5. 心音
「うん、特に異常はないみたいだし。もう大丈夫だと思うよ。良かったね、意識戻って」
滝本の知り合いである医者は、俺に向かって微笑みかけた。
それは男性のものとは思えないほどに柔和で温かな笑みで、何だか見ているとほんわかとした気分になった。
俺の意識が戻ったと滝本に聞いた彼は、わざわざ診察しに来てくれたのだ。
有難いことこの上ない。
意識がない三日間も、お世話になっていたみたいだし。
「本当に、すみませんでした」
「いいえ、気になさらないでください。あと、なるべく消化にいいものを食べてくださいね。少しずつ、量を増やしていくように。一気に食べると、胃に負担がかかりますから」
「はい」
医者の男性はやっぱり柔らかく微笑むと、会釈をして帰っていった。
うん、良い人だ。
しかも顔が信じられないほどに整っていて、綺麗だったし。
「どうだ、なかなか可愛いだろ」
「滝本って、あーいうのが好みなわけ?」
「そういうわけじゃねぇけどさ。何、妬いた?」
「誰が妬くか…っ!」
キッと睨み付けると、滝本は薄く笑みを浮かべて肩をすくめた。
ムカツク笑顔だ。
本当に、妬いてなんてないのに…!
「ところで、お前はこれからどうするんだ?」
「え?」
「いや、だからさ…。働く場所もないし、金だってないんだろ?」
…あぁ、そうか。
このまま家に帰っても、食べるものがなくってまた倒れることが目に見えている。
仕事に就ければいいのだが、この数ヶ月、無理だったんだ。
すぐに見つけることは不可能に近いだろう。
しかもかなり長い間家賃滞納してるから、そろそろ管理人さんにマンション追い出されそうだし。
「うぅ…どうしたらいいんだろう」
「…ん〜、俺に聞かれてもなぁ。お前が高学歴だってんなら、楽に就職出来るだろうに」
「どーせ俺の学歴は平凡ですよー、っだ!」
拗ねてそっぽを向くと、滝本に「ガキかてめぇは」と小突かれてしまった。
こんなことなら、もっと良い大学を出ておけばよかった。
どうしてこう、後悔ってのは後から訪れるんだろう…。
「…まぁ、仕事見つかるまで俺の家で過ごしてもいいけどな」
「え…?」
「生活費払ってやるっつってんだよ」
俺は滝本の顔をまじまじと見つめた。
家に泊めてくれるってことか…?
しかも、タダで。
「あっ、ああああ…ありがとう! お前って実はすっごく良い奴だったんだな!!」
「…実はって何だよ」
滝本の手を握って心からお礼を言ったのだが、微妙な顔をされてしまった。
何だよ。
俺、変なこと言ったか…?
首を若干傾げながら滝本を見つめると、彼は俺に向かって掌を差し出してきた。
「何?」
「寝室行こうぜ」
「ああ。…いや、行かないから!!」
思わず掴みかけた滝本の手を、慌てて叩く。
何で一緒に寝室に行く必要があるんだ。
「せっかく手を差し伸べてるってのに、叩くなよな〜」
「だ、だって…。お前が何を考えてるのかサッパリ読めなくって…!」
「だっても何も、時間帯考えろ。もう夜だぞ」
窓から外を見て、空が黒いことを確かめる。
滝本の言う通り、今は夜らしかった。
どうにも時間の感覚が可笑しいのは、意識を長いこと失っていたからだろうか。
「だからさ、一緒に寝ようぜ」
「…眠ることに関しては文句ない。でも何で一緒に寝る必要あるんだよ…!」
「ベッドが一つしかねーからに決まってるだろ」
一つしか、ベッドがない…?
まぁ、それが当たり前だよな。
一人暮らしなわけだし。
あれ?
でもそうすると、可笑しなことが起こらないか…?
「…ベッドが一つってことは、俺が意識ない間、お前はどこで寝てたんだよ?」
「リビングのソファー」
「…そっ、そんなところで眠ってたのか!?」
俺、睡眠の方でも滝本に迷惑かけていたのか…。
申し訳なさに何も言えないでいると、滝本がポンポンと頭を軽く叩いてきた。
「お前が気に病む必要はねーからな? それより、一緒に寝ようぜ」
「…俺がソファーで眠れば問題ないんじゃ」
「そんなことさせられるわけがねーだろ。お前、一応お客様なわけだし。かといって俺がソファーで眠るのは、もう嫌だし。そう考えてくと、一緒に寝るしかねーだろ?」
そういうものなんだろうか…。
一緒に寝る以外に、二人が心地よい場所で眠れる方法、ないのかなぁ。
考えあぐねていると、滝本は意地の悪い笑顔を浮かべた。
「なに〜? もしかして俺と一緒に寝るのは、緊張する?」
馬鹿にしたようなもの言いに、頭にカッと血が駆け上った。
「そんなわけないだろッ。何でお前と寝るってだけで、俺が緊張しなきゃならないんだよ!」
「だったら、一緒に寝たって問題ねぇよな?」
「ああっ!」
頷いて、それから俺は顔を引きつらせた。
あれ?
もしかしなくても俺、釣られた…?
滝本の顔を見ると、彼はしてやったり、と言わんばかりの笑顔を浮かべていた。
…やっちまった。
「よしよし、それじゃあお馬鹿さん。寝室に行くぞ?」
「あっ、ああぁ!?」
滝本に手を引かれて、俺は寝室へと行くことになった。
いや、もうマジで俺は馬鹿なんじゃないだろうか…。