14. 幼き日の約束の証


眠気からなのか脳に酸素が供給し切れていないからなのかどうだか分からないけれど、度々出てくる欠伸を俺は何とか噛み殺す。
どうして朝っていうのはこんなにも起きるのが辛いんだろう。
休日の昼頃に目覚めたときなんかは、欠伸なんて一切出ないのに。
滲んだ涙にぼやける視界を正常に戻すべく瞼を手の甲で擦ると、佐伯の姿が目に入った。
彼は俺の靴箱の中に、何故だか手を突っ込んでいる。
不審に思って見ていると、佐伯は白い何かを掴んだ状態で手を靴箱から抜いた。

「なーにやってるんだよ、お前は?」
「わっ!? あ、お……おはようっ」

佐伯は俺に気づくと笑顔を浮かべて、サッと持っていたものをポケットにしまい込んだ。

「それ、何だよ?」
「へ? 何が?」
「今、しまったものだよ。俺の靴箱に入ってたやつだろ。見せろよ!」
「ばっ、ばか。よせって!」

俺は佐伯のポケットに無理やり手を突っ込むと、中にあるものを奪った。
それはノートを破ったもので、二つに折り畳まれている。

「か、返せよ!」
「俺宛てのもんだろ。佐伯に返すっていうのは、可笑しい」

奪い取ろうとする佐伯の手を払い落とし、俺は紙を開いた。
そこに書かれている文章に、あんぐりと口を開けてしまう。
要約すれば、痛い目に遭いたくなかったら矢野先輩に近づくな、とのことだった。
俺が彼とよく一緒にいることを快く思わない輩がいるらしい。
確かに矢野先輩、綺麗な顔をしているからな……。
彼を好きな人間に、恨みを買われても可笑しくないのかもしれない。

「む、睦月っ」
「……なぁ。もしかして今までにもこういうの、来てたのか?」
「うっ、ま…まぁ。つってもここまで攻撃的な内容じゃなかったけど」

きっと佐伯のことだから、俺が傷つかないように、とでも考えて処理をしてくれていたんだろう。
俺はノートの切れ端を睨みつけると、ビリリッと一気に引き裂いた。

「睦月!?」
「バッカみたいだ。矢野先輩に近づくな、だなんて冗談じゃない。大体痛い目って、どんなんだよ? こんな嫌がらせするような奴なんて、怖くも何ともない」
「……陰湿なことしてくる奴ほど、俺は危険だと思うんだけど」
「そうか〜?」
「ああ。これは今まで俺が見てきたものとは、種類が違う。れっきとした脅迫状だ。気をつけた方がいい。……矢野先輩には、近づかない方が」
「それは嫌だ。絶対に」

矢野先輩が好きだからって、こんなことするなんて間違ってる。
嫌がらせをしてきた奴のために、俺が矢野先輩を諦めるっていうのも可笑しい。
俺は脅迫状は一切気にしないことに決め、困惑気味の佐伯と一緒に教室へ歩いていった。



++++++



二時間目の数学の授業ではチェックテストが行われた。
成績を左右するような大きなテストではないものの、今の実力を測る大切なものではある。
結果は、八十点。
定期テストで凄惨な点数を取っていた俺からは、考えられないような点数だ。
きっとこれは、辰巳に勉強を教えてもらっているからなんだろう。
早くも効果が出てきていることが嬉しくって、俺は辰巳に伝えるべく、二年生のクラスがある校舎の二階を走っていた。
しばらく廊下を駆けていると矢野先輩と楽しげに話している辰巳の後ろ姿を見つけたので、俺は勢いよく彼に抱きついた。

「たーつみーっ!!」
「なっ…!? あ、む……睦月!?」
「これ、見て!」

二人に向かってテスト用紙を見せる。
矢野先輩は俺の取った点数に相当驚いたらしく、目を真ん丸くさせた。

「凄いじゃないか…! かなり前回より上がったね、睦月さん」
「はいっ」

にこにこと笑みながら頷くと、辰巳が俺からテスト用紙を奪った。
まじまじと点数を見つめるその表情は、険しい。
きっとこいつのことだから、俺が教えているんだからもっといい点数取れよ、とか言ってくるんだろう。
すぐさま言い返せるよう臨戦態勢に入っていると、辰巳がふっと唇から吐息を漏らしたのが分かった。

「頑張ったじゃん、お前」
「――は? はっ、へ……!?」

予想外の言葉に、俺は拍子抜けしてしまった。
か、からかってこないのか…!?

「何だよ?」
「いや、だって。よ、予想外過ぎて…。馬鹿にされるとばかり」
「あのなぁ。俺だって真剣に物事に取り組んでた奴を、馬鹿にしたりなんてしねーっつーの」

不機嫌そうに言った辰巳に、俺は笑みが零れるのが分かった。
普段かわれてばかりだからなのか、辰巳にそう言ってもらえると凄く嬉しい。

「辰巳、ありがとうな! 助かったよ」
「ばーか。たかがチェックテストだろ、これは。そういうことは、定期テストでいい点数取ってから言え。ちなみに、借りは返してもらうからな。ちゃんと!」
「俺が辰巳にしてやれることって、何かあるわけ?」
「お前それ、言ってて自分で悲しくならないか…?」

呆れたような呟きに、うっと仰け反る。
確かに、自分が役立たずだって肯定してるようなものだもんな。

「はぁー。辰巳より俺が優れてるところって、性格くらいだもんなぁ」
「絞めるぞこの野郎! 睦月の性格だって俺と同じくらい悪いからなッ」
「そんなわけないだろーっ。っていうか性格悪いって自覚してんのかよ!?」
「アレ? 俺、何で認めちゃってるんだ!? ――あぁ、もうっ。お前のせいだ! お前が俺に対して文句ばっか言ってくるから…!! くそっ。お前と話してると気が滅入るッ」

苛立ったように地団太を踏む辰巳を見て、矢野先輩がクスクスと笑う。
辰巳の態度の一体どこが笑えるというんだろうか。

「なーに笑ってんだよ、兄貴!」
「だって可笑しいんだもの。すっごく楽しそうに、気が滅入るとか言うから」
「……は!? なな、ばっ、な……何言ってやがる!? 馬鹿か兄貴は!!」
「いやだなぁー、辰巳ってば取り乱しちゃって。睦月さんが僕達を見分けられてることが、本当は嬉しくってしょうがないんでしょ?」
「――っ…。う、うるせぇ。もう俺はクラスに戻るからな!」

辰巳は俺を一睨みすると、ズカズカと派手な足音を立てながら去っていった。
矢野先輩も彼の後を追って、相変わらず楽しそうに笑いながら歩いていく。
俺はそんな二人を見ながら、ただただ、首を傾げるしかなかった。
何だっていうんだ、一体。

「……あれ。そういえば」

矢野先輩の言う通りだ。
俺、いつの間に二人を見分けられるようになってたんだろう……。




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