15. 恋心至上命令


流されるままに聖さんと付き合うことになってしまった僕は、彼と一緒に花火大会の会場である川原に向かっていた。
手は、しっかりと繋がれている。
いくら見物人の雑踏の中で目立たないとは言え、やはり恥ずかしく、まともに聖さんの顔が見れない。

「泉さん。向こうに良い穴場があるのですが……」
「あ、行きましょうか」
「林を進んでいくことになりますので、足元に注意して下さいね」

目元を和らげる聖さんの浴衣姿は、思わず見惚れてしまうほど綺麗なものだ。
やはり元が良い人間というのは、何を着てもバッチリ決まるらしい。
それに比べて、浴衣に着られている感が否めない僕の情けないこと……。
聖さんは可愛いと褒めて下さったけれど。

「よくここにいらっしゃるんですか?」
「私ですか? ……そうですね。大切な人が出来たときには、来るようにしています。泉さんはどうですか?」
「あまり参加することはないですね。でも、お祭り自体は凄く好きです。食べ物、美味しいですし」

手に持っている出店で買ったりんご飴を掲げると、聖さんに苦笑されてしまった。
またもや呆れられてしまったようで、ちょっと悲しい。
しばらく林の中を歩き続けていると、視界が開け、人気のない丘に出た。
川原が展望できるここからなら、確かに花火がよく見えそうだ。

「いい所ですね。人気がないっていうだけで、落ち着きます」
「泉さんは、騒がしい所はお嫌いですか?」
「度が過ぎているのは、ちょっと。お祭り程度の騒ぎなら平気なんですけど、やっぱり、そわそわしちゃいますよね。感化されてしまうと言うんですか? それはそれで楽しいんですけど、そのテンションの高さのままだと、翌日が大変なことになりますし……」

おおはしゃぎしてしまった次の日の、身体のダルさと言ったらない。
聖さんは僕の言葉に頷きながら、平らな大きめの石に腰を下ろした。
彼の隣に僕も座って、何ともなしに眼下に広がる景色を眺める。

「だから、ここに連れて来てもらえて嬉しいです」
「泉さん……」

聖さんは愛しそうに僕の名前を呼ぶと、頬に手を触れさせてきた。
目が眩みそうなほど美しい顔立ちが、睫毛が数えられるくらいにまで近くに寄せられる。



――キス、されるんだ。



「あ、やっ……嫌ぁ……!」
「ッ……!?」

ほぼ、反射だったと思う。
何をされるのか本能的に覚ると同時に、僕は聖さんのことを思い切り突き飛ばしていた。
閉じてしまった瞼をおそるおそる開けば、地面に腰を打ち付けて痛そうに顔を歪めている聖さんがいる。
サァッと血液が足元へ下がっていくのを感じた。
一体、僕は何をやっているのだろう。

「す、すみませ……っ」
「いいえ。少し性急過ぎましたね。こちらこそ、驚かせてしまったようで申し訳ありませんでした」

差し伸べた僕の手を握り返しながら、聖さんは人の良い微笑を浮かべた。
酷いことをしたと思うのに責めることのない彼に、罪悪感で一杯になる。
いっそ最低だと罵ってくれれば、気も楽になるというのに。

「……しかし、情けないところを見られてしまいましたね」
「そ、そんなっ。聖さんは悪くないですから!」
「え? あ、すみません。今のは泉さんに対して放った台詞ではないのですよ」

浴衣に付着した土埃を払いながら苦い表情を浮かべる聖さんに、僕は小さく首を傾げた。
僕相手ではなかったのなら、一体誰に……?

「聖も好きな相手には強く出られないみたいだな。見てて、すげー愉快だったぜ?」
「尾行が趣味の貴方に言われたくありませんね、須永?」
「え、な……えっ!?」

林から突如として笑い声と共に姿を現した浴衣に身を包んだ須永に、僕は目を真ん丸く見開いてしまった。
どうして彼がこんなところにいるのだろう。
いや、それ以前に、聖さんは彼の存在に気づいていたのか……!?
対峙する二人の顔を交互に見ながら眉尻を下げると、須永に腕を引っ張られ、抱き寄せられた。

「ちょっ、なな……何するんです!?」
「ちょっと黙ってろよ。俺は聖と大事な話があるんだ。なぁ?」
「どうせ、さっさと立ち去れとかそういう類のものでしょう? 貴方が私に言いたいことなど、聞かなくても分かりますよ」

