17. 不協和音のような僕ら


結局、俺はどこの誰とも知らない女子生徒とペアを組んで文化祭をまわることになってしまった。
本来彼女がいない男子ならそれは喜ぶべきことなのかもしれない。
でも他に好きなやつがいると話は全然違うわけでして。
俺は終始ムッスーと不貞腐れたような顔をしていたので、きっと一緒にまわった女子生徒はさぞかし楽しくなかったであろう。

「あーあっ。本当、嫌になるなぁ」

文化祭直後に行われる清掃活動をしながら、小さくぼやく。
今年の文化祭は全く楽しくなかった。
クラスでの出し物も、燃えられるようなものじゃなかったしなぁ。
ため息をつきかけていると、教室のドアが開いた。
ちなみに今の今まで、このクラスには俺以外いなかったのだ。
ここの清掃担当の生徒は、みんな塾だのなんだので、帰ってしまっていた。
だからこそ良心の痛んだクラスメイトが戻って来てくれたのだろうと期待に満ちた目を向けたのだが、そこに立っているのは教師だった。

「……なんだ。先生か」
「なかなかにいい度胸をしているな、委員長?」
「すみません。つい」
「つい……か。まぁ、いい。それより他の生徒はどうした?」
「みーんな塾だとかで、帰っちゃいました。困ったことに」
「そうか。なら仕方ないな。……委員長も、適当なところで切り上げていいからな」
「はい」

教師が教室から出て行くのを見届けてから、俺は再び掃除を始めた。
箒で床を掃けば掃くほどゴミが出てくるのはどういうことだ。
一向に綺麗にならなくて苛立っていると、肩に手が置かれた。
いつの間にか、誰かが教室に入ってきていたらしい。
振り返ればそこには岡崎がいて、半日ぶりに見るその姿に泣きそうになった。
よっぽど一人での掃除が心細かったらしい。

「岡崎〜っ。みんな帰っちゃったんだ! どう思う!? 習い事があると言えば先に帰らせてもらえるっていう考え方を改善させる必要があるよな!? それに絶対、ほとんどの生徒が嘘ついてるしっ。いっそ、それらしい理由なんて言わずに、堂々とサボッたらいいのに!」
「委員長も適当に嘘ついて、とっとと帰ればいいのに。……人が良すぎるな」
「何言ってるんだ。明日学校に来て汚いままだったら困るだろ?」
「クラス委員も大変だな」
「っとだよ! みんなもっと協力せいっ」

文句を垂れながら箒で床を掃く。
岡崎はそんな俺を苦笑しながら見ていた。

「……そういえば。文化祭、どうだった? 深町とは――」

振り返って見た岡崎は心底ゲンナリとした顔をしていた。
俺は今この瞬間、今年の文化祭の話を彼には二度と振るまいと決意した。

「……あのさ、委員長。ちょっと訊きたいんだけど、いいか?」
「ん? 何だよ、改まって。今更そんなこと確かめ合うような仲じゃないだろ。好きなだけ質問するがいいっ」
「なら、言わせてもらうけど……」

岡崎は視線を彷徨わせた後、どことなく言いにくそうに口を開いた。

「――――キス」

ビクッと、自分でも驚くほどに身体が揺れたのが分かった。
岡崎の口からそんな言葉が出てくるとは思わなかったんだ。

「な、何だよ。急に……?」
「屋上でさ。深町としかけてたよな」
「あ……あれは……っ」

カァッ、と血液が頬に駆け上る。
やっぱり気づかれていたんだ。
当然のことなのかもしれないけれど、それでもやっぱり、気づかれていないのだと思っていたかった。

「あれはさ、委員長が組敷かれてたし……。無理やりされそうになったんだって、そう思うことにしてた。深くは考えないようにしてた。でもやっぱ、無理だ。気になる」

岡崎は真っ直ぐに俺を瞳に捉えると、両肩を掴んできた。

「教えてほしい。あれは、無理やりだったのか? それとも……いや、そんなことが聞きたいんじゃ、ないんだ。ハッキリ言って欲しい。深町のこと、委員長は好きなのか? もう、付き合ってるのか?」
「すっ……好きなわけ、ないだろ! 当然付き合ってもないし……っ」

ちょっとした、恥ずかしさからくる、嘘のつもりだった。
その場凌ぎの、誤魔化し。
気づけなかったんだ。
岡崎がどうして、俺にこんなことを訊いてきたのかということに。
そして教室に入ろうとしていた人影が、俺の言葉に動きを止めたということに。

