17. 恋心至上命令
「冷たい! 冷たいです、須永さんっ。水、嫌……!」
「そりゃ、もう夜だからな。いくら夏だとしても、冷たいに決まってるだろ」
互いの恥ずかしい液でぐしょぐしょになってしまった僕と須永は、川原で身体を洗い流していた。
花火大会が終わったことで、賑わっていたここも本来の静けさを取り戻している。
本当、近くに水場があって助かった。
「野外プレイなんて正気の沙汰とは思えませんね」
「興奮してたくせによく言うぜ」
「してません! 勝手な解釈しないで頂けませんか? っ……!」
川から岸に上がったところで、ズキリ、と鋭い痛みが腰に走って堪らず座り込んでしまう。
あれから僕は、意識を失うまでずーっと須永に犯され続けていたのだ。
少し動くだけでこうして立っていられなくなる程に、硬い地面でのセックスは身体を蝕んでいた。
「ったく、情けねぇな」
「誰のせいだと思ってるんですかっ」
「俺だろ」
恨めしげに見上げれば、どこか嬉しそうに言葉を返される。
僕はため息をつくと、よろけながら立ち上がった。
「このままじゃ、風邪を引いてしまいますね……」
「もう一回ヤるか?」
「どうしてそうなるんですか!」
「身体、温まると思うぜ」
温まったとしても、再び汁塗れになるのであれば意味がない。
須永の提案に呆れ果てながら、僕は寒さに震える身体を自らの腕で抱きしめた。
「ほら、こっちに来いよ。普通に温めてやるから」
「普通に? 普通って何ですか。……そういうこと言っておいて、変なことするつもりじゃないでしょうね?」
「しねぇよバカ! お前は俺を盛りのついたイヌだとでも思ってんのか!?」
妙なことをされるかもしれないという疑いはまだあったけれど、肌の温もりを求めて、つい歩み寄ってしまう。
隣に立つと、ぎゅっと肩を抱かれた。
伝わってくる体温に、先程までの激しい行為を思い出して知らず頬が熱くなる。
「くっついてると、気持ち良いよな」
「そ、そうですね。……須永さんの体温は、落ち着きます」
「お褒めに頂き、光栄だぜ。俺もお前とこうしてると、すげぇ落ち着く。匂いとか最高」
僕はぎょっとなって須永の顔を見た。
匂い――情事の残り香を指しているのだろうか。
確かに、精液というのはなかなか臭いが消えないものだ。
洗ったはずなのに落ちていなかったのかと鼻を利かせていると、隣から笑い声が聞こえてきた。
「須永さん?」
「バカ、俺が言ってるのはそういう臭いじゃねぇよ。お前の持ってる、元々の匂い! つっても、よく分からねぇか」
「ええ、微塵も分かりませんね」
「……お前、こういうときには素直過ぎるくらいなのになぁ」
ため息交じりにぼやく須永から、僕は視線を川へと移した。
よく晴れた今日は、夜空にだけでなく水面にまでハッキリと月は姿を現している。
満月の下、裸で肩を寄せ合って川原に立つ成人男性二人組み……。
改めて状況を考えて、頭が痛くなった。
「なんつーか、俺らまるで変態だな」
「貴方もそう思いますか? 僕も激しく同感です。そろそろ乾いてきましたし、浴衣、着ましょうか」
石の上に置いてある、少しだけ湿った浴衣を手に取る。
半乾きのそれを着るのは正直抵抗があるが、仕方がないだろう。
完全に乾くまで待っていたら、いつになるか分からないのだから。
「……結局、泉は拒まなかったよな。最後まで、俺のことを」
「っ――!!」
須永によって呟かれた言葉に、強く帯を締めてしまって息を呑む。
腹部の締め付けに咽返りながら、僕は彼の方を振り向いた。
しっかりと浴衣を着て月明かりの下でせせら笑うその佇まいは、驚くほど絵になっていて、心臓がドキリと跳ね上がる。
「あ、貴方にああいうことされて……拒める方が、どうかしているんです」
「聖はちゃんと、拒めたじゃねぇか」
「だから、貴方が相手だからと言ってるじゃないですか!」
「好きだからか? 俺限定なのは」
何てことないように気軽く質問してくる須永に、僕は言葉を失ってしまった。
そんなこと――答えられるはずがない。
彼から顔を背けると手首を掴まれた。
「な、何を……?」
「言えよ。俺が好きだって」
「どっ、どうして須永さんはそんなに僕にそれを言わせたがるんですか……ッ」
手を振り払おうとするものの、予想外に力強く僕を掴んでいるそれは、微動だにしない。
須永を睨みつけると、彼は目を丸くしてから納得したように何度か頷いて見せた。
「ああ、そうか。まだ言ってなかったな」
「何がです?」
「俺はお前が好きなんだ」
……もしかしたら僕は、相当疲れているのかもしれない。
