12. 幼き日の約束の証


返却された数学のテスト用紙の右上部に赤ペンで書かれている点数と、俺は睨めっこをしながら道を歩いていた。
まさか点数が満点の半分の半分もいかないだなんて思わなかった。
あれ、俺ってもしかしなくても赤点候補生じゃないか……?
スーッと顔から血の気が引いていくのが分かる。
頭に浮かぶのは“留年”という文字。
そんなもの俺とは関係ないね、とか思っていた頃がひどく懐かしい。

「あぁ、どうしよう…っ」

ガックリと両肩を落とすのと同時に、強い風が吹き荒れる。
脱力していた俺の指先は、その勢いに負けてテスト用紙を離してしまった。
俺のもとからびゅーんっと遠くへ飛んでいく、点数が半端なく低いそれ。

「う、嘘だろぉおっ!?」

誰かに見られる前に回収しなければ…!
俺はくるくると回転しながら宙を舞うテスト用紙を、必死の形相で追いかける。
けれども風の速さに敵うわけがなく、掴み取るべく伸ばした指は空を掻くばかりだ。
もうダメ、疲れた…。
諦めた俺が足を止めると、物凄い速さで人影が横を通り過ぎていった。
その人影――辰巳――は高くジャンプをすると、俺のテスト用紙をその手に掴んだ。

「た、辰巳…!?」
「しっかり持っとけよなー。そんなに大切なものなら」

辰巳は俺へ近づきながら、手にしているテスト用紙に視線を落とした。
きっと点数を目にしたんだろう彼の表情が、見る見るうちに青ざめていく。
どうやら他人にそんな顔をさせるほど、俺のテスト結果は悲惨らしい。

「……ひっでぇ点数だな。お前、常々馬鹿だ馬鹿だとは思っていたがここまで馬鹿だったとは」
「そそ、そんな憐れむような目で俺を見るなぁあッ。い、言っとくけど数学以外はいいんだからな!?」
「そりゃ全科目この点数だったら、本当に、何ていうか、言葉が思いつかない……」
「うぅ、うるさいなーっ。いいから返せよ!」

辰巳からテスト用紙を奪い取ると、背後から肩に手を置かれた。
驚きに反射的に振り返れば、矢野先輩が立っていた。
彼の視線は俺が持つテスト用紙の右上部……つまりは点数に向けられている。

「――ここ、これはっ。あのっ。この点数は、何かの間違いで!!」
「確かに間違いだな。お前の解答の」
「辰巳は黙ってろ! や、矢野先輩。俺は……」
「睦月さんって、数学苦手だったんだね。平均点はどのくらいだったのかな? この点数の2倍以上あったりする?」
「は、はい……」
「それは……うん」

優しい矢野先輩にもフォローが思いつかないらしい。
苦い笑みを浮かべて硬直してしまった彼に、俺はこの世から消えてしまいたくなった。

「こ、このままじゃやっぱり……」
「睦月の通信簿には、間違いなく1が付くだろーな。すげぇな睦月、留年だ!」
「うわあああっ!!」

俺が頭を抱えて叫ぶと、矢野先輩が辰巳を咎めるように睨んだ。
それから、俺の肩に励ますように叩いた。

「次回のテストを頑張れば、きっと大丈夫だよ。数学、教えてあげようか?」
「え!? や、矢野先輩がですか!? 嬉しいですっ」

まさかこんなステキ展開が待ち受けていたとは思いもしなかった俺は、顔一杯に笑みが浮かぶのを感じた。
矢野先輩に二人っきりで勉強を教えてもらえるなんて…!!
そのときのことを想像して鼓動を早くさせていると、辰巳がポケットからガムを取り出したのが見えた。
キシリトールガムを憎き敵とでも言うように歯で噛み砕く様を見て、はてと首を傾げる。
辰巳にはガムを苛立ったときに食べる傾向があるし、今の表情を見ても彼が不機嫌なのは明らかだった。

「辰巳、どうかしたのか?」
「……兄貴はッ」

辰巳はキッと矢野先輩を睨みつけた。

「数学が苦手だろうが! 馬鹿な睦月相手に、そんな兄貴が教えられるとは思えないんだが!?」
「馬鹿は余計だ! っていうか、辰巳は何を怒ってるんだよっ。矢野先輩は俺のことを思って……」
「いいんだよ。睦月さん」

矢野先輩はやんわりと俺を制すると、辰巳に向かって微笑んだ。

「辰巳の言う通り、僕は数学がとても苦手だ。そういうわけだから、宜しくね」
「……へ?」
「はっ!? 矢野先輩!?」

俺と辰巳は素っ頓狂な声を上げて、矢野先輩の顔を見つめた。
彼はどこまでも優しげな笑みを浮かべている。
もしかして初めから、矢野先輩は辰巳に頼むつもりだったのか……!?

「辰巳、数学は得意科目だよね?」
「だっ、だからって何で俺がこいつに…!」
「ね?」
「――あ、う……っ」

有無を言わさぬ矢野先輩の笑顔に、辰巳が言葉を詰まらせる。
このままじゃ本当に辰巳に教えてもらうことになってしまうと危惧した俺は、矢野先輩の手を握った。

「辰巳はものすっごく嫌だそうです! 俺としても教えるのが上手そうな矢野先輩がいいですッ」
「僕は人にものを教えるのは苦手なんだよ、睦月さん。その点、辰巳は面倒見がいいから。最後まで見放すことなく傍にいてくれるはずだよ」
「鬼神にずーっと傍にいられても困りますッ」

再びガムを取り出して噛んでいる辰巳を見ながら叫ぶと、矢野先輩は眉尻を下げた。
あぁ、ダメじゃないか俺。
矢野先輩を困らせてしまっている……!

「わ、分かりました。辰巳で我慢します」
「我慢って何だよ! さっきから黙って聞いてりゃ、お前は」
「――辰巳。睦月さんを頼むからね?」

矢野先輩の言葉に辰巳は口を噤むと、納得いかなさそうに、けれど頷いて見せた。
ど、どうしてこうなってしまうんだろう…っ。
ガクッと項垂れた俺に、辰巳が不機嫌そうに舌打つ音が聞こえてきた。




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