「でも、家に夕飯作りに行ったりしてるよな? 俺、この前見たんだ。委員長が深町の家に出入りしてるところ。スーパーの買い物袋持って! それって付き合ってるってことじゃないのか!?」
「深町とはそんなんじゃないっ。ただ…あいつが寝ると先生に俺が怒られるだろ!? だから少しでも家で休めるように夕飯作ってやってたわけで、それがもう習慣みたいになっちゃっただけで…。別に好きで作りにいってるわけじゃない!」
「それ、本当か?」
「ほ…本当だよ。何でそんなこと訊くんだよ…!?」
「っ…俺は! ―――ずっと、前から」


ダンッ、と。



鈍い音が聞こえた。



「…え?」

視線を教室の入り口に動かせば、そこには深町が立っていた。
殴りつけたのか、彼の拳は壁に押し付けられていた。

「深町」

俺が深町の名前を呼ぶよりも先に、岡崎が口を開いた。
彼は俺を庇うように背後に押しやると、きつく深町のことを睨みつけた。

「ちょうどいい。聞いてたんだろ? 委員長はお前のことを好きなんじゃない。ただ、優しいから……。だからお前のことが放っておけないだけだ。こいつの甘さに、これ以上、付け入らないでもらおうか」

怒りの感情を押し殺しきれていない、低く唸るような岡崎の声。
それは俺が初めて聞く類の、彼の声だった。
俺と岡崎と深町の間に、ひどく殺伐とした空気が流れる。
ほんの数分前まで岡崎と談笑していたというのに、俺は今、口を開くことさえ出来なかった。
それは深町も同じなのか、しばらく岡崎の顔を睨み付けたまま黙り込んでいたのだけれど、不意に視線を俺へと動かした。
怒りとも憎しみとも悲しみとも、どれとも取れない……否、そのどれとでも取れるような、そんな眼差しだった。

「……そんなに嫌なら、来なくていいから」

――――嫌、だと。
心が痛いくらいに叫んでいるのに、言葉にすることが出来なかった。
深町の声が、あまりにも冷たいたものだったからだろう。
突き放された気がして身を震わせていると、深町は微かに笑んで見せた。

「じゃあ、委員長。……さようなら」

深町はそれだけ言うと、俺たちに背を向けて歩いて行ってしまった。
教室のドアの閉まる音が、やけに大きく耳に届いた。
『さようなら』
短すぎる、けれど込められた気持ちが判りやすい、これ以上ないくらいに単純な言葉。


…………深町に、嫌われた。


「委員長。良かったな。これで、もう元通りの生活が送れる。あいつの面倒、見る必要もなくなる」
「………なんで」
「委員長?」
「何でっ!? 何であんなこと……!!」

岡崎の胸倉を引っつかんで、俺は初めて本気で、殺したいくらいの憎しみを込めて彼を睨んだ。
頭の芯が白熱したように熱い。
激昂する俺とは対照的な冷めた表情をしている岡崎に、より怒りがこみ上げてくる。

「岡崎!!」
「……委員長が、言ったんだろ。深町のせいで迷惑してるんだって」
「そんなこと……っ」
「言ってないって?」

岡崎はせせら笑いながら、俺の手を胸元から引き離させた。

「そうだな、確かにそうだよ。委員長は直接的には言ってない。でも同じような意味を持つことは言っただろ?」
「……え?」
「好きで作りに行ってたわけじゃない。それって、裏を返せば嫌々やってたってことだろ?」
「ちがっ……俺は、ただ……ッ」

ただ、素直に気持ちを口にすることが出来なかっただけだ。
本当は、喜んで夕飯を作りに行っていた。
だって深町は美味しさが「普通だ」とか言いつつも、嬉しそうに夕飯を食べてくれていたから。
そんな彼に、俺は惹かれていたのだから。
それなのに否定したのは、恥ずかしかったからで。
自分の気持ちを守りたいがために嘘を言って、それで傷つけたのは……。

「――――っ」

逢着した答えに、息を呑む。
深町のことを傷つけたのは、紛れもない、俺自身だ。
岡崎じゃない。

「……委員長」
「お、れは……。全然、そういうつもり……」

何してるんだろう、俺は。
こんなことがしたかったわけじゃない。
あんなことが言いたかったわけじゃない。


俺は岡崎の視線が耐え切れなくて、教室から駆け出て行った。




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