11. 不協和音のような僕ら
一時間目の、化学の授業。
みんなが実験を行っている中、深町はいつものように居眠りをしていた。
気持ち良さそうに眠っている彼を見ながら、俺と岡崎はため息をついた。
「こうまで威風堂々たるさまで居眠りされると、逆に感心しちゃうよな。ある意味尊敬だ。そう思わないか、委員長?」
「……思う、けど。でも出来れば寝てほしくない」
「起こすか?」
「いや。起こしはしないけど…」
「……あんなに躍起になってたのに、起こさなくなった理由。やっぱり俺、気になるかも」
「何だよ、今更。もう駄目。秘密」
「ふーん。二人きりの〜……ってか?」
「そんないいもんじゃないけどな」
不満そうに口を尖らせる岡崎に苦笑する。
でも確かに、二人きりの秘密という風に考えると、何だか俺と深町が凄く親密な関係のように思えてくる。
そのことに少しだけ優越感を覚えていると、実験室に教師が入ってきた。
「深町! ちょっと用があるっ」
教師は眠っている深町を無理やり起こすと、実験室から連れ出して行ってしまった。
どよどよと、ざわめきが上がる。
「……な、何だ?」
「さぁ? 結構切羽詰ったような様子だったな、あの先生」
まさか深町がバイトしていることがバレた、とか……?
今後の彼に与えられるであろう処分を考えて顔を蒼ざめさせていると、岡崎に脇を小突かれてしまった。
あんまり心配するな、ということらしい。
そうは言ってもやっぱり気になるわけで。
「……うーっ。全く実験に身が入らない!」
「本当、困った性分してるよなぁ。委員長ってさ」
ため息交じりの岡崎の言葉をあえて聞かなかったふりをして、俺は黙々とビーカーを水洗した。
放課後になり、岡崎と一緒に購買で買ったパンを頬張る。
結局あの後、深町が授業に復帰することはなかった。
やっぱり謹慎処分とかになってしまったのだろうか。
というか本当に、バイトがバレたことが原因なのか…?
呼び出された理由さえ定かになっていないのだ。
俺はコーヒー牛乳でパンを胃に流し込みながら、そわそわと忙しなく視線を泳がせていた。
「……あのさ、委員長。深町がいないことって、そこまで気にすることかぁ?」
「そ、そんなに気にしてるわけじゃ……っ」
「それのどこが気にしてないって言うんだ。心配なんだったら、見に行けばいいだろ」
「……あ、アクション起こしてもいいと思いますか」
「思いますよ、俺は」
「……そうだよな。数少ない彼の友人として、心配するのは当然だもんなっ」
「………何気にひどいこと言うよな、委員長」
ゴミ箱にパンの包みを捨てた俺は、どことなく冷めた視線を送ってくる岡崎に振り返った。
「それじゃあ、俺……」
「深町の家に行くんだろ? いってらっしゃい。俺はここでもう少しゆっくりとしていくから」
「ああっ。いってくるな!」
手を振ってくれる岡崎に笑顔を見せて、俺は深町の家へと駆けていった。
といっても元気よく走っていられるのは数分で、すぐに息切れして歩くことになるのだけれど。
深町の家に着いた俺は、その異様な雰囲気に息を呑んだ。
黒い洋服……もとい、喪服に身を包んだ人たちが大勢いた。
もしかして通夜が行われていたのか?
それで、深町が家に呼び戻されたのか?
……じゃあ、一体誰の?
立ち止まって様子を見守っていると、家の中から深町が出てきたのが見えた。
彼も俺に気がついたらしく、俺へと近づいて来てくれた。
やっぱりその服は、黒い。
「……委員長か。どうしてここに?」
「一時間目にいなくなってからずっと戻ってこなかったから……心配で」
「そう。見ての通り、通夜だ」
「そうなんだ……」
誰の? とは訊けなかった。
深町がひどく憔悴しているように見えたからだ。
だからきっと亡くなったのは、凄く、彼にとって大切な人だ。
「……俺も未だに信じられないというか、実感がないんだけど。父さんが交通事故で亡くなったらしい」
深町はまるで関心がない、とでも言うように軽く言った。
きっと彼は言葉通り、実感が持てていないのだろう。
あまりにも、唐突な死すぎて。
現実として、受け入れられていないんだ。
「――ごめ……。俺、こういうとき何を言ったらいいのか、全く思い浮かばないんだ」
気の利いたことを言えたのなら、どんなにいいか。
けれど俺の頭の中には、何一ついい言葉は浮かんでこない。
黙り込んでいると、深町が首を横に振った。
「別に何も言わなくて、いいから。だから……」
――ただ、傍にいてくれ。
そんな声が、聞こえた気がした。
そっと手を握ってやると、深町の伏せられた睫の奥から雫が手の甲へと落ち、ポトリと、音を立てた。
「……一緒に過ごした時間が長かったわけじゃ、ないんだ。ほとんど仕事で家にいなかったから。でもたまに会うとき、すごく優しくて。疲れてるはずなのに、辛くないはずないのに、笑顔を絶やさなくて」
深町の中で、少しずつ、父親の死に現実味が与えられていく。
その証拠がこの涙だった。
「良い人、だったのに。何で……こんな。飲酒して車乗ってたやつに、殺されなくちゃならないんだろう……」
……飲酒運転による衝突事故。
彼の父親に非は何もなかったのだ。
あまりにも理不尽すぎる命の奪われ方に、俺は唇を噛んだ。
「…なんで、何で……っ」
悔しそうに繰り返し呟く深町に俺は何も言えないまま、けれど彼の望んだ通り、ずっと…傍にいた。
しばらくそうしていると気分が落ち着いたのか、深町は微かに笑んで見せた。
「……情けないよな、俺。こんな風に泣いて」
「泣いていいだろ。こういうときは。我慢する必要なんて、ないんだから」
「……そうか。ありがとう、委員長。会えて良かった」
「俺は何もしてないぞ?」
「でも傍にいてくれたから」
柔らかい声色で言われて、どことなく照れくさい。
けれど少しでも役に立つことが出来たのなら、それは素直に嬉しい。
「もう大丈夫か?」
「ああ。そうだ、委員長。保険金が入ったから、もうバイトしなくて良くなったよ。これできっと、迷惑かけることはなくなると思う」
「そっか。借金なくなったんだ」
「……皮肉だよな。悲しいはずなのに、ほっとしてるんだから。俺、薄情なのかな」
「本当にそうだったら、泣いたりしないだろ」
「……そうか。そうだよな。だってちゃんと、父さんのこと……好きだったから」
目元を泣いたせいで赤くしたまま、深町は微笑んだ。
それは凄く切なくて悲しいけれど、でも、とても綺麗な笑顔に見えた。