10. 幼き日の約束の証


泊めてもらった上に朝食まで作ってもらってしまった俺は、お礼として家事を手伝ってやることにした。
そんなわけで皿洗いをしているわけだが、どうにも俺には向いていない仕事だったらしい。
ガッシャーンッと派手な音がして、手から床へ滑り落ちた皿が割れる。

「てめっ、こら睦月ぃいッ!!」
「ごごっ、ごめんなさぁああいッ」

庭で洗濯物を干していた辰巳が、音を聞きつけたのか怒鳴りながら詰め寄ってきた。
口をへの字にひん曲げて目を吊り上げるこの顔を、もう今日だけで何度見たことだろうか。
辰巳は俺の足元に散らばる皿の破片を見て、整った眉目を寄せた。

「っとに、何度割れば気が済むんだお前は!」
「わ、わざと割ってるわけじゃないんだからな!?」
「当たり前だ! つーかもういい。お前は何もするな!! この役立たずがッ」
「んなっ!? ひ、人がせっかく感謝の気持ちを表しているってのに、そんな言い方ないだろッ」
「ろくに能力もない人間のそういう気持ちって、マジで迷惑なだけなんだよ!」

荒々しい声で言い切られ、俺はうっと声を詰まらせた。
視線を落とせば、バラバラに砕かれて原型を留めていない皿がある。
悔しいけれど、辰巳の言うことは最もなんだ……。

「……分かったよ。もう、何もしない」

意気消沈気味に呟くと、俺は割れた皿の後片付けを始めた。

「ちょっ、睦月! 待っ…」
「いったぁ!?」

鋭い痛みが指先に走り、思わず手を引っ込める。
どうやら破片の尖った箇所で切ってしまったらしい。
人差し指の腹に、ぷくっと血の玉が浮かぶ。
すぐにそれは、重力に則って赤い線を指に引いていった。

「うわぁッ。血が、血がぁ!? 垂れる垂れる!!」
「あのなぁっ。素手で片付けようとする馬鹿がいるか!? ちょっと見せてみろッ」

辰巳は血を服に落とすまいともたついている俺の手首を掴むと、自分の方へと引き寄せた。
それから彼はじっと傷口を見つめると、その形のいい唇を薄く開いた。
辰巳が何をするつもりなのか俺が察する前に、指先が温かく湿った空気に包み込まれる。

「っ……!?」
「ん…っ」

あまりの出来事に茫然とする俺の指をくわえ込んでいる辰巳は、そっと瞼を閉じると、ちうちうと吸ってきた。
ぞくっと、今までに感じたことのない震えが背筋に走る。

「やっ、ちょ…た……辰巳! やめろ、何してんだよ!?」
「何って、血を止めてやろうとしてんだけど」

辰巳は俺の指先を口から引き抜くと、舌でペロリと傷口を舐め上げた。
きっと彼が浮かべている意地悪な笑みはいつもと変わらないのだろうけど、何故だか今はそれが妙に艶かしく感じられて、心臓が跳ね上がった。
早鐘を打つそこから押し出された血液は濁流のように激しく身体の中を駆け巡り、意識を朦朧とさせてくる。
ろくな反応が出来ずに困っていると、辰巳がふっと唇を緩めた。

「なーに赤くなってんだよ」
「だ、だっ…て。お前、何か…………えろい」

顔を背け、たっぷり間を持たせて言ったのが悪かったのか。
辰巳はにんまりと、これまたいやらしい笑顔を浮かべて見せた。

「この程度でか? お前、どんだけ欲求不満なんだよ?」
「た、辰巳がエッチな顔してんのが悪いんだろ!」
「俺のどこがエッチなんだよ。お前の脳内がそう感じさせてるだけだろーが」
「うぅっ、くそ……! っていうか、離せッ」

俺は手首を掴む辰巳の手を振り払うと、きゅっと唇を引き結んだ。
辰巳相手にドキドキするなんて、どうかしてる……!
きっと慣れないことをしたせいで、疲れてるんだっ。

「辰巳! 俺、ちょっと休みたいっ」
「あ? ……別に構わねーけど」

どこか不満そうな辰巳を尻目に、俺はリビングにあるソファーへとダイブした。
辰巳のお気に入りらしいこのソファーは、寝心地が異常な程にいい。
そんなわけで、ここは俺にとっても大好きな、安らげる場所になっていた。

「ったく。結局、俺が全部お前の尻拭いするはめになるのかよ……」

カチャカチャと皿が片付けられていく音と辰巳の呟きに少しだけ罪悪感を覚えつつも、居心地のいいソファーでゴロゴロと過ごす。
そうして訪れた穏やかな眠気に欠伸をすると、辰巳が話しかけてきた。


――寝顔の可愛さだけは、昔から変わらねぇな


といっても、まどろみから深い眠りへ移行しつつある俺には、彼が何と言ったのかは聞き取れない。
それでも髪を梳いてきたその優しい手つきから、馬鹿にするようなものじゃないことだけは分かった。




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