20. 心音


「久しぶりに鍋が食べたいな〜」という滝本の望みを叶えるために、俺は食材を買いにスーパーにやってきていた。
鍋料理といっても様々だし、一体何が良いんだろう。
具体的な料理名を聞いてくればよかった。
すき焼きとか、そういうのでいいのかなぁ。
トレーに入っている牛肉を眺めながら、眉を寄せる。
滝本は金持ちなんだから金額をそれほど気にかける必要はないのかもしれないけれど、つい安いものを手に取ってしまう。
たまには高価な肉を買ってみようか。

「あれ? 榊じゃないか」
「え…?」

牛肉から顔を上げて横を見る。
そこには今はなき会社の同僚が立っていた。

「ひ、久しぶり…!」

それほど親しい間柄ではなかったものの、久しぶりに会う同僚に自然と笑みが零れる。
それは相手にとっても同じようで、同僚は柔らかい笑顔を浮かべていた。

「まさかスーパーで会うことになるなんて。…そういや、昔から自分で買出しとかしてたもんな、榊は」

懐かしそうに目を細める同僚の台詞に苦笑する。

「あれから仕事、どうしてるんだ? 俺はもう他の会社で正社員として働いてるけど…」
「すごいなぁ。俺、全然仕事が見つからなくってさ。住み込みで家事とかして、稼いでるんだ」
「…住み込み?」
「ああ。滝本って知ってる? 有名なデザイナーらしいんだけど」

滝本という名前に、同僚の顔つきが少しだけ険しくなって感じた。
どうやら彼のことを知っているらしいな。
あまり快くは思っていないようだけれど。

「…あの人のところに住み込み、か。大変じゃない?」
「ん? ん〜…っと、そうだな」
「滝本って女に人気あるみたいだけど、やっぱり有名なやつ特有の…。鼻にかかってるっていうか。我侭らしいし」

何だかその言い方に、ムッときた。
我侭だというのは俺だって普段から思っていることだし、滝本がそう言われてしまっても仕方がないことなのかもしれないけど。
それでも、一緒に過ごしておらず、ろくに滝本のことを知りもしない同僚に彼が悪く言われることは、不愉快だった。

「…俺はあいつと結構一緒にいるけど、鼻にかかってなんかない。むしろその逆。有名で人気ある奴とは思えないぐらい、気さくで、でも馬鹿で…どうしようもない奴だよ」
「だったら俺の所に来いよ」
「…え?」

予想外の言葉に、俺は馬鹿みたいにボケッとした顔で同僚を見つめ返した。
俺の所に来い?
それって、同僚の家で働かないかということか?

「どうしようもないような、最悪な奴なんだろ? だったら…」
「…た、確かにどうしようもないけど最悪じゃなくって。いや、最悪なんだけど、でも嫌じゃなくって。なんて言うか、放っておけないというか…」
「好きなのか?」
「え?」
「滝本のこと。さっきから、庇ってばかりじゃないか」

ドクンッと大きく心臓が脈打ったのが分かった。
滝本のことが、好き?
そりゃ、滝本を好きか嫌いかで訊かれれば…好きと答えるとは思う。
でもそれが、どういう意味での好きなのかが判らない。

「…好きだけど、恋愛方面での好きなのかどうかは…」
「…誰も恋愛方面でなんて訊いてないぞ?」
「…へ?」

何だか、さっきから間抜けな声を上げてばかりな気がする。
同僚は複雑そうに眉間にしわを寄せている俺を見て苦笑いを浮かべた。

「好きって言ったって、それ以外にも色々あるだろ? 友情だとかさ。むしろ男同士だったら、そういう方面の好きに考えがいくんじゃないか?」
「あ…」

そう、だよな。
言われてみれば同僚の言う通りだった。
何で俺…すぐに恋愛方面で考えちゃったんだろう。
それは滝本が俺に対して恋愛感情を抱いているということを、知っていたからなのだろうか。
それだったら納得がいく。
でも…本当に、それだけが理由なのだろうか。

「…やっぱ、そういう意味で好きなのか」

確かめられるように問われて、俺は俯き、押し黙った。
滝本のこと…好き、なんだろうか。
だから、滝本が他の女性と抱き合ったと知って、あんなにも辛かったのだろうか。
キスマークを発見したときのことを思い返すと、胸がチクリと痛んだ。
同僚の言う通り、俺って滝本のことが…。

「俺…は」

同僚へと視線を上げて、曖昧な、けれど確かに感じられた滝本への想いを口にしようとすると、いきなり背後から腕を強く引っ張られた。
よろめき、倒れ掛かった俺の身体を支えるべく、同僚の手がこちらへと伸ばされる。
その手が俺の手首を掴む瞬間、パチンッと高い音が鳴った。
誰かが同僚の手を叩いたのだ。
その誰かというのは…滝本だった。

「な…?」
「てめぇ、誰だよ!」
「突然現れて人の胸倉を掴んで怒鳴りつける、そういう貴方こそどなたですか?」

嫌味たっぷりな笑顔を浮かべる同僚と、そんな彼の胸倉を引っつかんで睨み付けている滝本。
一体何が起こっているのか分からなくて、俺はとにかく二人を止めようと、滝本の洋服を背後から引っ張った。

「離せ、譲!」
「お前、いきなりやって来て何やってるんだよ!?」

滝本の怒り方は尋常じゃなかった。
今まで見たことがないくらいに顔つきが険しくって、正直、怖い。
滝本は同僚から手を離すと、今度は俺を睨み付けてきた。

「誰なんだよ、こいつ!!」
「まっ…前の会社の同僚だよ! 何怒ってるんだよ!?」
「…ただの同僚がキスしようとなんてするか!?」

…キス!?
驚いて同僚を見ると、彼は両肩をすくめていた。

「あーあ、俯いている今がチャンスだと思ったのに、邪魔されちゃったな」
「な…」

開いた口が塞がらない。
同僚は俺にキスするつもりだったのか…!?
何で!?

「この際だし、伝えとくよ。俺は前から榊のこと、好きだったんだ。ここで会えたときには感動したよ。もう出会えないと思ってたから」
「えっ…え、え?」

思いがけない告白に顔がカァーッと紅潮していくのが分かる。
そんな俺を見て、滝本は機嫌悪そうに舌打ちをした。

「…ま、そういうわけだからさ。一応俺のことも恋人候補に上げといてくれよな」

同僚は笑いながら、俺たちに背を向けて歩き出した。
恋人候補って…なんだよ。
愕然としている俺の腕を滝本は乱暴に掴むと、歩き出した。

「…帰るぞ」
「あっ…ああ」

滝本に手を引かれて、俺はマンションへと向かった。
その横顔はやっぱり険しいままで。
どうしよう、怖い…。

「た、きもと…」

名前を呼んでも、滝本はこちらを見てさえくれなかった。
彼の機嫌が悪いのは明らかだった。
そしてその原因が、俺にあるのだということも。




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