9. 幼き日の約束の証
「ぶっはははははは!! ひぃっ……おま、ちょ…やべぇなその顔!!」
バンバンと激しく机を叩きながら、辰巳がゲラゲラと笑う。
初めて見る彼の笑顔が、腹を抱えての大爆笑ってどうなんだろう。
それも、俺を馬鹿にした故の。
「人の顔を指で差すな! そしていい加減笑うのを止めろ!」
「うっははッ。怒ると余計に悲惨な顔になるぞー!!」
「辰巳コノヤローッ」
殴ってやろうと腕を振り上げたものの、簡単に受け止められてしまう。
歴然たる力の差に、俺はフガーッと鼻息を荒くするしかなかった。
「くっ、くく……! お前、豚みてぇだぞ。目は瞼が腫れあがっているせいで出目金なのに」
「うるさぁーいっ!! 仕方ないだろッ。昨日泣きまくっちゃったんだから! 出目金になったのも俺が豚みたいにフゴフゴいってるのも、全部ぜーんぶ、辰巳のせいなんだからなッ」
「あっははは! ひっ…も、お前少し黙れよ!!」
辰巳はひぃひぃと苦しそうに息切れをしながら、目元に浮かぶ涙を指で拭う。
頬を怒りに紅潮させながら俺が文句を言うのが、そんなにも面白いのか。
っていうか、そんなに酷い顔をしているのか俺は。
「洗面所、どこだよ。鏡で顔、見てくる」
「待て待て、止めた方がいい。きっとお前、みたら……プッ」
「噴き出すなぁー!」
「悪い、悪い。いやぁ〜っ、久しぶりにこんな笑ったなぁ! そんなぶっさいくなツラ見るのも初めてだー」
「辰巳はあっけらかんと最高に腹立たしいことを口にしてくれやがるな!!」
俺、何でこんな男の家――正確には学生寮だが――に泊まっちゃったんだろう。
家族に泣き顔を見られること承知で、自宅に帰れば良かったのかもしれない。
「むくれるなよ。ただでさえ醜いんだから」
「それは今の腫れぼったい瞼の状態の俺の顔を言っているのか、それとも普段の俺の顔のことを言っているのか、どっちなんだ!?」
「さぁ? それより、さっさと朝食にしようぜー。一応、お前の分も作っといたんだぜ?」
「え?」
辰巳はキッチンから、彼が作ったらしい朝食をダイニングへ運んできた。
机に並べられるそれらは、予想外に美味しそうだ。
ウインナーの絶妙な焼き加減やスクランブルエッグの半熟部分、そしてトーストの香ばしい臭いに、否応なしに食欲が刺激される。
俺は嬉々とした気持ちで椅子に座ると、朝食を食べ始めた。
「辰巳って料理上手だったんだ?」
「上手って程じゃねーよ。とりあえず食べられる程度には作れるってだけ。一人暮らしなんだし、当然だろ?」
「そっかー。そうだよなぁ。一人暮らし……。何で?」
「何でって、これまたどーでもいい質問を……。気にするようなことか?」
「だって矢野先輩は家族と住んでるんだろ? どうして辰巳は寮生活なんだ?」
「大学生になったら、嫌でも一人暮らしすることになるだろうからな。ま、今のうちに予行練習しておこうって思って。……つか、親と一緒に暮らしたくないし」
最後の最後に聞き捨てならない台詞を耳にした気がして、俺は箸を床に落としてしまった。
だがこの際、無視だ。
家族仲が大変良好な俺にとって、今の発言は捨て置けるものじゃなかった。
「辰巳まさか、親と上手くいってないのか!?」
「別にそういうわけじゃねぇんだけど。……俺の両親って、区別がつけられないんだよな」
「は? 区別って?」
「俺と兄貴の」
ぽかん、と口を開けて呆けてしまう。
確かに俺も未だに辰巳と矢野先輩の区別はつけられないけれど……彼らの両親までそうだなんて。
「それはそれで騙せて面白いんだけどな? でも何か……」
辰巳は深々と、寂寥を感じさせるため息をついた。
いつまで経っても見分けられない両親に嫌気が差して、家を出てきたということなんだろうか。
「仲違いしてるってわけじゃ、ないんだよな……?」
「ああ。年末には家に帰ってるしなー」
「ならいいんだけど。……あのさ。自分達以外に見分けられる人って、誰かいるのか?」
「いねぇな」
小さく笑みを浮かべる辰巳の瞳が、僅かに揺らいでいるのが分かった。
そこから感じ取れるのは、確かな悲哀だ。
俺は彼に向かって机から身を乗り出すと、元気付けるように笑って見せた。
「それなら俺が、最初に見分けられる存在になってやるよ」
「ハァ? 別に、んな存在にならなくたって」
「俺がなりたいんだよ。好きにさせてくれ」
「――っ…。勝手にしろ。つーか箸を拾え、箸を」
「あ、はい…」
辰巳からの鋭い視線に肩をすくめつつ、俺は床に落ちている箸を拾い上げた。