7. 変わらない眼差し


「あ〜、気持ち良かったぁ…」
「景色も綺麗だったね…」

しみじみと、進藤は水瀬の言葉に頷いた。
温泉に浸かりながら眺める山景は、思わず見とれてしまうほどの美しさを持っていた。
といってもその景色に見とれていたのは水瀬だけで、進藤は他のことに意識を向けていたためあまり見てはいないのだ。
その他のことというのは言うまでもなく、水瀬のことだ。
長年欲求を溜め込んでいたツケなのか、最近では簡単に陥落するようになってしまった理性という名の砦で、けたたましいほどに警報器が鳴らされていたのだ。
少しでも気を緩めれば、進藤は湯船に浸かって安らいでいる水瀬を襲っていたことだろう。
進藤は自室へと向かいながら、隣を歩く水瀬をチラリと見た。
上気した頬で浴衣に身を包んだ水瀬は、清楚でいて可憐だった。
思わず顔がニヤけるのを何とか堪えながら、進藤は自室へと辿り着き、中へと入った。






正直に言って、進藤は水瀬と相部屋になるということを失念していた。
もしもこのことを分かっていたのなら、きっと進藤は水瀬を温泉旅行に誘ったりしなかっただろう。
何しろ同じ部屋で布団を隣に並べて寝ることほど、理性が揺らぐこともないのだから。

「進藤、今から物理の勉強を教えてほしいんだけど…だめ?」
「あ…? …あ、ああ。分かった」

進藤は水瀬の白いうなじに見入っていたことを恥じながら、咳払いをして水瀬へと近づいた。
始めてから一時間余り経った頃だろうか。
水瀬が不意に立ち上がった。

「…水瀬?」
「何だか喉が渇いちゃった。ねぇ、冷蔵庫にジュースとかあったよね? 飲んでくるね。進藤も何か飲む?」
「あー、俺はいいわ」

可愛らしく小首を傾げて訊いてくる水瀬に、進藤は頭を抱えながら言った。
いちいち行動が可愛くって、進藤は先ほどから頭を悩ませていた。

「…そう? それじゃ、行ってくるね」

進藤に向かってにこりと笑みを見せると水瀬は冷蔵庫のある窓辺へと駆けていった。
それからしばらく経っても、水瀬が帰ってくる気配がなかった。
進藤はあまりにも遅い水瀬の帰りに痺れを切らし、腰を浮かしかけた。
するとそんな進藤に背後からにゅっと腕が伸ばされて、進藤はその手の持ち主に抱きしめられた。
それが誰かだなんて考えるまでもない。
進藤が多少緊張気味に首だけで振り返ると、甘ったるい匂いが鼻腔を刺激した。
それはときおり酔っている兄が漂わせる、チューハイの香りに酷似していた。

「…水瀬、まさかお前」

嫌な予感に顔をしかめる。

「えへへ〜」

水瀬は顔を赤くし、子供のように無邪気な笑顔を見せていた。
進藤はため息混じりに水瀬の身体を引き剥がすと、力強く両肩を掴んだ。

「あのなぁ。お前、ジュースと酒を間違えるだなんて古いギャグみたいなことするなよなぁ…」

呆れつつ水瀬の顔を見て、進藤は固まった。
水瀬はいやに潤んだ扇情的な瞳で進藤を見つめていて、口元には物欲しげに人差し指が添えられていた。
唇も頬もいつもより赤らんでいて、そのあまりにも艶かしい姿に警報器が再びゴングを鳴らし始めた。
次第にそれは工事現場で起こる騒音のような、凄まじいものへと変わっていく。
このままでは襲ってしまうと覚った進藤は水瀬から身体を離そうとするのだが、身を離す前に、水瀬に抱きつかれてしまった。

「おっ…おいぃッ!?」

慌てふためく進藤を面白げに見ながら、水瀬はクスリと笑みを零した。
それは無邪気なのにひどく色気を伴う笑みで、進藤は本気で焦っていた。
そして困ってもいた。
何故ならこのままいけば、確実に水瀬を押し倒してしまうことが考えられたからだ。
頑張れ俺の理性の砦! とエールを送るものの、その効果は薄いように思えた。
進藤が戸惑う中、水瀬はゆっくりと、自らの浴衣の帯へと手をかけた。

「―――っと、ちょっと待て水瀬!!」

一瞬停止した思考に進藤は軽く舌打ちをして、水瀬を止めにかかる。
けれどもその一瞬のタイムロスが命取りとなった。
水瀬は進藤の目の前で帯を解き、浴衣の前を肌蹴て見せたのだ。

