだろう。
「…だってさ、昴はどう思う?」
事あるごとに僕の目を見ては反応を窺う。
「そうだね、僕もそう思うよ」
恋人同士のような甘い時間が流れる。
…違う、そんなんじゃない。
「どうしたんだい?昴。難しい顔をして」
「どうせなら、君を好きになれば良かったな、と思って。大河じゃなく」
「嬉しいことを言ってくれるじゃないか。いい加減ボクに惚れてくれたかい?」
「さぁ…どうだろうね…」
笑いながら、キスを交わす。
本当に、サニーを好きになれればどんなにいいだろう。
身も心も、彼のものになれたら。
服の中に滑り込んでくる指を感じ、瞼の裏に大河の顔がちらついた。
胸に広がる苦々しい思いを隠し、サニーの首に腕を回す。
肌が火照りだすと、すぐにその顔を忘れられる自分を嫌悪しながら、苦い思いを吐息と共に吐いた。


「弱ったな…」
ビレッジにあるお気に入りのカフェで昼食を取って、帰ろうとした瞬間に雨に降られた。
「タクシーに乗って帰るか……」
そう思い、電話を借りに店内に戻ろうとした背中に声がかけられる。
「昴さん!」
「大河…」
そこには図書館の帰りらしい、小脇に本をかかえて傘を差す大河が居た。
「カフェで昼食ですか?急に降ってきましたね」
「ああ、傘を持っていなくてね」
タクシーを呼ぼうと、と言う前に彼が言った。
「あ、じゃあ。ぼくの貸しますよ。ぼくの家、すぐそこですし」
喉元まで出掛かっていた言葉を唾と一緒に飲み込む。
彼に他意がないとわかっていても、彼と少しでも一緒にいられるだけで心が震える自分が切なかった。
「じゃあ、言葉に甘えるとするよ…」
「はい、じゃあ狭いですけど…ぼくの家まで相合傘で我慢してくださいね」
彼が僕に近づき、そっと傘を僕のほうに差し出す。
「ありがとう…大河」
その傘の中に自分の身を収めると、一つの傘の下で僕と大河だけの世界が出来上がったような気がした。
…くだらない想像だ。
「じゃあ、行きますよ。濡れないように、ぼくから離れないでくださいね」
「あ、ああ…わかった」
その意味をわかっていてもドキドキする。
鼓動の高鳴りを感づかれてしまうのではないだろうかと思いつつ、彼の傍にぴったりとくっつく。
雨の匂いに混じって、大河の匂いが鼻をくすぐった。
それだけで、全身が幸せな気分に包まれる。
このままずっと歩いていたい。
…永遠に、大河の家に着きたくない。
以前にサニーに対して同じことを思ったことなど、頭の隅にもなかった。
今だけが幸せで。今だけが大切で。
自分が未だに大河を好きな事を痛いくらい自覚させられた。
だが、カフェから大河の家まではあっという間。
幸せな時間は無慈悲にも終わりを告げる。
「じゃあ、狭いですけど入ってください。身体、少し濡れちゃいましたね。今、タオルを持ってきます」
彼が部屋の鍵を開け、僕に中へ入るように促すと素直にお邪魔する。
大河の部屋は、彼の匂いが凝縮したみたいに感じて胸を締め付けた。
「はい、昴さん。肩とか、髪とか少し濡れちゃいましたからこれで拭いてください」
大河から差し出されたタオルを受け取り、髪についた水滴を拭きながらそっと匂いを嗅ぐように口元に当てる。
やっぱりそれも、大河の匂いがした。
「せっかくですから何か飲んでいきますか?珈琲かお茶くらいしか出せませんけど」
てっきり、傘を渡されてさようならだと思っていたので彼の気遣いに嬉しい反面切なかった。
一緒に居ればいるほど気持ちが抑えきれなくなる。
「……じゃあ、お茶を一杯ご馳走になってもいいかい…」
心の中で、早くこの場を立ち去らないと自分はとんでもない事を口走ってしまうと警鐘が鳴る。
それを無視して、僕は呟いた。
「わかりました。じゃあぼく淹れてきますね」
そういい残して大河がキッチンに消える。
外の雨はまだ止まない。

