2. 不協和音のような僕ら
消えかけた街灯の下を歩いて学生寮へと向かう。
三者面談期間のおかげで普段よりも早く帰られるはずなのに、何ていうことだろう。
生徒会長からただ目に入ったから、という理由だけで雑用を任されてしまい、帰るのがとてつもなく遅くなってしまったのだ。
どうしてこんなにも利用されるんだろう…と憂鬱な気持ちのまま歩いていると、コンビニが目に入った。
「…弁当、買っていこうかな」
さすがにこんな時間帯では、学生寮で夕飯は出ないだろう。
今月は新しい運動靴を買ったりで、お金がキツキツなのになぁ…。
出来るだけ安い弁当を買い、デザートが置いてある棚は見るまい。
「温めますか?」
レジに弁当を持っていったとき恒例の台詞に返事をしようとして、俺は黙り込んだ。
それから店員の顔をマジマジと見つめる。
この、目の前見えてないんじゃねぇの?と疑いたくなると同時に引っつかんで切りたい衝動に駆られる長い前髪には見覚えがある。
っていうか…。
「深町ぃ!!」
「…お客様、店内で発狂するのはご遠慮ください」
「誰が発狂してるか! 何してんだお前は!?」
「温めますか? 温めなくていいのならさっさと金払って帰ってくれやがりませんか?」
「あっ…あのなぁ! バイトは禁止されてるはずだろ!? 先生にバレたらどうするんだ!? しかもよりにもよって学校からこんなに近いコンビニで…っ」
校則を破ったら即刻、謹慎処分の厳しい学校なのに。
こいつって馬鹿なんじゃないだろうか。
「深町っ。バイトなんてしちゃ駄目だッ。止めろ! 普段から先生方の反感を買ってるお前がこんなことしてたら、謹慎処分だけじゃ済まないぞ!?」
「………うるさい」
「お前のことを思って言ってるんだぞ!?」
「何も知らないくせに知ったようなクチ聞くんじゃねぇっ!!」
唐突に荒げられた深町の声に、言葉を詰まらせる。
今までどんなに注意しても、こうやって怒鳴り返されることはなかったのだ。
これは本当に、自分のためとかじゃなくて深町のことを思って言ったのに。
…なんだか、ショックだ。
「…帰ってくれ」
「馬鹿深町!」
俺は千円札を深町に投げつけると、コンビニを駆け出て行った。
「深町のヤツ、信じられないよな! どう思う!?」
「おせっかい」
「うあ!? ひ、ひでぇ…っ」
同じ学生寮に住んでいる岡崎のもとに愚痴を零しに行ったのだが、彼は慰めてくれないばかりか俺のことを責めてくれやがった。
そりゃ、確かにおせっかいかもしれないけどさ。
ぷーっと頬を膨らませて、机に顔を伏せる。
「…校外でのヤツの行動は放っておけ。そのほうが無難だ。流石に学校外でヤツが問題を起こした場合は、お前にとばっちりは来ないだろ」
「それはそうだけどさぁ…」
放っとけばいいのは分かってるんだけど、どうにも気になるんだよなぁ。
それにあんな風に言い返されたの、初めてだし。
そんなに気に障るようなこと言ったか?
