9. 心音


働き始めて早一ヶ月。
俺は滝本から渡された給料の額に目を疑った。
あまりの凄さに一瞬意識が飛びそうになったが、なんとか堪えて、再び封筒の中にある札束を見る。
一万円札が、100枚…。

「ひゃ、100万…!」

やっぱり見間違いじゃなかったー!!
どうして、どうしてこんな額なんだ!?
だって一ヶ月で100万円ってことは、一年で…1200万円!?
俺が会社で働いていたときよりも年収が多いじゃないかっ。
そんな馬鹿な!?
バッと滝本を見ると、彼は何食わぬ顔で煙草を吸っていた。

「こっ、こ…。こんなに貰っていいのか!?」
「いらねーなら、返せ」
「いやっ、ほ…欲しいけど! でも…。ってかこんなに簡単に諭吉を大量に渡せるって…お前、どんだけ稼いでるんだよ!?」

滝本の洋服を引っつかんで揺さぶると、彼は面倒臭そうに説明してくれた。
なんでも滝本は、俺が知らなかっただけで有名なデザイナーだったらしい。
一つの仕事でそれこそ何千万とお金が貰えるとか。

「全く知らなかったよ」
「ふーん、まぁ…だろうとは思ってたけど」
「んだよ、服のセンスが悪いとでも言う気か」

俺がジロリと睨み付けると、滝本は苦笑しながら肩をすくめて見せた。

「そうじゃなくってさ。俺、雑誌に顔写真とか載せてるし。テレビとかにも出演してるから…俺の顔を見てすぐに反応がないってことは、知らないんだろうなって」
「ああ、なるほど」

デザイナーがテレビに出演…ね。
ってことは相当人気ってことなんじゃないか?

「はぁ…。俺の知名度もまだまだってことなんだろうなぁ」
「いや、そんなことないと思うけど…。俺がオシャレだとか、そういうのに興味がないだけだからさ」
「オシャレとかしなくても、十分可愛いもんなぁ」
「………殴られたいのか、お前」
「冗談だよ、冗談。そうすぐにカッカするなって。禿げるぞ?」
「やめろよ、そういうこと言うの!」

ちょっとドキッとしてしまったじゃないか!
まぁ、幸い身内に禿げはいないんだけどね。

「でもさぁ、年収何千万…つか、億くらい稼いでるんだよなぁ?」
「まぁ、そうなるわな」
「だったら何で、こんなマンションに住んでるんだよ?」

俺がそんなに金があったら、高級マンションとかに住むと思うんだけどなぁ。
外国製の高い車とかも買ってさ。

「…ばか、そんなことしたら目立つだろ」
「何が?」
「住んでるところがだよ。まさか年収何億って奴が、こ〜んな平凡なマンションに住んでるとは思わないだろ? だからこそ、良いんじゃねぇか」
「目立っちゃいけないのか? 金目当てに泥棒に入られると困るからか? でも高級なマンションだったら、セキュリティとかもしっかりしてるんじゃないか?」

滝本は煙草を灰皿で押しつぶすと、ため息混じりに煙を吐き出した。
うんざり、という顔をしているのは気のせいではあるまい。

「滝本…?」
「泥棒の方がまだマシだ。こう雑誌やテレビに出るとだなぁ…。何ていうか、ほら? 有難いんだけど有難くないさぁ〜」
「…なんだよ、ハッキリしないやつだな」
「だからさ、ファンとか…つくだろ。それでも純粋に作品を気に入ってくれたってんなら俺も嬉しいんだけど…」

…ああ、なるほど。
滝本の容姿に惹かれてファンになった奴が多いってことか。
確かにこいつ、性格や行動はともかくとして、顔だけはやたらと良いからな。
いっそモデルでもすればいいと思う。

「始めの頃は良かったんだけどな…。ファンレターとか、やっぱ嬉しいし。プレゼントとかもそう。でもそれが毎晩大量に届くとなると別でなぁ。中にはストーカーまがいのことをしてくる奴とかもいて…」
「ストーカーって…」
「隠し撮りした写真とか、自宅に送りつけてくるんだよ。んなもんいらねぇっつの。なぁ?」
「まぁな…」