「お待たせしました、昴さん。熱いから、気をつけてくださいね」
湯気を漂わせ、彼が二人分の湯のみを運んでくる。
受け取って一口飲むと、苦いような味が口いっぱいに広がった。
「ああ、いい香りだな。日本から送ってもらったのかい?」
「はい。母が手紙と一緒に色々送ってくれるんですよ。お茶とか、梅干とか」
「梅干……」
顔が引きつる。
「あれ?どうしたんですか?」
「いや…梅干は、あまり得意じゃなくて」
「えー!昴さん、梅干嫌いなんですか?」
「昴は言った…得意じゃないだけだ、と」
「あはは、昴さんにも嫌いなものってあったんですね。でも日本人なのに、梅干が嫌いってちょっと意外だなぁ」
「悪かったな…僕にだって苦手な食べ物くらいあるよ」
おかしそうに笑う彼を睨みつけると、彼は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「何なら今もありますから食べてみます?母の作る梅干は本当に美味しいんですよ」
「え、遠慮する…」
「美味しいのになぁ」
そんな何気ない会話を交わせるだけでも幸せだった。
目の前に大河が居て。
僕だけに向かって話しかけて、僕だけを見ている。
二人きり。

「ラチェットさんも、最初は見るのも嫌がってましたけど。最近では食べれるようになったんですよ」
「……!」
自分の中の甘い想いが一瞬して打ち砕かれる。
そう言った大河が嬉しそうだったから。
幸せそうだったから。
目の前が真っ暗になった。

「昴さん?」
「…長居をするのも悪いからそろそろ帰るよ。お茶、ご馳走様。傘…借りるよ」
大河に視線を合わさないように下を向きながら、よろよろと大河の部屋を後にする。
「は、はい…じゃあ、また明日」
彼の家が見えなくなるのを確認して、傘をたたむ。
濁った空が僕に遠慮なく雨粒を叩きつけたが、むしろそれが心地良かった。
髪が水を吸って、水滴が毛先から滴り落ちる。
どうせなら雨と一緒に自分の想いも流れてしまえばいい。
そう思った。
水を含んで重くなった身体を引き摺り、当てもなく彷徨う。
…気がついたら、サニーサイドの屋敷の前に居た。
「……」
呼び鈴を押してみても返事はない。出かけているようだ。
ドアの前にぺたんと座り、目を閉じる。
「寒い…」
自分の部屋に帰ったほうが良い事は理解していたが、動くのも億劫だった。
…なにもかもどうでもいい。
もう二度と目が覚めないなら、その方が幸せかもしれない。
永遠に、醒めぬ夢を見れるのなら。

「昴!」
自分を呼ぶ声で目が覚めた。
どうやら眠っていたらしい。
「サニーサイド…?帰ってきたのか?」
「帰ってきたのか、じゃないだろう。どうしたんだ、一体何が…」
サニーが慌てて僕の腕を取り、腰に手を回して立たせる。
自分の吐く息が熱い。身体は冷え切っているのに。
「ああ…君を待ってたんだよ」
「何でこんなにびしょ濡れなんだ。とにかく中へ…」
ひょいと抱え上げられた。
「サニーサイド…服が、濡れるよ」
「そんなことはどうでもいい。凄い熱だ…何時間ここに居たんだ、キミは…」
いつになく真剣そうな顔のサニーにくすりと笑う。
「さぁ…覚えてない。大丈夫だよ、たいしたことな…い……」
「昴!」
それが限界だった。
世界は突然、僕の目の前から消えた。