だいたい、何も知らないくせにって何だよ。
深町のことを深く知ってたら、それこそ変だろうが。
「あーっ、もう! モヤモヤするなぁっ」
「…そうやって無駄に世話を焼きたがるのはお前の長所であり、同時に決定的な短所だよな」
「分かってますよ、そんなこと!」
「だったら直せよな、いい加減」
岡崎が苦笑いを浮かべた直後だった。
インターホンが鳴ったのだ。
「誰だ? こんな時間帯に。常識がない奴だなぁ」
「こんな時間帯に俺の部屋に押し入ってきたのは、どこのどいつだ?」
「うぅ、痛いところを突くなぁ」
「ははっ。ちょっと出てくるな」
「ああ」
岡崎が玄関へと行くのを眺めながら、お茶を飲む。
うん。
岡崎の淹れてくれるお茶はいつもながら美味しい。
きっと茶の葉っぱ自体が高価なんだろうな。
やれやれ、金持ちは羨ましいぜ。
だなんてことを思っていると、岡崎が部屋に戻ってきた。
…深町を連れて。
「ぶっはぁー!!?」
勢いよく俺の口から噴出される緑色の液体。
俺は慌てふためいてコップを落としそうになりつつ、深町と岡崎の顔を交互に見た。
「なっ…何で!? え? この時間帯に深町が岡崎の部屋に来るって…えっ、何そういう関係!!?」
「そんなわけないだろ。お前に用があるんだってさ」
「俺…?」
コップを机に置き、深町の前へと移動する。
俺よりも15cmあまり高い位置にある彼の顔を見つめながら首を傾げると、岡崎のため息を聞いた。
「…まずは口を拭いたらどうだ?」
「………ん」
ポケットからハンカチを取り出して、口元を拭う。
顔半分をだだ濡れの状態で話し合いを始めるところだったぜ。
「で、一体何だよ。謝りに来たのか?」
「…誰が謝りになんて来るか。これだよ」
押し付けられる、弁当の入ったレジ袋。
そうか、そういえばそうだった。
弁当、金を払ったくせに貰い忘れていたんだ。
わざわざ届けに来てくれたのか…。
「あと、釣り」
「ありがとう」
「…別に」
深町はそれだけ言うと、玄関へと歩いていってしまった。
どうやら帰るらしい。
「ま、待てよ深町! お茶ぐらい飲んでいったらどうだ?」
「委員長。ここ、俺の部屋ってこと忘れてるだろ」
聞こえてきた岡崎の声を無視して、俺は深町の服を引っ張った。
深町は足を止めると振り返って、微かにだけど、口元を綻ばせた。
「遠慮する。二人きりのところ、邪魔して悪かったな。お前らって、そういう関係だったの?」
………野郎。
さっきの俺の勘違いに、実は腹を立てていたらしい。
「お前、最悪だな!」
「今頃気づいたのか?」
「もっとずーっと前から気づいてましたよ! ほら、とっとと帰れ!! 迷惑だッ」
「言われなくてもそうさせてもらうよ」
深町は気が晴れたのか、外へと出て行った。
どことなく愉しそうだったのが、余計癇に障る。
「何なんだ、ヤツは!!」
「…前々から思ってたけど。深町って、お前とは普通に会話するよな」
「は?」
岡崎は壁にもたれ掛かりながら、複雑そうな顔をして俺を見ていた。
「…俺とは、ってどういうことだよ? 岡崎だってさっき、話したんじゃないのか?」
「したけど。でも何かこう…違うんだよなぁ」
「何が?」
「それが分かったらこんなに伝えるのに苦労しない。…そうだなぁ。雰囲気、とでも言うのか? それが違う。俺とはすごく面倒くさそうに話すんだよなぁ」
「どちらかというと俺を相手にする方が面倒だと思うんだけど」
「お、自覚はあるのか」
「岡崎!」
「悪かったよ。それより、夕飯まだなんだろ? 弁当温めてやるから、貸せよ」
「ああ」
レジ袋を渡すと、岡崎はリビングへと向かっていった。
その途中、彼は俺へと振り返った。
「どうかしたのか?」
「…この弁当、もう温まってる」
「え?」
傍に駆け寄って弁当に触れると、確かに温かかった。
「この袋の中、割り箸が入ってるな。あと、お茶も」
「俺、お茶なんて買ってないけど…?」
「………ふぅん。あいつなりに、少しは考えたらしいな」
岡崎は笑って、俺にレジ袋を返してくれた。
中に入っているものを見つめながら、深町のことを考える。
感謝なのか、謝罪なのか、もしくは両方なのか。
どの意味が含まれているのかは分からないけれど、全く俺の気持ちが伝わってなかったわけでもないらしい。
「良かった…」
そのことに満足感と安心感を覚えながら、俺は弁当を食べ始めた。