18. 心音
近くにあるホテルに適当に泊まった俺は、次の日の夕方にマンションへと帰った。
玄関にはあの女性が履いてきたのだろう赤いハイヒールがあった。
まだ、帰ってないんだ…。
「ただいま…」
返事なんてあるわけがなくて、俺は洗面所へと向かった。
洗濯籠の中には、昨日洗わなかったから滝本の洋服が入っている。
俺がいないときくらい、自分で洗濯すればいいのに。
まぁ、これは俺の仕事なわけだから文句は言えないけど。
「はぁー…」
今日は結構いい天気だし。
気分転換も兼ねて、洗濯しちゃおっかなぁ。
そう思って滝本のワイシャツを掴むと、フワッと甘い香りが鼻腔をくすぐった。
ワイシャツから香水の匂いがしていたのだ。
滝本は普段香水をつけていない。
ということは、これは…。
「…何、だよ」
嫌悪感が湧き上がって洗濯機に服を投げ入れようとすると、赤い痕が目に入った。
白いワイシャツにくっきりと付いている、印象的な真っ赤な口紅。
どう見ても、あの女性のものだ。
二人が抱き合っていたのだと改めて認識させられて、ツキン、と痛みが胸に走る。
俺のことが好きだとか言っているくせに、どうして滝本は…。
「譲ー? 今日の晩飯…おい、譲?」
「あ…な、なに? もうあの人は帰ったの?」
「ああ、帰ったけど…。それより、どうしたんだよ?」
滝本が心配そうに顔を覗き込んでくる。
そんなに変な顔をしているのだろうか。
確かに動揺はしたけれど、そんな風に心配されるほどじゃ…。
「…あ、れ…?」
ふと洗面台に取り付けられている鏡を目にして、そこに映っている自分の姿に、俺は茫然とした。
涙が頬を伝っていたのだ。
「な、んだこれ…? あ、大丈夫だから。別に心配されるような…こと、じゃ…っ」
笑いながら瞼を手の甲で擦る。
それでも涙が止まることはなかった。
戸惑いつつもひたすら目を擦っていると、滝本に手首を掴まれた。
「…譲」
「うっ…」
名前を呼ばれると、胸の痛みが鋭くなった。
何だろう、この感覚。
だって今更じゃないか。
俺が滝本と知り合ったきっかけは何だった?
静江が滝本と抱き合っていたからだろう?
抱いてほしいと望む人間がいれば、抱く…。
滝本は、そういうヤツなんだから。
それなのに何で、こんなにショックなんだよ…。
「譲…」
「あ…う…」
滝本は俺のことを引き寄せると、抱きしめてきた。
彼の胸に顔を埋めながら、嗚咽を殺す。
香水の匂いがこの洋服からはしない。
そのことが少しだけ、救いに思えた。