「っ…!」

自然と、進藤の目は水瀬の肌蹴られた浴衣から覗く肌に釘付けになる。
何故だかしっとりと汗ばんでいるようで、肌もほんのりとした桃色に染まっていた。

「進藤…」

水瀬は軽く仰け反っている進藤に身を寄せると、艶やかな唇で名前を呼んだ。
進藤は僅かに顔を曇らせ、座った体勢のまま後ずさりした。
まずいまずいまずい、その言葉ばかりがぐるぐると頭の中で回っている。
このままではいけないと分かっているにも関わらず、身体がうまく動かないことに進藤は困り果てていた。

「しんどぉ…っ」

水瀬は進藤を押し倒した。
背中に布団の感触があり、進藤は眠くなったときにいつでも寝られるように、と先に布団を敷いておいた自らの用意周到さに後悔した。
そんな進藤の気持ちに全く気づかぬまま、水瀬は進藤の浴衣の襟元に手をかけた。

「ちょ…っ、ま…っ!」
「ねぇ…。受験が終わったら、バラバラになっちゃうんだよ…?」

水瀬の言葉に、進藤はハッとなった。

「みな…せ?」

ポトリと、進藤の頬に雫が落ちてきた。
それは水瀬の瞳から零れ落ちた涙だった。

「…そうしたら、ね…。もう、今みたいに、たくさん会えなくなっちゃうんだよ…?」

水瀬はポロポロ涙を流しながら、進藤に抱きついた。

「ふ…そんなの、やだぁ…」

水瀬の泣き声に進藤は胸が締め付けられる思いだった。
けれども、進藤は笑みを浮かべていた。
水瀬と自分が同じ思いを抱いているのだと、認識することが出来たからだ。

「水瀬…泣くなよ」

水瀬の涙を拭ってやると、水瀬は切なげに、喘ぐように言った。
それは進藤の心を大きく揺さぶる言葉だった。



「…思い出作り、しよ…?」



進藤の脳内で鳴り響いていた警報器の音が、止んだ。
それは理性が勝ったからではない。
欲求を抑える必要がなくなったからでもない。
警報器を鳴らす存在である砦――理性――が、ものの見事に打ち砕かれたからだ。
結局、新しく建設した砦も、水瀬の前では容易く陥落してしまうのだった。






浴衣を脱いだ水瀬の肌は、やはりいつもよりも濃い桃色に染まっていた。
それが酒のせいなのか羞恥のせいなのかは分からないが、進藤はそんな水瀬を見て無意識のうちに舌なめずりをした。

「水瀬…」
「…ん…っ」

胸を撫でてやると、水瀬は小さな声を吐息とともに漏らした。
指先に伝わってくる水瀬の体温はこれでもかと言うほどに熱く、肌は吸い付いたように離れない。
掌にすぐに馴染む肌の感触を愉しみながら、進藤は水瀬の胸へと舌を這わせた。

「あっ…」

小さく水瀬の身体が跳ねる。
胸の飾りを舐ってやれば、そこは愛撫に応えて固く充血した。
進藤は片方を口に含んだまま、他方の胸も軽く捻った。

「んっ、あ…っ!」

顔を真っ赤に染めて声を上げる水瀬の顔を満足げに眺めながら、進藤は手を胸から下股へと滑らしていった。
熱を持った身体の中心をやんわりと掴まれ、水瀬は恥ずかしそうに身をよじってシーツを握り締めた。

「ひっ、あんっ…!」

根元から次第に先端へと向かって這い上がっていく指の感触に、水瀬は背筋を反らし、甘い声を上げる。
進藤の指が先端に辿りついた頃には、水瀬のとがった中心からは雫が浮かびあがっていた。
進藤は口の端を軽く吊り上げると、水瀬のものを擦る指の強さを増した。

「あぁんっ、あっ…ひゃあん…っ!」

水瀬の先端は進藤の指で擦られるたびに粘膜を露出させ、濡れていく。
指を滑らされるたびに神経をじかに触れられているようで、水瀬はシーツを握り締めたまま涙を零した。

「はぁっ…んぁ、しん…どぉ…っ」

水瀬は脚を開くと進藤を誘うように腰を揺らめかせた。
しなやかな身体を惜しげもなく晒しつつも、どことなく恥ずかしそうに瞳を潤ませて見つめてくる水瀬の嬌態に、進藤は下半身に疼痛を感じた。

「…水瀬、綺麗だぜ。それに…すっげぇ、いやらしい」
「んっ…進藤…」

切なげに進藤の名を呼ぶ水瀬の胸から腹、そして先ほどまで指で弄っていた股間へと、進藤は紅い痕を残しながら唇を下ろしていった。
目的の場所へと辿り着くと、進藤は水瀬自身を咥え込んだ。
熱い粘膜と吐息に包まれ、水瀬は軽く仰け反って高い声を上げた。

