14. 不協和音のような僕ら


漂ってきたパンの焼けるいい匂いに僅かに身を捩ると、肌にシーツが直に擦れる感覚がした。
冬の朝特有の寒さに身震いしつつ起き上がれば、コトン、とすぐ傍で小さな音が鳴った。
視線を横へずらせば、岡崎が机に朝食を並べているのが見えた。

「委員長、おはよう。さすがに眠りすぎじゃないか?」

苦笑交じりの声に、俺は頭を掻いた。
時刻は10時過ぎ。
学校はとっくに始まっている時間帯だ。
けれど行く気が全くない俺は、再びベッドに寝転んで布団を肩まで引き上げた。
洋服に身を包んでいないからなのか、スースーする。
その感覚に抱き合ったことを強く認識させられたような気がして、急に恥ずかしさが込み上げてきた。
モゾモゾと布団に潜り込むと、岡崎に引き剥がされてしまった。

「いつまでも包まってるんじゃない。ほら、とっとと着替えて」
「はぁ…い」

手渡された洋服に着替えながら、岡崎を盗み見る。
穏やかな表情で朝食の支度をする彼は、普段と幾分変わった様子はない。
気恥ずかしさだとか、そういうものがないんだろうか。
俺ばかりが意識しているようで、少し嫌になる。

「はい、朝食出来たよ。食べな?」
「ありがと…」

岡崎は微笑みながらコーヒーを淹れたマグカップを渡してくれた。
こうして朝食を一緒にすることなんて慣れているはずなのに、妙にドキドキしている。
いつもより早い、けれど不快ではない鼓動に耳を済ませていると、岡崎が机から身を乗り出してきた。

「委員長、今日が何の日か覚えてるか?」
「……今日?」

視線を少しだけ上へとやって、考える。
こうして聞いてくるということは、特別な日なんだろう。
けれど思い当たる節が、全くといっていいほどない。

「やっぱ、覚えてないか。毎年そうだもんなー」
「え? 何だよ? もったいぶらずに教えろって」
「本当に分からないのか? …少しくらいは気にしろよ。自分の」

ピンポーン、と。
岡崎の声を遮るようにインターホンが鳴った。

「来客? …こんな時間に?」
「……可笑しいな」

互いに顔を見合わせて首を傾げる。
しばらくそうしていると再びインターホンが鳴ったので、俺たちはどちらともなく立ち上がると、玄関へと向かった。
岡崎は不審そうに眉を寄せながら、覗き穴から外を見た。

「…どう? 誰だった?」
「………うん。気にしない方がいいな、これは」
「え? どういうこと?」
「いいから。先に居間に戻ってろ」
「えー?」

岡崎の言葉に不信感を抱きながら、俺は居間に行く…ふりをした。
だってあんな言い方されたら、誰が来たのか気になるじゃないか。
玄関の近くにある台所から、廊下へと顔を出す。
ここからは岡崎に姿が見られない上に、俺は彼を見ることが出来る。
覗くには絶好の場所だ。
岡崎は大きなため息をつくと、ドアを開けた。
外に立っていたのは…。

「―――なん、で」

深町だった。
…だから、俺に居間に行っていろと言ったのか。
岡崎の気遣いを素直に受けていれば良かった。
そうしたのなら、彼の姿を見なくて済んだのに。

「委員長を呼んでくれ」
「いないよ」
「嘘をつくな。二人同時に学校を休んだりして…。ここにいるのは分かってるんだ」
「……いたとしたら? そうしたら、どうするんだ?」
「話したいことがあるんだ。もう一度言う。委員長を…」

何やら不穏な雰囲気になりつつある二人へと、俺は近づいていった。
岡崎は振り返って俺の姿を目にして、悲しそうな顔をした。

「…なんで。居間にいろって言っただろ?」
「ごめん、気になって。…深町、俺に用なのか?」
「ああ。とりあえず……外に、出ないか」

二人きりで話がしたい、ということなのだろう。
深町から視線を岡崎へと移すと、彼は渋るような表情を見せたものの、頷いてくれた。
気遣ってくれている彼をのけ者にするようで申し訳なかったが、俺は深町と一緒に玄関を出た。
二人きりになってもすぐには会話が始まらず、ただ立っているのも虚しいので、俺たちは無言のまま歩き出した。
行き先は決まっていないけれど。
学生寮の近くにある公園を通り過ぎたところで、深町が歩みを止め、ポツリと呟いた。

「俺のせいなのか」
「え…?」
「学校、休んだの」

振り返った深町の顔は思いつめたように暗く、真剣だった。
もしかして、心配してやって来てくれたんだろうか。
学校を抜け出してまで、俺にそれを確かめたかった…?

