13. 恋心至上命令
寝返りを打ち、腰と臀部に並々でない痛みを感じて目を覚ます。
やたらと重たい身体を訝しがりながら起き上がると、全裸で窓辺に立っている須永がいた。
……素っ裸だと!?
「何ていう格好でいるんですか貴方ぁああッ!!」
「朝から元気だなー。俺は目覚めが悪い方だから羨ましいぜ」
「そりゃそんな格好で突っ立てる人がいたら眠気ぶっ飛んでお目覚め快調ですよ! っていうか、どうして須永さんがここに――」
ベッドから飛び降りた僕は、やけにスースーすることに違和感を覚えて視線を下げた。
そうして即座に目に入った肌色に、一瞬にして表情が凍りつく。
どうして僕まで服を着ていないのだろうか……!?
「おい、泉」
「ぼぼ、僕は裸族じゃありませんからね!?」
「……あのな。誰もそんなこと訊いてねぇっつーか、訊かねぇよ。どうしてここにいるのか、まさか記憶がないのか?」
須永の顔を見つめながら、僕はパチパチと数回、瞬きをした。
部屋を見回すものの、ここがどこなのかさえ定かではない。
須永は僕の反応で記憶がすっぽ抜けていることが分かったのか、思い切り顔を顰めて見せた。
「ラブホ」
「え?」
「だから、ラブホなんだっての。俺とお前がいる、この部屋は」
また宇宙人が戯言を述べている、などと切り捨てられる状況でないことはハッキリとしていた。
だって僕の身体には、無数のキスマークがついているのだから。
けれどそれを認めたくなくて、左右に激しく首を振って否定する。
須永と寝たなど――どうして素直に受け入れられようか。
「じゃあ、その痕はどう説明するんだよ? まさか蚊に刺されたとでも言うつもりか?」
「そんなくだらないこと言うわけないじゃないですかっ。これはアレです。ほらっ、ネズミ! ネズミに噛まれたんですよ、きっと」
「お前どれだけネズミに好かれる体質なんだ。もしくは恨み買いすぎ。一体ヤツらに何をしたんだ」
呆れたように須永は半眼になると、僕から視線を逸らし、窓の外へ目を向けた。
晴れ渡った空は抜けるように青い。
僕は身体を隠すためにシーツに包まると、相変わらず全裸で堂々と窓際に立っている彼の隣に並んだ。
「いい天気ですね。風が気持ち良いです」
「昨日の台風が嘘みたいだな」
「そうですね……。あ、台風! 思い出しましたっ。僕たち家に帰れなくて、ここに泊まることにして――」
――身体を重ねてしまった。
鮮やかに蘇ってきた昨晩の行為に、頬が急速に赤らんでいく。
ふと視線を須永に向ければ、彼は唇の端を吊り上げていた。
それはセックスの最中に見ていた表情そのもので、ボッ、と火がついたように全身が熱くなる。
「あっ、あっ……嫌ですー!」
「おい、泉……ッ」
堪らずシーツに顔まですっぽり隠れると、須永が勢いよく剥ぎ取ってきた。
「昨日の夜、あれだけ乱れておきながら、まだ恥ずかしいのか?」
「当たり前じゃないですかっ。あんな……!!」
初めこそ嫌がっていたものの、最後の方には自分から須永を求めていた。
僕はそのときのことを思い出して羞恥を感じないような人間ではないし、そういうモラルの欠けた人間にはなりたくない。
恨めしげに須永を見ると、彼は目元を少しだけ和らげた。
「なんつーか、可愛いヤツだな。泉って」
「何ですか、その感想は! 貴方はこういうシチュエーションに慣れているかもしれませんけど、僕はそうじゃないんです。誰かと一夜を共にするだなんて初めてですし、こんなにドキドキするのだって初めてで……っ」
僕は口を噤むと鼓動に耳を澄ませてみた。
音が刻まれるリズムは信じられないくらいに早いのに、決して耳障りではなく、むしろ心地よくさえあった。
けれど同時に、軋みを上げているようでもある。
「……須永さんって、誰とでもこうやって寝るんですよね?」
「基本的にはな。誘われれば断る理由がねぇし」
「となると、やっぱり僕は“その他大勢”の中の一人に過ぎないんですよね」
ポツリと呟き、不思議そうに顔を覗き込んできた須永の目を、翳った気持ちで見返す。
キリキリとしたこの胸の痛みを、一体どこへやればいいのか。
「それ、凄く失礼だと思いませんか……? 貴方にとって僕は代えの利く存在かもしれませんけど、僕にとっての貴方はそうじゃないんです。抗えなかった僕にも、勿論、責任はあります。けれど貴方には、軽はずみな行動は謹んで欲しかったです」
「軽はずみ、か。確かにそうだったかもしれねぇな」
「ッ……。もう僕に触れることは止めて下さい」
須永は真剣な表情で僕の言葉に頷いた後――いきなり抱き寄せてきたではないか。
今の頷きは一体何だったのだと、憤慨するほかない。
胸板を押し返すと、くくっ、と押し殺したような笑い声が聞こえてきた。
「お前はつくづく俺のツボを突くのが上手いよな」
「マッサージした覚えなんてこれっぽっちもありませんよ!」
「そういうことじゃねぇよ。分かってるくせに、バカなこと言うな。照れ隠しのつもりか?」
須永は揶揄するような口調で、けれど優しい声音で囁く。
聞いたことのないそれに怯む僕を、彼は逃がさないとばかりに強く抱きしめて、指に髪を絡めた。
「泉がそんな風に、あれこれ悩む必要なんてない。お前はただ、俺のことだけを想ってろ」
「バカなことをおっしゃっているのは、須永さんの方です。考えることを放棄した人間は、人間とは言えないと思いますよ」
「はっ……違いねぇな」
同意した須永を、ジロリと冷たい目で睨みつける。
彼は悪びれた様子もなく僕から身体を離すと、再び空を仰ぎ見た。
濃い青に、飛行機雲が薄っすらと線を引いているのが見える。
「お前が嫌だって言うなら、俺はもう他の人間とは寝ない。だからお前も、俺以外とは寝るな」
「なっ、何ですかそれ。勝手に決めないで下さい!」
「じゃあどうしたいんだよ?」
「それは……っ」
言葉を詰まらせる僕の頭を須永はポンポンと叩くと、気の抜けたような笑顔を浮かべた。
「とりあえず、服着ようぜ。会社にも行かないといけないわけだしな」
「……は、はい」
すっかり裸なことを失念していた僕は、顔を赤らめながら頷いた。
手渡されたスーツを着ながら、モヤモヤとした感情の正体を掴むべく、必死に思考を働かせる。
掴めそうで掴めない、この嫌な気持ちは一体何なのだろうか。
「泉、身体ダルイだろ? 歩くの面倒だし、タクシー呼ぶことにするからな」
「そうして下さると助かります――って、そうですよ! ホテルなんか来なくても、タクシー使えば家に帰れたじゃないですかっ」
閃きにポンと拳で掌を打つと、須永は何を今更とでも言いたげに眉を顰めた。
もしかして彼は、初めからこの方法を思いついていたのだろうか。
「ど、どういうことですか? このことに気づいていたのなら、こんな所に来る必要は……」
「あったんだよ。ちゃんと、そうする理由が」
須永は僕の腕を引くと、唇を重ね合わせてきた。
すぐに離れていったけれど、僕を黙らせるのには、それは十分過ぎる程の効果を持っていた。