「あぁっ…しん、ど…ぁっ」

水瀬の先端から溢れる滑りは進藤の唾液と混ざり、唇から零れて根元へと伝っていく。

「あぅ、あ…んっ…ふぁ…!」

水瀬はビクビクと身体を震わせながら、進藤の頭に指を触れさせた。
クシャリと髪を掴まれ、進藤の背筋にゾクリと寒気にも似た痺れが走る。

「…水瀬」

鳥肌が立つというのに、身体は火照って下着に押さえつけられた下半身は窮屈になっていく。
この程度のことで性感を覚えるほどに興奮しているということなのだろうか、と進藤は考え、苦笑した。
きっと、今の水瀬が進藤をいたずらに興奮させているのだ。
濃い桃色に染まった頬も、甘い吐息と喘ぎ声を漏らす水瀬の唇も、涙を零す瞳も、熱く火照った身体も、そのすべてがいやらしく進藤の目には映っている。
進藤はちゅっと短い音を立てて水瀬の先端を吸うと、秘孔に指を触れさせた。

「ぁ…そこ、は…」

水瀬が少しだけ見せた抵抗の色を無視して、進藤は指に蜜を絡めると、縁を指先でなぞった。
閉ざしていたはずのそこは、進藤が指の腹で摩ると、とけるようにほぐれてうっすらと開いた。

「んっ…進藤…」

水瀬の顔を一度だけ見て、進藤は指を挿入させた。

「っ…ぁ」

異物感に少しだけ水瀬は眉を寄せたものの、嫌がる素振りは見せず、それどころか、どことなく恍惚とした表情を浮かべて進藤の指を受け入れていった。
根元まで指を挿入すると、進藤は水瀬が痛みを感じないよう、ゆっくりと指を動かしだした。
始めこそ唇を噛み締めて排泄感に耐えていた水瀬だったが、次第にその唇からは、快楽に満ちた甘ったるい声が発せられるようになっていった。

「あぁんっ…やっ…ふぁ!」

進藤は水瀬の感じている顔が見たくて、彼の感じやすい部分を何度も指でつついた。
そのたびに水瀬は小さな身体を跳ねさせ、思考の働きを鈍らせる甘美な声を上げる。
進藤は興奮によってかいつの間にか乾いていた唇を舐めると、わざと音を立てるように水瀬の中を掻き回した。

「ここ、クチュクチュいってるぜ?」
「ぁあ…や、ん…っ」

水瀬は進藤の言葉にいやいやと首を左右に振ると、唇から吐息を漏らした。
閉じられた瞼は切なげに震え、涙で睫が光っている。
ひどく、苦しそうな顔をしていた。

「水瀬、辛いのか…?」

進藤の問いかけに水瀬は薄っすらと瞼を開いた。
長い睫を涙に濡らしている水瀬は、数度瞬きをすると、上半身を起こして進藤の首に腕をまわした。
鼻腔をくすぐる甘い香りは、もはやチューハイによるものではないのだろう。
これが水瀬が放つ色香なのだと認識した頃には、もう進藤は完璧に惑わされ、呑まれていた。
水瀬は進藤の掌に自らを擦り寄せると、猫撫で声で懇願した。

「んぅ…しんどぉ、もう…イかせてぇ…?」
「…いいぜ、望みどおりにしてやるよ」

進藤は水瀬の感じやすい襞を指で突き、強く、水瀬自身を擦った。

「ぁっ…ぁああんっ!!」

水瀬は喉を反らし、官能の波に背筋をわななかせて進藤の掌の中へと快楽の証を放った。
瞼の裏が熱く、視界は光が弾けたように白く染まり、水瀬は進藤へともたれかかった。
意識を失わなかったのは、偏に進藤を思いやる気持ちがあったからなのだろう。
進藤はまだ、達していないのだから。

「大丈夫か、水瀬…?」
「んっ…しんどぉ」

水瀬は進藤の浴衣を肌蹴ると、下着の中へと手を滑り込ませた。

「水瀬…?」
「進藤も、気持ち良くなって…?」

酒に酔っていても他人を思いやることを忘れない水瀬に愛しさを改めて感じながら、進藤は下着を脱ぎ捨てた。

「水瀬が、してくれるのか?」
「うん…。僕、する…よ」

水瀬は進藤の股間へと顔を埋めると、唇をとっくに興奮し勃っていた先端へと被せた。
軽く吸っては唇を離し、舌で亀頭をなぞっては、再び吸い上げる。
進藤は与えられる快楽に小さく声を漏らし、それを聞いた水瀬は上目遣いに進藤の顔を窺った。

