2. 恋心至上命令


子気味いいタイピングの音に混じって、須永の鼻歌が聞こえてくる。
低いながらもどこか艶のある声音は耳に心地いいけれど、必死に仕事をこなしている状況では苛立ちを増幅させるものでしかない。
僕は視線をパソコンのディスプレイから、隣の席に座っている須永へと向けた。

「ん? 終わったのか?」
「……なわけないでしょう。それより、この手は何なんですかっ」

僕の髪を絡ませている須永の指を、パチンと叩く。
残業中で他に誰もいないのをいいことに、先程から彼はずっと僕の髪を弄んでいた。
何がしたいのか全くもって不明だけれど、とりあえず、ときおり思いついたように強く引っ張るのをやめて欲しい。
絶叫へと変わった頭皮と毛根の悲鳴が、そろそろ断末魔に成りそうだ。

「見てるとつい触りたくなるんだよ。お前の髪、真っ直ぐで綺麗だから。実際、サラサラしてて気持ちいいしな」
「そう思うのは結構ですが、行動にまで移さないでください。っていうかそれ以前に、用もないのに見てないでくださいよ! 珍しく眠らずにいるなと思ったら、何やってるんですか!!」
「いつどこで何をするのか。そんなの、俺の勝手だろ?」

しれっと言い切る須永に、ふつふつと怒りが湧きあがってくる。
自由放任主義、それもいいだろう。
けれど生憎と、今はそれが許されない会社内だ――僕と彼しかいないけれど。

「郷に入らば郷に従えという、有難い先人の教えがあるでしょうっ。ルールと礼儀は守らなくてはならないものなんです!」
「だから何だよ?」
「働いてください! 今日中にこのノルマを終わらせないと、仕事の期限に間に合わなくなってしまいますっ」

上司に怒られる場面を想像して、半ば泣きそうになりながら再びパソコンに向かい合う。
そんな屈辱的な目になど、絶対に遭ってたまるものか。
しばらく須永はつまらなさそうに僕の様子を眺めていたけれど、何を思ったのか、いきなり腕を引っ掴んできた。

「ちょっ、離してくださ――」
「俺は、お前だけを見ていたいんだよ」
「……はっ?」

何だかとんでもないことを口にされた気がして、思わず須永の顔を凝視してしまう。
いつになく真剣な表情をしている彼に、鼓動の高鳴りが抑えられない。
先の会話の流れからどういう意味が含められた言葉なのか思索していると、須永の目が嬉しそうに細められた。

「相変わらず、いい反応だぜ。泉ってすぐに赤くなるよな」
「なっ!? そ、そんなことありません。適当なこと言わないでくださいっ。第一、ここで赤くなる理由がないじゃないですか!!」
「あー、はいはい。そういうことにしておいてやるよ」

須永は僕の頭を宥めるように数回叩くと、両肩を竦めながら自分の席へと戻っていった。
仕事をしてくれる気になったのだろうか。
馬鹿にされたことは悔しくてたまらないが、これで彼がきちんと働いてくれるのなら素直に嬉しい。
椅子に座った須永の行動を見守っていると、彼は腕を組み、深く項垂れたではないか。

「ちょおおおっ!? 何、思いっきり眠る体勢になってるんですか貴方はーッ!!」
「だってお前が相手してくれねぇのなら、起きてる意味ねぇし」
「意味はありますとも! ええ、それはもう、とってもっ。確かに僕は貴方の相手をすることは出来ません。けれど――」

須永の傍に移動して、彼の目の前にあるデスクトップ型のパソコンを指し示す。

「コレが、貴方の相手をしてくださるそうですよ?」
「……お前、それマジで言ってんのか?」
「大マジです。どうぞ、両手を挙げて喜んでください」

心底嫌そうな顔をしてから引き攣ったような笑みを浮かべる須永に、僕はちょっとだけ爽快感を得ていた。
こういう顔をさせられているのは、いつも僕の方だったから。




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