10. 不協和音のような僕ら


教室に入って、目に入った美青年とそれを取り巻く女子生徒に俺は呆然となった。
それは一緒に登校してきた岡崎も同じようで、目を瞬かせていた。

「……あんな奴、このクラスにいたっけ? ってか、学校にいたか?」

岡崎が不思議そうに呟き、俺がそれに答えようとしたちょうどそのとき。
女子集団の中にいた美青年――前髪を切った深町――が、俺に向かって手を振ってきた。

「委員長! こいつらどうにかして欲しいんだけどっ」
「え……その声、まさか深町か!?」

岡崎はあんぐりと口を開けて、深町の顔を凝視していた。
やっぱ初めて見ると、驚くよなぁ…。
前髪に隠れていた顔が、あんなにも整っているだなんて誰が想像出来たことか。
俺は困っているらしい深町を助けるべく、女子集団に近づいていった。

「えーっと…。そろそろHR始まるし、みんな席着こうな。……って、他クラスの女子までいるのかよ」

今まで避けていたのが嘘のように深町を取り巻いていた女子生徒たちは、不満そうに唇を尖らせながら散っていった。

「助かったよ、委員長」
「ああ、それはいいけど。でも……髪、切ったのか」
「委員長が言ったんだろ。キスするときに邪魔だって」
「わぁああっ!!」

深町の声を遮るように叫ぶ。
しかし傍にいた岡崎にはバッチリ聞こえていたようで、眉をピクッと動かしたのが分かった。
深町はというとそんな岡崎の反応を愉快そうに眺めており、それがまた、岡崎は気に入らないようだった。

「深町、訂正しろ。その言い方だとまるで委員長がお前と……することを了承したみたいじゃないか」
「ん? 何を、することだって?」
「っ…!」
「ちょ、ちょちょっ……待てよ! 何、睨み合ってるんだよっ」

不穏な雰囲気に俺は二人の間に割って入る。
岡崎は一度深町を睨み付けると、不機嫌そうな顔をしたまま自分の席へと歩いていった。

「な、何で岡崎があんなに怒るんだ?」
「………まあ、委員長は知らなくてもいいことだから。気にするな」
「え? そう言われると、余計気になるんだけど」
「だったら気にしてれば? 教えてはあげないけど」
「……深町って本っ気で根性捻じ曲がってるよな」
「そりゃどーも。…しかし、あれだな。髪を切るだけで、大分周りが見やすくなった。まるで世界が違うみたいだ」
「……実際、変わってるんじゃないか?」

俺は言いながら、教室内を見回した。
深町のことを見ている人間は、みんな羨望の眼差しだ。
特に女子生徒の視線は熱い。
熱視線とはこういうものなのか。
いや、むしろビームに近いような…?

「世界が変わってる…か。確かにそうかもな。ここに来るまでに、たくさんの人に声をかけられたし。名刺もたくさん渡された」
「名刺?」
「これだ」

深町のポケットから取り出された名刺を見て、俺は驚きのあまり声を上げた。

「すげぇっ!? 芸能プロダクションじゃん! なに、スカウト!? …やっぱ顔がい」
「すっごーいっ」

ドンッ、と後ろからタックルを食らわされ、吹き飛ぶ俺。
無残にも壁に激突して痛みに堪えながら振り返れば、そこには目を輝かせた女子生徒がいた。
どうやら深町の顔に惚れた女子が、再び彼にアピールをけしかけに来たらしい。
女って現金だよなぁ。
顔がいいって分かった途端に、これだ。
昨日までは避けていたくせに。

「ねぇねぇっ、アイドルになるのー?」
「…冗談。誰がなるか、あんな面倒なものに」
「そ…そっかぁ…」

素っ気なく言い返す深町に、女子生徒は少しだけ引きつったような笑みを見せた。
うん、良かった。
姿は変わっても、深町は深町のままだった。
……ん?
それの何が良かったって言うんだ?
よく分からないけど、まぁ、いいや。
とりあえず、これでもう深町の人間関係を気にする必要はなさそうだな。
………何だか腑に落ちないけれど。






昼休み、深町は迫りくる女子生徒から懸命に逃げていた。
一緒に昼食をとろうと誘われているのだ。
深町がキッパリ嫌だと断っているのにも関わらず諦めない彼女らの遠慮なさはある意味見習うところがあるのかもしれない。
あくまで、反面教師としてだけれど。

「はぁ…っ。くそ、何だって言うんだ…!!」
「お疲れさま。振り切れたみたいだな」

生徒会室に逃げ込んできた深町を笑顔で出迎えてやる。
それからドアに鍵をかけて、誰も入って来られないようにした。
昼休みにはこうなるだろうことを予測して、生徒会室を彼のために俺が借りておいたのだ。