次に目を覚ましたときには見たことのない部屋だった。
ここは何処だ、と起き上がろうとして頭が痛み、視界がぐらぐらして断念する。
身体中が熱くて重い。まるで鉛にでもなってしまったかのように。
「あら…昴さん。目が覚めましたか?」
氷嚢を手に、部屋に入ってきたダイアナが僕を見て呟く。
「ダイアナ……」
「あ、起き上がってはダメですよ。昴さん、凄い熱なんですから……」
再び起き上がろうとしてダイアナに止められる。
「とりあえず目が覚めてよかったです。おじさまがこの世の終わりみたいな声で電話してきたときには驚きましたけど」
ふふ、とダイアナが笑う。
「サニーサイドが…?」
「ええ。あんなに取り乱したおじさまは初めて見ましたわ。『とにかくすぐに来てくれ!』って」
「……じゃあここは、サニーサイドの屋敷なのか?」
「あ、はい。ここはおじさまのお屋敷ですよ」
「そうか……」
ふぅ、と息を吐き目を閉じる。
だんだん思い出してきた。
自分はサニーの屋敷の前でサニーを待っていて…顔を見た瞬間に意識を失ったことまで。
「すまない、迷惑をかけたな。ダイアナにも、サニーサイドにも…」
「いいえ、気にしないで下さい。…それと、誰にも言いませんから」
「!」
その言葉に閉じていた瞳を開き、ダイアナを見る。
ダイアナは静かに微笑んでいた。
「昴さんの性別も、おじさまとのことも」
「……」
ばれたくなかった二つの秘密が、あっさりとばれてしまった。
しかし無理もない。
服も着替えさせられてあるし、サニーがダイアナを呼んだのなら当然勘付かれて然るべきだ。
「やっぱり、おじさまと昴さんは私の思ったとおりだったんですね」
…だが、彼女の女神のような微笑にはかなわない。
「そんなんじゃない…そんなんじゃないよ…」
「いいんですよ、隠さなくたって。…おじさまも、昴さんも、素直じゃないんだから」
違う、と心で思っても言えない。
本当の事など。
「おじさまは…あの通り、ちょっと変わった方ですけど、本当はとても優しいんですよ」
ダイアナは僕の額に氷嚢を乗せながら囁く。
「だから、おじさまのことよろしくお願いしますね。お二人なら、お似合いですよ、ふふふ…」
違うんだ、ダイアナ。
心の中で呟く。
僕とサニーサイドはそんなんじゃない。
「じゃあ、薬を飲んでください。…本当は一口でも何か食べて欲しいんですけど、食べれそうですか?」
「すまない…無理だ」
「じゃあ薬だけでも…」
ダイアナが僕を軽く起こして薬と水の入ったコップを差し出す。
それを素直に受け取ると口に含んで飲み込む。
「ではゆっくり休んでください…おやすみなさい、昴さん」
部屋を出て行くダイアナを見送ると目を閉じる。
すぐに意識は途切れた。