「ん…む、ぅ…きもちひぃ…?」

咥えられたまま話されると歯が表面を掠って耐え難い快感を生み、進藤は目を閉じた。

「しんどぉ…?」

ペロペロと異様に赤く見える舌で自分のものを舐める水瀬を見て、進藤は下半身に熱が急速に集まっていくのを感じた。
この分なら、すぐに達することが出来そうだった。

「…気持ち良いよ、水瀬」

そう言って進藤が頭を優しく撫でてやると、水瀬は顔を綻ばせた。
そしてより懸命に、水瀬は指と舌を動かすのだった。
水瀬が指先で茎を撫でながら強く吸い上げると、進藤は小さな呻きとともに熱い飛沫を水瀬の口内に溢れさせた。

「んっ…んぅ…!」

水瀬の白い喉元が上下に動く。
飲みきれない精液が唇から零れ、雫となって顎へと伝う。

「ふぁ…にがぁいっ」

唇を離すと眉を寄せて素直に感想を口にする水瀬に進藤は苦笑した。

「そんな不味いもの、わざわざ飲む必要なんてなかったんだぞ?」
「…でも、飲みたかったの。進藤の、せーえき」

指に付着する白濁した粘つく液を舐める水瀬に…正確には、水瀬の唇に、進藤の視線は釘付けになっていた。
ふっくらとした、赤っぽい唇。
今日の水瀬は今まで見たことないほどに艶めかしい。
水瀬は進藤の視線に気づいたのか、一度笑みを浮かべると瞼を閉じてキスを求めた。
目の前に迫る水瀬の唇に、進藤は自分のものを重ねそうになり―――…そこで、思いとどまった。

「…進藤?」

進藤の目の前にいる水瀬はひどく扇情的だ。
進藤を求めているのは間違いない。
けれど、今の水瀬は酒に酔っているに過ぎないのだ。
『進藤の愛情』を求めているのか、それともただ単に『快楽』を求めているのか。
そのどちらなのかを、一体誰が判断することが出来るだろうか。
そのことに今更ながら気がつき、進藤は顔を曇らせた。

「…ごめん、水瀬。やっぱ、これ以上は…出来ない」

進藤の言葉に、水瀬は表情を強張らせた。
それから、悲しみに顔を歪めた。

「ど、して…? 僕のこと、嫌いなの…?」
「嫌いなわけないだろ!!」

思わず強く言い返してしまい、進藤は口をつぐんだ。

「…なら、どうして…?」

水瀬は今にも零れだしそうなほどに目に涙を溜めて訊いた。
進藤はそれに答えない。
答えられないのだ。
水瀬が瞬きをしたと同時に、薄桃色の頬に涙が伝った。
ドキンと、進藤の心臓が跳ね上がる。

「…ぼく、僕ね、ずっと前から進藤のこと…!」

水瀬の瞳に情愛の念が宿ったのを見て、進藤は慌てて水瀬の口を手で押さえた。

「っ…と、待ってくれ…!!」

進藤は水瀬が今から言うことは、何となく…聞いてはいけないような気がしていたのだ。
聞いたら何かが壊れてしまうような…そんな、不吉な予感を感じていた。
実際には、求めている言葉ではあるのだけれど。
水瀬は進藤に口を塞がれたまま、不安を滲ませた瞳で進藤を見つめた。

「…その、さ。嫌いなわけじゃないんだ。でも…だからこそ、やっぱり駄目だ」

大切だからこそ、進藤はこんな形で水瀬を抱くわけにはいかないのだ。
ゆっくりと、進藤は水瀬から身体を離した。

「しんどぉ…っ」

切なげな水瀬の声に、進藤は俯きがちに首を横に振った。
それは自分に言い聞かせているかのようにも見てとれる動きだった。
水瀬はくすんっと可愛らしく鼻を鳴らすと、頬を伝う涙を手の甲で拭った。

「…水瀬。ごめんな、最後まで出来なくって」

進藤はそんな水瀬に背を向けると、ため息混じりに呟いた。

「…しんどぉ」

水瀬はそっと進藤を背後から抱きしめた。

「…み、水瀬?」
「…もう、良いよ。だからお風呂に行こう…?」

振り返った進藤を迎えたのは、水瀬の屈託ない笑顔だった。
けれどもその笑顔にはどこかまだ、艶めいたものがあった。
進藤はずくんと心に疼きを覚えながらも、はにかむ水瀬の頭を優しく撫でてやった。

「…そうだな。そうしようか」
「うんっ…」



嬉しそうに微笑む水瀬と同じように、進藤も微笑んだ。
その微笑はどこまでも幸せそうな、けれど陰のあるものだった。




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