15. 幼き日の約束の証


特段学びたいことがあるわけでもないのに親の言われるがままに国公立大学を目指して高校で勉強しているのって正直どうなんだろうな、などと取り留めのないことを考えながら、濃い群青色が混ざりつつある茜色の空を見上げる。
今日の授業もいつも通り退屈で、俺は終始睡魔と葛藤していた。
ノートにはミミズのような文字が走りまくっていたし、どうせ内容は頭に入ってこないんだから、堂々と眠ってしまうというのもありなのかもしれない。
大きな欠伸をして肺に酸素をたっぷり送り込んでいると、不意に背後から、見知らぬ男の声が聞こえた。

「はーい、確保〜」
「な!?」

同時に羽交い絞めにされ、俺はワケが分からず手足をばたつかせた。
けれどガッシリとした腕は、俺の身体を固定したまま動かない。

「ちょ、何だよ!? 離せってば!!」
「悪いけど、それは出来ないんだよなー。仕事だからさァ」
「し、ごと…?」
「アンタを学校に出られなくなっちゃうくらい、痛めつけるっていう……さ?」

耳元で囁かれて、ゾクリと嫌悪に身体が震える。
どうしてそんなことをされなければならないのか――考えてみて、俺は結論に辿り着いた。
少し前に靴箱に入っていた、脅迫状。
あれを仕込んだ人間が、要求を無視し続ける俺に対して怒ったということなんだろう。

「ふざけんな…っ。おい、お前に仕事を頼んだのは誰だ!?」
「私よ」

校舎の影から、冷徹な笑みを浮かべる女子生徒が出てきた。
背が高くスラリとしていて、間違いなく美人に入る部類の女だ。
けれどその顔は、嫉妬の感情に今は醜く歪んでいる。

「お前が…ッ」
「そうよ、悪い? 矢野先輩は私のものなんだから。彼の傍をチョコチョコ駆け回られると、迷惑なのよ」
「ふざけるな! 矢野先輩が自分のものだって!? はっ、勘違いも甚だしいな!」
「っ……ムカつくガキね! ちょっと、早く黙らせてよ!!」

女子生徒の指示に、俺を捕らえていた男が返事をする。
その直後、地面に俺は叩きつけられていた。
ぐらんっ、と脳が大きく揺さぶられた感覚に吐き気が込み上げる。

「悪いなー。俺はお前に恨みはないんだけどさァ。金くれるっつーあの女の指示には、逆らえないんだよな〜」
「うぁ!?」

男の拳が俺の頬を直撃する。
唇を切ったのか、微かな鉄の味がした。
殴られたショックと痛みに呆然となっていると、女子生徒の甲高い笑い声が鼓膜を叩いてきた。

「あぁっ、最高だわ。もっとやってあげて! 私の矢野先輩に色目を使う奴は、みんな消えればいいのよ!!」
「――誰が、誰のモノだって?」

女子生徒の顔が、すぅっと青ざめていくのが見えた。
俺は男に組み敷かれている状態のまま、視線を彼女の背後に立つ、男子生徒に動かした。
見知ったその姿に、強張っていた身体が弛緩していく。
どっと押し寄せる安心感に、涙腺が緩みそうになる。
そんな俺を彼――辰巳――は一瞥すると、チッと舌打ちをした。

「どういうつもりなんだ、お前ら」
「ち、ち…違うのよ! 私はたまたまここに居合わせただけ! 私は何も…!!」

女子生徒の必死な訴えに、辰巳は嫌悪を露に瞳を細めた。
それで彼女も覚ったんだろう。
この状況での弁解に、意味はないんだと。
辰巳は彼女の腕を掴み上げると自分の方へ引き寄せ、耳元で何かを囁いた。
ただでさえ優れない女子生徒の顔色が、ますます血色の悪いものに変わる。

「い、いや。矢野先輩にだけは、伝えちゃ……」
「だったら! ……もう二度と睦月に近づくんじゃねぇ。もちろん俺にも、兄貴にもな」

辰巳の低い声はやけに重々しく、力強かった。
小心者だったら、これだけで震え上がってしまうだろう。
女子生徒は悔しそうに唇を噛み、俺を殴った男は思わぬ人物の登場に顔を引き攣らせ、逃げるように駆けていった。
辰巳は二人の後ろ姿が見えなくなるまで、ずっと険しい顔をしていた。

「……辰巳」
「はぁー。何やってんだか、お前は」
「どうしてここに……?」
「最近、お前のことを嗅ぎまわってる存在がいることには気づいてたからな。下校中は念のため、後をつけるようにしてたんだ。……ストーカーとか言うなよ? お前が傷つくと兄貴が悲しむから、仕方なくだなぁ……ッ」
「分かってる。だから――ありがとう」

本当は俺のこと、凄く心配していてくれたんだよな?
感謝の気持ちを込めて微笑むと、辰巳はどこかくすぐったそうな表情を浮かべた。
それから、ぽん、と俺の頭に手を置く。

「……よく泣かずに耐えたな」

優しい声音で囁かれ、堪えれていたはずの涙が、瞳から零れだした。
ポロポロと涙の粒を膝へ落とす俺を見て、辰巳が困ったように笑う。

「ったく、俺が褒めた途端にこれかよ」
「だ…って……!! 俺、初めてこういうこと…されて、こわ…かっ……」

全てが終わり安堵してから訪れる、強烈な恐怖感。
もしも辰巳が来てくれなかったら、俺はどうなっていたのか――考えたくもない。

「……悪かったな。途中でお前のこと見失わなければ、もっと早く助けに来れたんだけど」
「そんなの、いい。気にしないで…。辰巳は俺を助けてくれた。それだけで、十分だから…っ」

泣きじゃくる俺の背中を、辰巳はずっと撫で続けてくれた。
その掌は大きく温かくて、何故だかひどく、懐かしい感じがした。




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