「あーっ。やっと落ち着いて飯が食える…!」
「でも良かったじゃないか。一気にモテモテだ」
「アホなこと言うな。だいたい外見に惹かれてやって来るような奴に、ろくな奴はいないぞ」
「まぁ、確かに。深町自身を全く見てないよな、みんな。外見に左右され過ぎてて、馬鹿みたいだ」
「…結構キツイこと言うな」
「そうか? 普通だろ」

自分が軽くそっぽを向きながら言っていることに気がつき、分かった。
深町が女子にモテていることが、どうにも俺は気に食わないらしい。
別にひがんでいる訳じゃないんだけど…。

「…委員長は、俺が髪を切る前から一緒にいてくれたよな」
「へ? あ、まぁ…」
「ありがとう。多分この学校で俺のことちゃんと見て、理解してくれてるの、委員長だけだ」
「………っい、いや! そんなっ、お礼言われるほどのことじゃない!!」
「何も力一杯否定しなくっても…」

深町は苦笑しながら、椅子に座った。

「ほら、委員長も早く座りなって。トロトロしてると、食べ終える前に昼休み終わるぞ」
「あっ…そう、だな」

深町と向き合うように席に着く。
弁当を机に置いて、そっと視線を前にやる。
すると思い切り深町と目が合ってしまった。
その状態のまま静止すること1分強。
深町の視線が、俺の顔から首筋に移動したのが分かった。
そこには深町につけられた…いや、違う。
岡崎につけられた、キスマークがあるわけで。

「それ、何?」
「ッ………!!」

俺は慌てて襟で首筋を隠した。
この鬱血の痕があることを、すっかり忘れてた…!

「俺はそこにつけてないよな。誰にされたんだ?」
「その、深町は知らなくていいことだからっ!」
「………かもしれないけど。でも気になる。だから教えろ」
「いや、だから…」
「岡崎か?」

一発で当てられて、思わず顔を顰める。
岡崎といい、深町といい、どうしてこの二人はこうも簡単に解答を導き出すんだ。

「……なるほど? 俺のキスマークを見て、あいつも動きだしたのか。…委員長は、それがどういうものなのか、ちゃんと分かってるのか?」
「いっ、意味は知ってるぞ! 所有の……証、だっけか? だから、お前に襲われそうになったらこれを見せろって言われた…んだけど。そうしたら手は出せないだろうって」
「ふぅん。あくまでも委員長の護身のためにってことか。…あいつも良い言い訳を思いついたもんだ」
「言い訳ってなんだよ! 岡崎は本気で心配してくれたんだぞっ。誰につけられたんだって、すごく真剣に訊かれた、し…?」

俺が話せば話すほど、深町が失笑していく。
あれ?
何か、そんなに変なことを言っているのだろうか。

「何ていうか、委員長って鈍いよな。……岡崎がお前と長年一緒にいたのに動かなかった理由が、何となく分かった気がする」
「意味わかんないことばっか言ってんなよ!」
「これが分からないとか、本当、どうなんだ。その思考」
「うっさい! 深町はすーぐにそうやって馬鹿にするっ」
「馬鹿にされるようなことばかりするからだろ…」

呆れたように呟く深町を睨み付ける。
何か俺って、こいつのこと睨んでばかりな気がしてならない。
……それもこれも、全部こいつが悪いんだ。

「目つき悪くなったらどうするんだよー!?」
「は? 何だ急に」
「深町が怒らせてばっかりだから、俺の眉間には常にしわ! 常に釣り上がっている目尻! これで目つきが悪くならない方が可笑しいじゃないかっ」
「あ…そういうこと。大丈夫だって」
「どこが!?」
「委員長、今も昔も、変わらず目がクリクリしてるから」
「………それはそれで、どうなのよ…」

脱力して机に伏せると、昼休み終了5分前を告げるチャイムが響いた。
何てこったい。
ご飯を全く食べてないどころか、弁当の蓋すら開けなかった。
それは深町も同じらしく、何一つ手がつけられていない自分の弁当を見つめていた。

「……ふぅ。これは仕方ないな。5時間目の授業中にでも食べるか」
「いや、駄目だからそれ!」
「早弁ならぬ遅弁だな」
「だから駄目だからなそれ!!」

本気でやりかねない深町の弁当を奪い取る。

「没収ー」
「あぁ!! 弁当が拉致られた!!」
「人聞きの悪いこと言うなっ」


二人分の弁当を抱えたまま、俺は自分の教室へと走っていった。




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