9. 脱☆童貞宣言
「祐介でお願いします」
「申し訳ありません。彼は今日、おりません」
「え…」
風俗店の受付にいる女性従業員の言葉に戸惑う。
可笑しいな。
日曜日には会いに行くとメールを送ったはずなのに。
どうしようか困っていると、お勧めの人物を紹介されてしまった。
けれど彼以外を指名する気が全くない俺は、誰も指名することなく風俗店を後にすることに決めた。
祐介に会えないのなら、こんな所にいたって意味はないからな。
そう思って出入り口へと向かっていると、背後から肩に手を置かれた。
「祐介!?」
期待を込めて振り返ると、そこには見知らぬ青年が立っていた。
それも、飛び切り整った目鼻立ちをした。
大分若く見えるが…風俗店にいるくらいなのだから、とりあえず十八歳以上ではあるのだろう。
「…祐介を指名してたよね?」
「え…あ、はい」
見られていたのだと思うと、何だか恥ずかしい。
…というか、ここ女性向け風俗店だからな。
男である俺がいること自体が可笑しいのだということに今更ながら気付き、顔が熱くなった。
この青年が俺と同じく男に会うことを目的としてここにいてくれていると嬉しいのだが、その線は薄いように思えた。
これだけ整った顔立ちをしているのだ。
きっと、彼はここで働いている側なのだろう。
青年は微笑むと、俺に向かって手を差し出してきた。
「それより、まずは挨拶が先だったね。初めまして、秋山っていいます。ここの従業員で、祐介の友人です」
「は、初めまして。安藤純っていいます」
会釈をしながら、秋山さんの手を握り返す。
彼の指は祐介の指と同じく、スラリとしていて綺麗だった。
頭のてっぺんから爪先まで、欠点という欠点が見つからない。
そういうのを見ると、世の中って本当に不公平だな…と思う。
どうして俺はこんなにもちんちくりんなのだろう。
自分で思っておきながら、「ちんちくりん」という表現に嫌気がした。
「せっかく祐介に会いに来てもらったところ、悪いんだけど。彼は」
「休みなんですよね? 今日、彼にはここに来るって言ってあったんですけど…」
「どうも、風邪をこじらしたらしくてね」
「え…?」
秋山さんの顔を凝視する。
祐介は体調を崩していたのか…?
どうしよう、全然知らなかった。
見舞いに行ってあげたいところだが、生憎と俺は彼の住所を知らない。
困り果てていると、秋山さんが俺の顔の前で手を振っていた。
どうやら話しかけられているのに無視をしていたらしい。
焦点を秋山さんの顔に合わせると、彼は苦笑いを浮かべていた。
「今から祐介の家に顔を見に行ってやろうかと思ってたんだ。一緒に来る?」
「はいっ。ぜひ、お願いします!」
願ってもいないことだった。
俺が元気よく頷くと、秋山さんは優しげに微笑んだ。
それから、背を向けて歩き出す。
そんな彼の後ろを俺は小走りでついて行った。
祐介は高級としか思えないマンションの五階に住んでいた。
やはり水商売というものは儲かるのだろう。
俺の給料とは比べ物にならないんだろうな…。
そんなことを考えながらインターホンを鳴らす。
カチャカチャと金属がこすれあう小さな音がして、ゆっくりとドアが開いた。
「秋山…と、純?」
俺が祐介の家に来たことはもちろん、秋山さんと一緒にいることがよほど意外だったのだろう。
祐介は目を丸くして俺と秋山さんの顔を交互に見比べていた。
「見舞いに来ちゃった…」
上目遣いに言うと、祐介は皿のようにしていた目を優しげに細めた。
それから、若干キツイ眼差しを秋山さんへと向けた。
「…おい、純に何かしなかっただろうな?」
「何かって? 具体的なこと言ってくれないと、分からないな」
軽く両肩をすくめてとぼけたように言う秋山さんに、祐介は顔つきを険しくさせた。
よく分からないけど陰険な雰囲気が漂ってきていたので、俺はそれを散らすように掌を叩き合わせて大きな音を出した。
そのことに驚いたのか、二人の視線が向けられた。
「えぇーっと…。何を気にしているのかは知らないけど、とりあえず俺は何もされてないぞ?」
「そ、そうか。ならいいんだけど…」
「俺がその子に手を出すわけがないでしょ。生憎と、相手には困ってないんでね」
秋山さんは皮肉げな笑みを作って見せた。
…なんだろう。
優しげな微笑よりも、彼にはこういった意地悪な感じのする笑みの方がサマになっているような気がする。
じっと秋山さんを見つめていると、祐介に額を小突かれた。
痛みはないから特別文句は言わなかったものの、小突かれる理由が全くないため、何だか腑に落ちない。
「…さて、様子を見るに十分元気みたいだし。俺はもう帰ろうかな。祐介相手にそれほど話したいことがあるわけでもないしね」
「お前と話すのなんて、こっちから願い下げだ。純を連れて来てくれたことには感謝するけど、もう秋山は来なくていいからな」
「ひどい言い様だね、本当に。まぁそれほど気にしないからいいけどね。それよりあんまり、純くんに無茶させたら駄目だからね」
俺に無茶を…?
どういう意味だ?
小首を傾げて秋山さんを見ると、彼は柔らかな笑みを見せてそのまま去っていってしまった。
結局疑問は分からずじまいで、眉間にしわを作る。
「純、ここまで来たんだ。家に上がっていくだろ?」
「あ、ああ…。祐介さえ迷惑でなければ」
「迷惑どころか大歓迎だ」
祐介に手を引かれて、俺は彼の家の中へと足を踏み入れた。
高級マンションというだけあって、部屋は非常に広かった。
リビングには大きな窓があり、そこから町並みを見下ろせた。
山々はもちろん、海さえ見える。
「見晴らし良いな…。俺の家とは大違いだ」
ちなみに俺の家の窓から見えるものと言えば、隣のマンションの壁だけだ。
窓から見えるものが灰色で軽くヒビの入ったコンクリートだけというのはやはり味気ないものなんだな。
そんなことを痛感する。
「…そうだ。聞き忘れてたけど、体調は大丈夫なのか?」
「今頃それを訊くのか…。そうだな、悪くはないよ。純の顔を見たら、元気になった」
「そ、そうか…」
微笑む祐介にドキドキしながら、彼の傍へと歩んでいく。
「じゃあ、熱とかあるわけじゃないんだな…?」
「ああ、ない。…純、今日は店にいなくて悪かったな」
「いいよ、それはもう。結果としては、出会えたわけだし」
それも、祐介の家で。
今まで風俗店で会ったことはあっても、それ以外で俺たちが顔を見合わせることはなかった。
だから今の状況は新鮮で、妙に緊張もする。
「風邪、移るかもしれないけどさ。店に出向いてもらったのに俺がいなかったことに対する謝罪もこめて、純のことをここで抱きたい。それも、今までのように客と従業員っていう関係じゃなくて、純と俺っていう関係で」
俺と、祐介というただ一個人としての関係で、抱き合う。
それも、祐介の家で。
想像して、ゾクリとした。
身体の震えは、次第に熱へと変わっていく。
「いいか、純?」
「…ん」
コクリと頷くと、祐介が嬉しそうに笑ってくれた。