聖さんは忌々しそうに呟くと、須永のことを一睨みして踵を返した。
林の奥に姿を消して行く彼に、須永は満足そうに目を細める。

「意外だなー。素直に身を引いてくれるのか」
「……何を今更。貴方はこうなることを想定していたくせに」

聖さんは刺々しくて冷たい声音で言い返すと、足早に歩いて行ってしまった。
置いていかれたことに戸惑いながら、身体にまわされている須永の腕をペチペチ叩く。

「説明を求めます! どういうことですかっ」
「説明も何も、聖がお前を諦めたってだけのことだろうが」
「それって、僕と別れるってことですか……!?」

付き合ってまだ二日と経っていないのに、こんなことがあっていいものなのか。
愕然とした表情を向けると、須永は呆れたとでも言いたげな、長く深い息を吐き出した。
腹が立つことこの上ない。

「あのなぁ。好きなヤツにキス拒まれて、平然と付き合い続けていられるかよ。そりゃ、それでもいいって男はいるかもしれない。でも生憎と、聖はそういう寛大な心は持ってないんだ。あいつ、無駄にプライドだけは高いからな。今頃ズタズタに引き裂かれた気持ちでいるんじゃねぇの? 清々するな」
「そんな……。僕、そんなつもりじゃありませんでした!」

言い訳がましいかもしれないけれど、本当に聖さんを傷つけるつもりなどなかった。
どのような形であれ、僕は彼を受け入れてしまっているのだから。
それなのに――僕が聖さんにしたことは、一体何だ?
あんなにも真っ直ぐに、好きだという気持ちをぶつけてくれていたというのに。

「じゃあ、お前はあのままキスされて、抱かれても良かったって言うのか?」

自己嫌悪に陥っていた僕は、冷淡な声に我に返った。
蔑むような眼差しで僕を見る須永に、じっとりと、嫌な汗が滲む。
いつものように軽口を叩けるような雰囲気ではなくて、口元が引き攣るのを感じた。

「そんなこと、あるはずがないです。僕は……」
「だよな。お前が俺以外に抱かれてもいいって、思うわけねぇもんな?」
「………………は?」

思わぬ台詞を耳にした気がして、僕はつい聞き返してしまった。

「何だよ、その妙な間は?」
「だ、だって貴方が可笑しなこと、おっしゃるから……ッ」
「可笑しいことか? これほど的を得た意見はねぇだろ」

珍妙な生き物を相手にしている気分になってきた。
須永相手に一瞬でも手に汗握る思いをした自分が、どうしようもなく情けなく思えてくる。

「僕、前々から言おう言おうと思っていたんですけど。本気で貴方の考えが理解出来ません」
「そんなの当たり前だろ。他人は所詮、他人だ。自分じゃないんだから、共感は出来ても完全な理解にまで至れるはずがない」
「……ま、真面目なこと言わないで下さい。似合いません!」

ぷいっと顔を背けるものの、手で無理やり顔を須永の方に向けさせられてしまう。
乱暴なその動きに苛立って睨みつけた彼は、自信に溢れた表情をしていた。
それは見るものを惹きつけて離さない、彼ならではの艶やかな笑みだ。

「でも、ある程度までなら感じ取ることが出来る。分かるか? ……分かんねぇだろうなー、泉には」
「失礼なことおっしゃらないで下さい! その通りですけど!」
「いちいち声荒げんなよ。まっ、その証拠としてはアレだけど、お前の隠してること言い当ててやる」

僕に隠し事などない、と言い切れないのが悔しいところだ。
一体須永は何を言うつもりなのだろう。
少しだけ不安を覚えていると、視界がぐるりと回転した。
背中には硬い地面の感触。対照的に柔らかな草が、素肌に触れてくすぐったい。
すぐ近くには須永の顔があって、その向こうには星空が広がっていた。
小さな光の瞬きを見るのは、何年ぶりだろうか。
忙しい生活の中では夜空を見上げることがなかったから、何故だかひどく感慨深くて――思わず現実逃避してしまったではないか。

「すっ、須永さん! 言い当て! 言い当てはどうなったんですかっ。証拠、見せてくれるんでしょう!?」
「だからこれが証拠だって」
「はい?」
「俺が今からお前にすることを、お前は絶対に嫌がらない――ってな?」

ニヤリと片方の唇の端を引き上げ、須永は僕の浴衣の帯を外し始める。
どうしたらその結論に辿り着くのかと尋ねれば、彼はさも当然だとでも言いたげに口を開いた。



「だってお前、俺のこと好きだろ?」




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