でもそういう状況に一度もなったことがない俺としては、モテる男の贅沢な悩み…とは、さすがにとれないかな。
ここまでくると。

「それでも俺がこの仕事を続けられてるのは、ちゃんと作品を評価してくれる人たちがいるからなんだけどさ。そういう人たちからの手紙が家に届くのはすごく嬉しいんだけど、『初めて見たときから大好きです!』みたいなあからさまに俺の作品がじゃねぇだろこれ、みたいなのは嫌でさ〜。まぁ、そんなわけで住所はバレにくいところにしてるんだよ。OK?」
「分かった。なんか、苦労してるんだなぁ」
「ああ。いっそテレビだとか雑誌だとか、出なかったら良かったぜ。そしたらこんなに悩むこともなかっただろうに…。あ、そういうわけだから、ここに俺が住んでるってのは秘密な?」
「分かってるよ。てか、誰に言うんだよ…」
「それもそうか。お前、ずーっと俺の家にいるもんなぁ。買い物以外は」

それも微妙だよな、よくよく考えてみると。
滝本以外の人間との接触、皆無なんじゃないか?
ああ、彼以外にも八百屋のおじさんがいるか。
いろいろオマケしてくれるんだよな、あの人。
…それにしたって、少なすぎる。
会社に勤めてるときはそんなことなかったんだけどなぁ。

「ん〜。俺、もっと積極的に外に出た方がいいのかなぁ」
「外って、どこ行くんだよ? 公園か?」
「うぅ…痛いところを突くなぁ。行くところないんだよな〜。友達とか、みんな他県に住んでるし」
「まぁ、いいじゃねぇか。俺といれるんだし」
「…滝本とねぇ」
「不満か、コノヤロ」
「そういうわけじゃないんだけど。…って、こんなことを話してる場合じゃない! 俺、さすがにこんなに貰えないよ!」

滝本に封筒を差し出す。
中には当然、100枚の1万円札が入っている。

「んだよ、欲しいんだろ?」
「欲しいけど、でも…。やっぱ、申し訳ないというか。家事しかしてないのに、こんな…」
「家事だけじゃねぇだろ?」

滝本は俺の言葉にニヤリと笑みを作った。
こういう意地の悪い笑みを見せるときは、決まって俺が恥ずかしくなるようなことを言うのだから嫌になる。

「夜伽とか、さ?」
「お前の場合は夜だけじゃないけどな! …とにかく、俺はいらないから」
「毎月そんだけ貰ってれば、すぐに自立出来ると思うんだけどなぁ…」
「自立って、この生活からか?」
「そう。また前みたいに、一人暮らしが出来るってわけだ。仕事だってこの生活をしている間に見つければいいんだろうし」

滝本は煙草を箱から取り出すと、ライターで火をつけた。
美味しそうに吸う彼を見ながら、俺はギュッと膝の上で拳を作った。

「滝本は、俺に早くこの仕事を辞めて欲しいのか…?」
「え?」
「やっぱり、迷惑だったのか? 俺、もう他のところで働く気、全然なかった…。仕事、探した方がいいのか? なぁ…」
「馬鹿だな、そんなわけねぇだろ」

滝本は俺の頭をポンポンと叩いた。

「俺はここにずっといて欲しいさ。でもお前はそうじゃないんじゃないのか? この仕事を辞めれば、もう俺に襲われることだってそうはないだろうし」
「それはそうなんだけど、でも…ヤダ。理由なんてよく分からないけど、ここで働いていたいって思うんだ」
「なら、とことん働いてくれよ。その方が俺も嬉しいし」
「それ、本当か? 俺、本気にとっちゃうからな」
「好きにしろよ」

微笑む滝本に俺は抱きついた。

「おわっ! 危ねぇよっ、アホか!! 灰が落ちるだろうがっ」
「ご、ごめん。何か嬉しくって…」
「まぁ、いいけどな」

滝本は再び俺の頭に手を乗っけた。
それは先程のように叩くものではなく、優しく撫でるものだった。
いつも思うことだけれど、滝本の掌は気持ち良い…。

「…ところで、もうメイド服を着るつもりはないわけ?」
「あるか馬鹿ッ!!」

ふざけたことを言ってくる滝本を突き飛ばす。
そういえば、どうしてあんな服を持っているんだろうと不思議だったけれど。
もしかして、あのメイド服も仕事で作ったものだったのだろうか…。
…どーいう服をデザインしてんだ、コイツ。

「ん、何だよその目つき」
「べっつにー。ただ、変な服をデザインしているんだなぁと思って」
「…いっとくけど、あのメイド服はお前用に俺が特別に作ったんだからな。市場には出回ってないぞ」
「特別扱いされてんのに、こんなにも嬉しくないなんてビックリだよ…」

ため息混じりにぼやくと、滝本が笑ったのが見えた。
全く、呑気な奴だ。
人気のある奴だとは、思えないくらいに。




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