「……違う、から。深町が原因なんじゃないから」
「本当か? 嘘じゃないか…?」
「嘘なんてついてない。……俺にそんな、気を遣うなよ。構わないでくれ」
「仕方ないだろ。委員長って、どうしても放っておけないんだ。傍にいないと、気になってどうしようもなくなる」
「何言ってるんだ。もっと大事な人、いるくせに」

つい口に出してしまって後悔していると、深町が「…は?」と間の抜けた声を上げた。
その声のあまりの緊張感のなさに苛立って、俺は彼のことを睨みつけた。

「俺よりもそっちの子を気にかけてやれって言ってるんだ」
「そっちの子? ……誰の話だ」
「だから! 深町には、彼女がいるんだろ!?」
「……今までで一番突拍子のない発言だな。っていうか、すごい誤解。何がどうなってそうなった」

心底呆れた、と目を細めた深町に、俺は眉を寄せた。
昨日の放課後、深町は女子生徒に告白されて付き合うことを了承したじゃないか。
それなのにどうしてそんな反応をされなければならないんだ。

「隠すなよ。……俺、見たんだ。深町が昨日、告られてるの」
「告白? ……もしかして、放課後の話か?」
「…やっぱり、思い当たる節があるんじゃないか」
「あれは勉強の仕方を教えてくれって、頼まれただけだぞ」
「隠そうったってもう……ん? は!?」

パチパチと瞬きを繰り返して、深町の顔を凝視する。
勉強の仕方を教えて、だって…?

「……でも、え、だって」
「本当は、引き受けたくなんてなかったさ。面倒だからな。でも委員長、前に言っただろ? 俺には友達がいないって。別に俺はそれでも構わないんだけど、委員長はあまりそれを快く思ってないみたいだったし。だから少しはみんなと打ち解けられるよう努力した方が、委員長に気を遣わせなくていいのかなって思って…」

深町の言葉が、すぐには理解出来なかった。
だってあれは、どう見たって告白現場だったじゃないか。
すごく真剣な表情で向き合っていたし、事前に手紙まで渡していたみたいだったし…。

「その、手紙…っ。ただ勉強の仕方を教えてもらうだけで、わざわざ書くか!?」
「あの子、家庭の事情でどうしても国公立の大学に行きたいらしい。手紙にはその概ねが書いてあった。多分俺に話しかけてもまともに取り合ってもらえないから、手紙だったら良いんじゃないか、とか考えたんだろ」
「……じゃあ、全部」
「勘違い、だな。委員長ってやっぱり、鈍い…というか、思い込みが激しいというか」
「う、そ…」

勘違いだったなんて、馬鹿みたいだ。
自分が滑稽で、何よりたまらなく恥ずかしい。
けれど同時に、安堵していた。
深町は誰とも、付き合っていなかった…。

「委員長さ、昨日…泣いてただろ。あれって、もしかして俺に」
「あのことは忘れてくれ!! 俺だってビックリしたんだからっ。何か、もう…わけわかんなくてさ!」
「……それって」
「頼むから。だからそれ以上、聞いてこないでくれ…」

これ以上深く聞かれると、また、心が痛み出しそうな気がしたから。
だから何も言わないでと懇願するような眼差しを向けると、深町は口を噤んでくれた。

「……委員長が嫌だっていうなら、もう聞かないから」
「ありがとう、深町」
「いや。……そうだ。これ、あげる」

深町はポケットから四角い箱を取り出すと、俺に差し出してきた。
一体何だろうか。
箱から視線をそっと上げると、深町のはにかんだような笑顔が目に入った。
とくんっと鼓動が高鳴って、俺は慌てて目を逸らした。
どうしてそんなに幸せそうな、満足げな微笑を浮かべているんだ…。

「委員長、受け取ってもらえるか?」
「も、貰えるものは貰う主義だからなっ」
「……貧乏性?」
「うっ…うるさいな! それより何だっていうんだよ、急に」
「おめでとう」
「……はぁ?」

