9. 恋心至上命令


高級料理店としか言い表しようのない所に連れて行かれた僕は、忙しなく視線を泳がせていた。
大きな窓ガラスからは夜景が見渡せ、机に置かれたキャンドルに灯された火は、貸切なのか僕と聖さん以外の姿がない暗い店内をほんのりと明るくして、妖艶なムードを醸し出している。
何となく予測は出来ていたけれど、まさか本当に、こんな高価な料理を食べることになるだなんて。
メニューに書かれている金額に、頭がクラクラさせられる。

「あの、聖さん。僕、あまりお金持ってきてないんですけど……」
「安心して下さい。私が誘ったのですから、当然、全てお支払いさせて頂きますから」
「そんな! だって、こんな――」

思わず声を荒げると、聖さんは制するように僕の唇に指先を押し当ててきた。
そのままにっこりと笑まれれば、何も言えなくなってしまう。
僕は再びメニューに視線を落とした。

「何でも、お好きなものをどうぞ。お金のことは気になさらないで下さい」
「じゃ、じゃあ……ステーキとか頼んじゃってもいいんですか?」
「もちろんです」

気前のいい聖さんに、じわじわと欲求が押し寄せてくる。
今後こういう所に来ることはないだろうし、やはり、いろいろな物を食べておきたいのだ。
しかし僕は、奢ってもらっておきながらフルコースを頼むことが出来るほど、図太い神経を持ち合わせていない。
なるべく安価なもので済まそうと遠慮がちな眼差しを聖さんに向けると、彼はウェイトレスを呼びつけ、爽やかな声で“フルコースをお願いします”と注文した。

「ひひっ、聖さん!? 僕、そんな物欲しそうな顔をしていましたか!?」
「いいえ。私が食べたかっただけですよ」

心を読まれたと焦る僕に、聖さんは柔らかく否定する。
恥ずかしさと喜びと申し訳なさが相まって、僕は頬が熱くなるのが分かった。
か、敵わないな。この人には……。

「泉さん、お酒は飲まれますか?」
「は、はい。ビールは苦いから好きじゃないですけど、それ以外なら」
「それは良かった。ここの白ワイン、とても美味しいですから」

既に店側で用意されていたのかすぐに運ばれてきた白ワインを、これまた高価そうなワイングラスに聖さんは注いだ。
不思議なほど美しい色合のそれに、知らず喉が鳴る。
僕と聖さんはワイングラスを目の高さまで上げて、アイコンタクトでのみ乾杯をした。
普段飲んでいるものとは比べ物にならない程の深い味わいと匂いに、並々ならぬ感動を覚えてしまう。

「はぁ……。凄い、これ」
「満足して頂けているようで、何よりです。……ところで、質問があるのですが、宜しいですか?」
「はい! どうぞっ」

運ばれてきた前菜にフォークを差しながら、嬉々として答える。
聖さんは少しだけテーブルから身を乗り出すようにすると、じっと僕の目を見つめてきた。

「泉さんは、どなたか付き合っている方がいらっしゃるのですか?」
「ゲホッ、ゲホッ!! なな、何ですか急にッ?」

まさか聖さんにそんなことを訊かれると思っていなかった僕は、前菜を気管に詰まらせてしまった。
仕事に追われる毎日を過ごしている僕に、恋人などいるはずもない。
ハンカチで口元を押さえながら聖さんを見ると、彼は答えなくても今の反応で分かったのだろう、若干目を細めていた。
それは僕を馬鹿にしたものではなく、むしろ安堵しているかのような、和らかな眼差しだった。

「聖さんは、どうなんですか?」
「残念ながら、おりません。好きな人はいますが」
「そうなんですか? 聖さんに愛されるくらいです。素敵な人なんでしょうね」

僕がワイングラスを揺らしながら言うと、聖さんは小さく口元に笑みを浮かべた。
彼ほどの人なら、恋人の一人や二人――というのは流石に問題だけれど、いても良さそうなのに。
恋愛というのは誰でもそう簡単にはいかないのだと、少しだけ安堵してしまう。

「須永も、聖さんと同じで意外と恋人がいなかったりするんですかね?」
「何故、ここで須永の名を?」

ぴくり、と眉を動かした聖さんの表情は氷のように冷ややかなものに変化していた。
彼の前で須永の名前を出すのは不味かったか。
聖さんの心象を悪くしてしまったことに罪悪感を覚えていると、彼は気落ちしたように目を伏せた。

「……どうしたら、貴方の中から彼の存在を消すことが出来るのでしょうね」
「はい? すみません、聖さん。もう少し大きい声で――」
「須永に恋人はおりませんよ。好きな方はいるようですが」

聖さんはやけにキッパリ言い切ると、椅子から立ち上がり、僕の傍に歩み寄ってきた。
優しく手を握られて、否応なしに鼓動が高鳴る。
そう言えば初めて彼と話したときにも、こうして手を握られていたような気がする。
視線を手から聖さんの顔へ移すと、彼は一瞬だけ苦しそうな表情をしてから、僕に浅い口付けをしてきた。

「本音を言えば、須永よりも前にキスを交わしたかったです」
「……ひ、じりさん?」
「先を越されることは、負けたような気がして気分が悪いですから」

唇には、聖さんの唇の柔らかな感触がはっきりと残っている。
どうしてここで、どうして僕が、彼にキスをされなければならないのか。
訳が分からずに聖さんの顔を凝視していると、簡単なことですよ、と彼は柔らかく目を細めた。



「私の好きな人が、貴方であったというだけの話です」




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