19. 幼き日の約束の証
矢野先輩にも辰巳にも会いたくなかった俺は、授業を終えるとすぐに身支度を済ませて昇降口へと向かった。
窓から差し込んでくる夕焼けの光が、やけに寂しいものに感じられる。
靴を履き替えて早々に正門をくぐると、矢野先輩が立っていた。
「――あ。よかった、睦月さんに出会えて」
「な、何でここに…? いつも放課後は、部室に」
「うん。ちょっと、どうしても話したいことがあったんだ。ただ……何となく、今日は睦月さんが部室に来てくれないような気がして。それでここで待ってたんだ」
矢野先輩はにこやかな笑顔を浮かべながら、俺に近づいてきた。
どうして会いたくないときに限って、出会ってしまうんだろう。
それも、彼の方から俺の傍にやってくるなんて。
……少し前なら凄く嬉しかったことのはずなのに、今はその逆だ。
顔も声も、彼が辰巳とそっくりだからだろうか。
矢野先輩に対して以前みたいにときめかないのも、辰巳に対する罪悪感で胸が一杯だからなのか?
「睦月さん?」
「っ……あ、はい。何ですか?」
「今日は顔色が優れないみたいだね」
心配そうに話しかけてくる矢野先輩はきっと、原因に気づいてる。
そうじゃなければ、こんなところで俺を待っていたりはしないだろう。
それでも自分から訊かずにいてくれるのは、彼の優しさだ。
このまま黙っていれば何も話さずに済むのだろうけど……辰巳の兄である彼だからこそ、話すべきなのかもしれない。
「矢野先輩。俺、辰巳を傷つけました」
「……辰巳の様子が昨日から可笑しいんだ。気落ちしてて、全く軽口も叩かない。それは睦月さんのせいだって考えて、いいんだね?」
事実を確認してくる矢野先輩に、静かに頷く。
それでも彼は、俺に責めるような眼差しを送ってはこなかった。
ただいつもと同じように、優しく微笑むだけだ。
「辰巳を傷つけるつもりなんて、全然なくって…。俺……は…辰巳の傍に、いられれば……それで…」
それだけで、良かったんだ。
胸元のネックレスを、ギュッと握り締める。
今までこれをくれた少年である矢野先輩が好きなんだって、ずっと思っていた。
言い聞かせてきた。
でも……違ったんだ。
「矢野先輩……俺……っ」
―――今更好きだと気づくなんて、遅すぎる。
どうして今の今まで、気づけなかったんだろう。
機会なら、いくらでもあったはずなのに……。
「睦月さん? 遅すぎるだなんてことはないよ。気持ちを伝えれば、それで全て済むことだと思うな」
「俺に気持ちを伝える権利なんて、ないと思います。そのつもりがなかったとしても、辰巳を凄く傷つけたんだから…」
自分が嫌われてしまったことよりも、辰巳の心を傷つけてしまったことの方が、辛い。
鋭い痛みが胸に走ってきゅっと目を瞑ると、矢野先輩がくすっと笑った。
「な、何で笑うんですか…っ」
「あぁ、ごめん。馬鹿にしてるわけじゃ――いや、馬鹿にしてるかも。ごめんね、睦月さん。僕は今日初めて、君を貶す辰巳の気持ちが分かっちゃったよ」
矢野先輩は少しだけ屈むと、俺の両肩に手を載せた。
それから耳元に口を寄せてきた。
「気持ちを伝える資格は、誰にだってあるよ。もちろん、睦月さんにも。だって君は、辰巳を愛しているんだろう?」
「……っ」
「すぐに辰巳に伝えろだなんて、そんな無茶を言うつもりはないよ。睦月さんは今、きっと凄く混乱してるから。自覚がなかったのだとしてもね? だから……時間をかけてもいいんだ。自分の正直な気持ちと向き合って、ゆっくり、結論を出してみて。これから、どうするべきなのか」
俺から身体を離した矢野先輩は、やっぱり笑顔を浮かべたままだった。
そこには大きな抱擁感と温かさが感じられて、俺はちょっとだけ口元を緩めた。
優しくってどこかぽわぽわしてると思っていたけれど、実は矢野先輩が一番、俺たちの気持ちを理解してくれていたのかもしれない。