どうにも耳の調子が可笑しく感じて眉間にしわを寄せると、須永に思いっきり頬を抓られてしまった。
「ッ――! ひっ、人の痛覚をむやみに刺激しないで下さい!」
「ふざけんなっ。俺が告白してやってるんだぞ!? 喜ぶなり何なりしたらどうなんだッ」
「な……っ!? どうしてそんなことを強要されなければならないんですか!? どうせ僕をからかってるだけのくせに!!」
いくら何でも、ここまで分かりやすい嘘に騙されたりはしない。
憤然とした思いに目付きを鋭くすると、須永が珍しく困ったように眉尻を下げた。
「お前が俺にどんなイメージ抱いてんのかは知らねぇが、俺は冗談で好きだなんて口にしない」
「や、止めて下さい。本当にそうなんだとしたら、どうして聖さんと付き合えだなんて言ったんですか!?」
ズキリ、と胸に走った痛みに顔を歪める。
須永は分かってくれているのだろうか。
僕が彼に聖さんを推されたときに、どれほど嫌な気持ちになったのかを。
息苦しさを覚えて俯くと、須永が膝を屈めて顔を覗き込んできた。
「お前に、俺のこと好きだって自覚させるためだ」
真っ直ぐ見つめてくる瞳に、心が射抜かれる。
須永が全て冗談ではなく本気で言っているのだと、否応なしに理解させられた。
「ぼ、僕は……っ」
「考えたこともないだろ? 俺をどう想っているのか。だから、無理にでも意識させてやりたくなったんだ」
「それで、聖さんを巻き込んだんですか……?」
僕に突き飛ばされたときの彼の顔を思い出し、奥歯を噛締める。
たとえ明確な目的があったのだとしても、他人の気持ちを利用し、傷つけるような行為が許されるはずがない。
「一応言っておくけどな。聖はとっくに、俺に利用されてるって気づいてたぜ」
「……え?」
「気づいてて尚、俺の望む通りに行動してくれてたんだよ。じゃなきゃあいつが、あんな形でお前との恋人関係を築こうとするはずがねぇだろうが」
聖さんは不本意ながら僕と付き合い始めたということなのだろうか。
一体、どうしてだ?
理由が分からずに首を傾げると、須永は目を細めて笑った。
「それだけ、愛されてるってことだろ」
「だから、そういう断片的な言葉じゃ理解出来ないんですってば。しっかり、余すことなく説明して下さい」
「……お前は本当に、何て言えばいいのか。バカだなんて一般的な言葉じゃ表し切れないな。まあ、いい。説明してやるから、一回で理解しろ」
須永は息を吐くと、ぴっ、と人差し指を立てた。
「すげぇ、呆れるくらい簡単な理由だ。聖は自分が泉に愛されていないこと、泉の気持ちが俺に傾いてることに気づいてた。お前が、その気持ちを自覚していないことにも。……だからあいつは、俺の考えた作戦にあえて乗ってくれたわけだ。恋が叶って、お前が幸せになれるようにってな」
絶対に認めたりはしないだろうが、と須永は肩を竦めた。
彼の推測が合っているのだとすれば、聖さんは僕に拒絶されることを覚悟していたことになるのだろう。
そう考えると少しだけ、気持ちが楽になった。
「まあ、あわよくば自分のものに、くらいは考えてたと思うけどな。……泉がキスを拒まなかったら、あんな潔く諦めてはいないはずだ。つっても、あいつが力ずくで奪いにきたとしても必ず勝てる自信はあるけど」
勝気な笑顔を浮かべる須永に、僕は眉間に深くしわを刻んだ。
これでは全て、彼の計画通りに物事が進んでいるということではないか。
踊らされていたのだと思うと、悔しさに苦虫を噛み潰したような気分になる。
これで僕が須永を好きでもなんでもなければ、一泡吹かせることが出来るのだろうけれど――。
「……貴方、本当に最悪ですね。性質が悪いにも程があります」
「はっ、何を今更?」
嘲笑うように鼻を鳴らした須永に、その通りだと嘆息する。
彼の傍若無人っぷりは、今に始まったことではないのだから。
いつだって、身勝手で横暴で。
「今回のことも、前回のこともそうですけど。強姦しといて、罪悪感のカケラもないんですか?」
「ねぇな。あるわけねぇだろ、そんなもん。お前が嫌がってなかったってのに」
とんでもなく、自信家で、傲慢で。
命令すれば何だって言うことを利くと、勘違いしているに違いない。
「お前、俺のものになれよ」
「ふざけっ……」
振り上げた腕を軽々と受け止められ、そのまま抱き寄せられる。
押し付けられた唇に、抗う術なんて僕は持っていなくて。
瞼を閉じると、熱っぽい囁きが耳に落とされた。
あぁ、本当に嫌になる。
「俺だけを見て、俺だけを愛してろ」
いつだって彼の言葉は、僕を捕らえて離さないのだから。