唐突すぎる祝辞に眉間にしわを寄せまくって深町を見つめると、彼も怪訝そうに眉を寄せた。
そのまま見つめあっていると、深町が先に視線を逸らした。

「やった、勝った!」
「何の勝負だ」
「……その通りだな。えっと、何で急に?」
「……委員長さぁ。もしかして、今日が誕生日だってこと、忘れてないか?」

思索していると、深いため息が聞こえた。
それはやっぱり、深町から発せられたものなわけで。

「深町、いつも思うけどため息つきすぎ」
「委員長がつかせてるんだってことに気づいてほしい。っていうか、マジで覚えてなかったのか」
「……これっぽっちも」
「馬鹿じゃないのか。生まれた日、なんだぞ」
「そういうの、あんまり意識したことない」
「委員長にとってどうでもいい日、だからだよな? それって考えられないな。両親に生んでくれてありがとうって感謝する日だろ?」

深町の言葉に目を丸くする。
生んでくれてありがとう、か。
まさか彼からそんな台詞が聞けるとは思っていなかった。

「……まぁ、学生寮に住んでるしな。普段両親とは別々だから仕方ないのかもしれないけど。それでも感謝の気持ちは忘れちゃいけない。電話くらいしたほうがいいと思うぞ。まだ、話せるうちに」
「……あ」

後悔の念を滲ませた深町の言葉に胸が痛む。
話したくても、彼はもう父親とは話すことが出来ないんだ。

「分かった。今夜、電話してみるな。ちょっと照れくさいけどさ」
「ああ、それがいい。……ちなみに誕生日って、感謝するだけの日じゃないからな」
「んえ?」
「感謝される日でもあるんだ。生まれてきてくれて、ありがとうってな。ま、その思いも込めてのプレゼントだ」

微笑まれながら渡された箱に、視線を落とす。
包装を破って蓋を開けば、そこには小さな丸いピアスが入っていた。
そっと手に取り、太陽にかざす。
掌の上で光に照らされたそれは、透明度の高い赤色をしていた。

「綺麗、だな…」

思ったままの感想を口にすると、深町が満足そうに頷いたのが見えた。
透き通った光を放つピアスに目を細める。
深町が買ってくれた、俺のための誕生日プレゼント…か。

「嬉しい。でも何でピアスなんだよ? つけられないだろ」
「あれ? ……もしかして、校則で禁止されてたか?」
「思いっきりされてますが。っていうか、月に一度検査あるじゃないか。耳に穴あけてないかどうか」
「…………忘れてた。ごめん。委員長を喜ばすこと以外、何も考えてなかった」

さらりと言われた、きっと深町にとってはそれほど意味を持たない言葉。
けれどそれが、凄く嬉しく感じられた。
俺を喜ばそうとしてくれていたっていうだけでも、十分すぎるくらいだ。

「卒業したら、つけさせてもらうな。そのときは真っ先に、見せにいくから」
「……ああ、そうしてくれると有難い。きっと似合うよ、委員長」
「ありがとう」

胸の奥から、あたたかいものが滲み出てくる。
微笑みかけると、深町は照れたように視線を俺から逸らした。
口元を、微かに綻ばせたまま。
そんな彼の仕草ひとつひとつを、ひどく愛しいと思った。
深町がこうして傍にいてくれることが、傍にいさせてくれることが、泣きたくなるくらい嬉しくて。
頭の中が、心が、深町で埋めつくされていく。
思わず彼を抱きしめると、驚きのあまり身体を仰け反らされてしまった。
それでも深町をぎゅーっと力を込めて抱きしめ続けていると、ポン、と頭に手を置かれた。

「深町…?」
「……ここで、抱きついちゃうとか。委員長、何も考えてないだろ」

どことなく硬い声色に、不安が胸を過ぎる。
もしかして、嫌がられている…?
せっかく埋まり始めていた心の傷が、言葉によって抉られる感覚。
刃物を突き立てられたような鋭い痛みに涙が滲んだ、そんなときだった。
ふわり、と抱きしめ返されたのは。

「委員長が悪いんだからな。だってこういうことされると、手放したくなくなるだろ…っ」

痛いくらいに抱きしめてくれる深町に身体を預ける。
高鳴っていく、鼓動。
上昇していく体温。
頭の中がぼーっとして、心が、震えて。


ごめん、岡崎。
せっかく忘れさせようとしてくれたけど、やっぱり、無理だった。
もう、誤魔化せない。




――――俺、深町が好きだ。




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