3. くだらない日常のちいさな倖せ
最近、どうにも絵が上手く描けない。
こういうのをスランプっていうのかな、なんて思いつつ紙を破り捨てる。
つい最近まで良い感じに絵が描けていたのに、急にどうしたんだろう。
「よっ、頑張ってるみたいだな」
「あ……っ」
美術室に、朗らかな少年の声が響いた。
振り返れば入り口に少年が立っていて、知らず、頬が緩んだ。
少年は僕の傍までやってくると、スケッチブックを覗き込んだ。
けれどそこには、ただ白い画面があるだけだ。
「……あれ? 絵、描いてたんじゃねぇのか?」
「……なんか、上手く描けなくって」
少年は当たりに散らばっている紙くずを見て、んー……と眉を寄せて唸った。
「……まあ、そういうときもあるわな。ところでさ、お前は将来の夢、なんなわけ?」
「やっぱり、絵を描くことが好きだから……そのテの仕事に就けたらいいな、とは思ってるけど」
「ふーん。じゃあ、絵を諦めるわけにはいかねぇよな。あのさ、今スランプ中なんだろ? だったら、一度自分の好きなものを描いてみたらどうだ?」
少年の言葉に、鉛筆の動きを止める。
自分の好きなもの……か。
「上手く描ける描けないじゃなくて、楽しんで描くんだ。少し気を抜いてみろよ」
「……分かった、そうしてみる」
確かに、最近の自分は絵を描くことを楽しんでいなかった。
ただ上達することだけを目的としていたことに気づき、僕は彼に言われた通りに、肩の力を抜くことにした。
「……それじゃあ、俺は教室に戻るから。頑張れよ、将来の夢に向かってさ。俺、お前の絵…好きだから」
少年はそれだけ言うと、美術室を駆け出て行った。
僕の絵を好きだと言ってくれる少年の存在が、温かい。
「……ありがとう」
楽しんで、自分の一番好きな絵を描こう。
そう思って僕が完成させたのは、優しく微笑む、少年の姿だった。