12. 不協和音のような僕ら
放課後の人気がない校舎内を歩きながら、深町のために夕飯のメニューを考える。
彼の母親は亡くなった夫の代わりに生活費を稼ぐべく、借金返済後の今も遅くまで働き続けなければならなかった。
そんなわけで俺は、未だに彼の家に夕飯を作りに行っていた。
俺と一緒にいることで少しでも深町の気持ちが安らげば…と思うのだが、役に立っているかは不明だ。
ふと教室内に視線を向けると、深町の姿があった。
それと、女子生徒の姿が。
……最近深町が女と一緒にいるのをよく見るようになった。
髪を切る以前は、そんなこと全くなかったはずなのに。
立ち聞きをしようとしたわけではないけれど、何となく突っ立ったままでいると、会話が聞こえてきた。
「手紙、読んでもらえたんですよね?」
「……まぁ、一応は目を通したけど」
「それなら私の気持ち、理解してもらえましたよね? 私、深町さんのこと…」
告白現場、かよ。
見てはいけないところを目にした気がして、俺は踵を返そうとした。
けれど聞こえてきた深町の声に、歩みを止める。
「―――…わかった」
グラリと、大きく目の前が揺れた気がした。
鈍器で後頭部を殴られたような感覚。
分かったって、何だよ…?
告白現場だと知ってもそれほど動揺しなかったのは、深町が応じるはずがないという考えがあったからだ。
どんな女子生徒に好意を寄せられたって、きっと深町は相手にしない。
そんな風に思っていたのに、今、深町は何て言った?
分かったって、そう言わなかったか?
それってつまり……。
「……い、た…っ」
ツキンと、鋭い痛みが胸に走った。
針で突付かれたようなそれに、思わず顔を顰め、胸を押さえる。
唐突すぎる、張り裂けそうな痛みに下唇を噛んで堪えていると、肩に手を置かれた。
驚いて横を見れば、岡崎が目を丸くして立っていた。
「こんなところで何してるんだよ、委員長」
「な、何でも…。岡崎こそ、俺に何か用か?」
「いや、特に用があるわけじゃ…。ん? あれって、深町じゃないか。何して…」
「っ……さ、さぁ? 知らない!」
「あっ、委員長!?」
いつの間にか俺は、逃げるようにして走りだしていた。
胸の痛みは毎秒ごとに強さを増していく。
何がそうさせるのか、分からなくて。
ただ今は、独りになりたかった。
静かなところで、どうしてこんな気持ちになっているのかを考えたい。
――――って、思っていたのに。
「委員長。今、下校なのか? せっかくだし、一緒に帰らないか?」
「……ふっ、深町…ッ!?」
どうしてこうも、人と出会ってしまうのだろう。
しかも会いたくない人物ナンバーワンに。
どうやらフラフラと走って昇降口に俺が来ている間に、深町もここに移動して来ていたらしい。
タイミングが悪いとしか言いようがない。
「そこまで驚かなくたっていいだろ? 人を幽霊みたいに扱うなよ」
「ご、ごめん。あの、俺…」
「まぁ、別にいいけど。それより一緒に帰ろう?」
二度目の誘いにうっと声を詰まらせると、深町は俺の手を引いて歩きだしたではないか。
「おっ、おい! 俺はまだ一緒に帰るだなんて一言も言ってないぞ!!」
腕を引っ張ってくる深町に逆らうように、踏みとどまる。
抵抗されるとは思わなかったのだろう深町は、どこか傷ついたような顔をして見せた。
その表情に胸の疼きを覚えて、俺は眉を寄せた。
さっきから何だっていうんだ?
やけに、苦しい。
「委員長、まだ何か用事が残ってた?」
「そういうわけじゃ…ないけど」
一緒に帰りたくない、とは言えずに黙り込んでしまった俺の顔を、深町は心配そうに覗き込んできた。
急速に縮まった彼との距離に、頬が熱くなるのが分かった。
あのとき深町と交わした、キスの記憶が蘇ってくる。
それは深町も同じなのか、彼の眼差しが、俺の唇へと向けられているのが感じられた。
不自然なほど早く、鼓動が動き出す。
だんだんと近づいてくる深町の顔に……彼の、唇に。
「――やっ、やめろよッ!!」
「ッ……!?」
俺は思い切り、深町を突き飛ばしていた。
いきなり大声を上げたからなのか、息が乱れる。
ゼェゼェと荒い呼吸を繰り返している俺を、深町は何かに堪えるように、じっと見つめていた。
何で、そんな…哀しそうな顔をするんだよ。
だいたいお前、あの女子生徒と付き合い始めたんじゃないのか…?
「……馬鹿、深町」
「つい…」
「ついで済ませるなよ! こういうのは気軽にするもんじゃないだろッ」
「気軽にしてなんてッ……いや、何でもない。悪かった」
―――謝るくらいなら、初めからキスなんてしようとするな。
そんな言葉がいつの間にか唇から零れていた。
それも、自分でもゾッとするくらいの冷たく乾いた声で。
……駄目だ、こんなことじゃ。
こんな風に傷つけるようなことを言いたいわけじゃない。
ただ、いつもみたいに軽く注意して…それで。
「ッ……」
笑いあえたら、良かったのに。
何故だかボロボロと涙が出てきて、深町の動揺が空気を通して伝わってきた。
「委員長、そんなに嫌だったのか? 悪い、俺…っ」
「ちが…っ、くて。ごめん、何でもないから」
無性に苦しくて、悔しかった。
だって深町がこういうことするのは、もう俺だけじゃないんだろ?
あの女子生徒にも、気軽にキスとか、それ以上のことも……。
「…あ、俺……なに、考えて…?」
胸の奥底で渦巻く、暗くて禍々しい感情。
そのくせ炎のように激しくて、熱いソレ。
認めたくなんて、ない。
でも…俺、俺は…っ。
あの女子生徒を、憎んでる…?
そんなハズはない。
友達である深町に彼女が出来た。
素直に祝福出来ないはずがない。
深町の隣に俺以外の人間が並ぶ。
彼と一緒に昼食をとる。
彼と…抱き合う。
そのことで胸を痛める必要なんて、俺にはない。
あっちゃいけないんだ、そんなことは絶対に。
俺の居場所を奪った深町の彼女を憎むなんてことは決して…。
――――そもそも俺の居場所という考え方が、間違ってるんじゃないのか?
そうだよ。
前提そのものが、狂っていたんだ。
だから、噛み合わなかった。
深町の傍は俺だけのものじゃない。
そこには誰がいようと可笑しくないんだ。
そのことをきちんと認識していなかったから、こんなにも苦しいんだ。
「……ごめん、深町。今日は一人で帰らしてもらえない、か? 夕飯も…」
「ああ、分かった。俺もごめん。その……ゆっくり、休んでくれ」
まだ何か言いたげな深町を残して、学生寮へ向かって歩きだす。
脚が信じられないくらいに、重たい。
まるで枷でもつけられているかのように。