次に目覚めたのは2日後だった。
ダイアナではなく、目の前に居たのはサニーだった。
「…昴?」
「……サニーサイド…」
眩しい光に目を細めながら見上げるとサニーが自分を見ていた。
「ああ、目が覚めたか。それとも起こしちゃったかい?」
「いや…自分で目が覚めただけだよ。どれくらい、眠っていたんだい?僕は」
「二日。このまま目を覚まさなかったらどうしようかと思ったよ」
「そんなにか…」
そう呟き、はっとする。
すっかり失念していたが、今シアターで公演されている舞台に自分が出ていたことを思い出した。
…役者失格だ。
「!すまない、公演の最中なのに…」
「ああ、その点なら気にしないでいいよ。早く治すのが最優先だ」
「大分、良くなった…と思う」
「そうだね、熱も下がったみたいだ」
サニーの大きな手が額に触れる。
「…明日からは公演に出るよ。とりあえず、部屋に帰らないと…」
「ダメだ。キミが出るといってもボクが許可しないよ。まだ本調子じゃないだろう」
起き上がろうした身体はやすやすとベッドに戻された。
「しかし…」
「代役ならサジータに頼んだから大丈夫だよ。彼女なら安心できるだろう?」
「それはそうだが…」
「それに、そんな身体で出ようとしてもダイアナに怒られるよ。怒ったダイアナは怖いよ?」
サニーが笑う。
「ダイアナ…彼女にも礼を言わないと」
「ああ…ダイアナに言われたかもしれないけど、キミの性別…ばれちゃったから」
「……知ってる」
「すまないね。本当は、全く事情を知らない医者を呼べば良かったんだろうけど」
そっちの方が嫌かなと思って、とサニーは苦笑する。
「気にしないでいい。ダイアナは誰にも言わないと約束してくれたし」
「みたいだね。他のみんなはキミがこの家に居る事も知らないし。ただの風邪で寝込んでると思ってるよ」
「そうか……。それは感謝しないとな。ただ、僕と君の関係を誤解していていたようだが…それは弁明しないと」
「ああ、やっぱりそっちも言われたか。ボクもさんざん問い詰められたからなぁ。『どういう関係なんですか!?』って」
わざわざダイアナの声真似までしてサニーが言う。
「…なんて答えたんだい」
「んー…。ボクの片思いだって言っておいたよ。ダイアナは信じてくれなかったけれど」
「な……っ」
ダイアナが『おじさまをよろしくお願いします』と言っていたのはだからだったのか。
「流石にダイアナに、実はやりまくりの関係だなんて言えないしね」
「…当たり前だ!」
「はいはい、興奮しない。熱が上がるよ」
叫んだせいで乱れた呼吸を整える。
「……聞かないのかい?何で僕がびしょ濡れで君を待っていたのか」
「ダイアナがみんなに昴が風邪で寝込んでるって言ったとき、約一名そわそわしてた人物が居たから、まぁ想像はつくし」
…大河。
「ダイアナに見舞いに行ってもいいか聞いていたみたいだけど、キミはここに居るから適当に理由をつけて断ったみたいだね」
それでいい。
今は大河に会いたくなかった。
ダイアナにはいずれきちんとお礼をしないといけないな、とプレゼントするものに思考を巡らす。
「サニーサイド…」
「何だい?」
「いつもいつも…君に甘えてばかりですまない。…僕が迷惑だったら、はっきり言っていいから……」
目を閉じて呟く。
顔を見ては言えなかった。
「おいおい、何処をどうすればそういう話になるんだい。ボクがいつそんな事を言った?ボクの好きでやってることさ」
「本当に君は物好きだな。でも、そういう所は嫌いじゃないよ。だから、もう少しだけ待ってくれ…」
「?」
「…大河の事は、忘れる。もう決めた。…だから、だからと言ってこんな事を言うのは間違っているけれど…」
だんだん声が小さくなる。
「君が迷惑じゃなかったら…君の事を好きになるように努力してみるよ……」
「昴……」
驚いたようにサニーが目を見開いて僕を見つめた。
「自分の恋が叶わないからって、君に逃げるような事はしたくない。だから、自分の気持ちにきちんと整理をつけて…」
そっとサニーの手に自分の手を重ねる。
「その上で君を好きになるよ。君が迷惑じゃなかったら…そうしてもいいかな……」
サニーは返事代わりに僕の手にもう片方の手を重ねた。
「……凄い殺し文句だな、昴。キミが風邪で寝込んでなかったら今すぐ押し倒しそうなほど、クラっときたよ」
「ばっ…馬鹿!何を言ってるんだ。僕は真剣に…」
「わかってるよ。だから、今はこれで我慢するさ」
自分の乾いた唇に、サニーの唇が触れた。ほんの一瞬。
「サニーサイド!……風邪がうつるだろう」
抗議の代わりにサニーの手に爪を立てる。…力が入らないのでくすぐる程度の効果しかないが。
「はっはっはっ、大丈夫だよ。…まぁ、今の言葉が熱のせいだった、で治ったら忘れてないように祈るよ」
「…こんなこと、いくら熱のせいでも冗談でなんか言わない」
ちょっとムッとしてサニーを睨む。
「はいはい、昴は可愛いね。見た目はプチでも精神は大人のように見えて、やっぱりまだ若いなぁ」
「人を子ども扱いするな!」
「だって見た目は子供だし。たまに自分が幼女虐待でもしてる気分になるからなぁ、昴を抱いていると」
「……変態が!」
「それは誉め言葉として受け取っておくよ」
さらりと言うサニーに、僕は深々とため息をついた。


 




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