9. 不協和音のような僕ら
深町の家から重たい身体を引きずってなんとか学生寮に帰った俺は、岡崎と一緒に宿題をしていた。
けれども俺は、宿題とは全く関係のないことを考えていた。
それは思わず赤面してしまうような内容…もとい、深町に抱かれたことだ。
身体のダルさといい、臀部の痛みといい、本当に……しちゃったんだよなぁ。
「…委員長、聞いてるか?」
「へ!? えっ、あ…何!?」
「やっぱ、聞いてなかったか。この問題のことなんだけど…」
岡崎は机から身を乗り出して問題集の一部分を指で示しながら、俺のことをじっと見つめてきた。
うぅ、あからさまに不審がられている。
マズイなぁ。
いくら衝撃的なことがあったからって、岡崎の前でボーッとしちゃうなんて。
しっかりしなくちゃ。
そんな風に心を引き締め、湯飲みのお茶を飲み干した直後だった。
「キスマーク」
「ッ……!?」
岡崎の言葉に驚いて、俺は持っていた湯飲みを落としてしまった。
幸いそれはクッションの上に落ちたため、割れることはなかった。
岡崎へと視線をおそるおそる向けると、彼は俺の首を指差していた。
バッと、つられるようにして手で首筋を押さえる。
「……やっぱ、そうなんだ」
「っ…あ、えっと…これはその…!」
岡崎は慌てふためく俺とは対照的に、ひどく落ち着いていた。
立ち上がって、無表情のままに、俺へと近づいてくる。
ど、どどど…どうしよう。
岡崎相手に蚊に刺された、だなんて言い訳が通用するはずがないしっ。
「委員長」
「うっ! いや、その…っ」
じりじりと後退していき、ついには壁際にまで押しやられてしまった。
トン、と顔の横にある壁に手をつけられ、しかも睨みつけられ、身動きが取れなくなる。
蛇に睨まれる蛙って、こんな気持ちなのかな……。
冷や汗がだらだらと流れてくるのが分かる。
岡崎はついと目を細めると、低い声で言った。
「……誰につけられたんだ?」
「あっ、や…あまり気にしないでもらえると…」
「しないわけにはいかないだろ。そんな見えやすい箇所に……。深町か?」
当てられたことに驚いてひっ、と息を呑んだのがいけなかった。
岡崎にはそれで、深町が相手なのだと確信を持たせてしまったらしい。
俺って墓穴を掘る天才なのかもしれない。
「……本当、いつにもまして分かりやすいな。で、どうなんだ」
「な、にが…?」
「無理やりされたのか、そうじゃないのか」
「えっと…む」
「む!?」
「っ…無理やりじゃなくて。でも合意でもなくて…。いや、その、何ていうか。い、勢い……?」
いわゆる若気の至りです、と語った俺に、岡崎は心底呆れたような顔を見せた。
そんな顔をしないでいただきたい。
さすがにちょっと、傷つく。
「委員長がそんな浅はかな奴だとは思えないんだけど?」
「そう言われましても…」
先に反応しちゃったのは俺だし。
途中から抵抗とか、してなかったし。
だから完璧深町が悪いとも言えないんだし。
でも了承して抱き合ったわけでもないし。
そのことをどう伝えたらいいのか分からずに戸惑っていると、岡崎が首に顔を埋めてきた。
「うわわわっ!? 何して!!?」
「キスマークの意味、分かってる?」
「え…?」
「所有の証、っていう意味。それをこんなところに付けられて、恥ずかしくないのか」
岡崎の言葉に、カァアアッと一気に顔が熱くなる。
じゃあ何だ。
これが残ってる限り、俺は深町のモノとでも…?
「……もしまたされそうになったら、コレ見せろよ」
「え? んっ…」
ちゅっと強く吸い上げられて、俺は瞼を震わせた。
それからそっと、手を首筋に触れさせる。
「俺のものだって証、付けといたから。いざとなったらこれ見せて言ってやれ。俺は岡崎のものだからーってさ。そうしたらきっと、深町もそれ以上手を出してこないって」
「言えるかそんなこと! お前な、いくら冗談だからってそういう」
「冗談じゃないって言ったら?」
「え?」
驚きに目を見開いて岡崎を見る。
彼は真摯な眼差しを俺に向けていた。
「…冗談じゃなくて、本気でお前を自分のものにしたいって思っていたら、どうする?」
真剣さが窺える、硬い声。
どう応えればいいのか分からなくて、俺はただ、岡崎を見つめ返すことしか出来なかった。
もしかして本気で、岡崎は俺のことが……?
「――まぁ、冗談なんだけどな?」
俺は思い切り岡崎のことを睨みつけると、彼の腹部に拳を二発ほど叩き込んだ。
うぐっ、と小さな呻き声が上がる。
「最っ悪だ! 一瞬本気かと思って戸惑ったじゃないか!」
「ははっ。……痛い」
「岡崎が悪いんだからな!」
クッションを岡崎の顔面に向かって投げつける。
何だって岡崎といい、深町といい、そうやって簡単に触れられるんだ。
恥ずかしいとか、そういうことを思わないんだろうか。
それとも俺がただ単に、意識し過ぎているのか……?