10. 光side
辻村に精液を掻き出してもらったおかげなのか、腹痛に悩まされることがなく気持ちのいい朝を迎えることが出来た。
同様に腰の痛みも引いてくれればいいのだが、そういうわけにもいかないらしい。
昨日よりも明らかに酷くなっているだろうそれに、ふらつきながら階段を下りていく。
リビングでは父さんが新聞を読みながらコーヒーを飲んでいた。
「……食べながら読むの、やめろよ。行儀悪い」
「そういう光こそ、まずは挨拶をするべきだったな。礼儀知らずめ」
からかうような声にむっとしながら、食卓を囲む際の定位置となっている椅子に座る。
こんがりと焼けたトーストに苺ジャムを塗って齧りつくと、甘い味が舌の上に広がった。
「やっぱりオレはバターよりもジャム派だな。……って、父さん!? 今更だけど何でここに!? また会社休みにしたのか!?」
「細かいことを気にしていては大きくなれないぞ。ただでさえ光は小さいのだから」
余計なお世話だ、と父さんを睨みつけるものの微笑を返されるだけだった。
何だか器の小ささを知らしめられたようで気分が悪い。
無言で口を動かしていると、父さんが気遣うような視線をオレに向けてきた。
一昨日オレは辻村に犯されたショックから抜け殻のようになっていたので、そのときのことをまだ心配しているのだろう。
会社を休みにしたのも、そういう理由からなのかもしれない。
「もう大丈夫だよ」
オレの言葉に父さんはハッとしたように目を広げると、真意を確かめるようにじっと見つめてきた。
これは別に、父さんを安心させるためについた嘘ではない。
本当に、一昨日と比べて気持ちが安らいでいたのだ。
辻村との関係が、昨日のセックスでギスギスしたものから少しだけ柔らかいものに変わったからだろう。
些細な変化ではあるものの、それだけで大分気は楽になっていた。
「……それならいいんだが。辛いことがあれば、すぐに相談しろ。きっと力になれる」
「ありがとう」
オレは手早く朝食を済ませると、空になった食器を流し台に置き、制服に着替えるために自室へ向かった。
++++++
早朝の冷え冷えとした空気を気に入ってしまったらしいオレは、今日も早めに登校をしていた。
人気のない廊下では、昨日と同じように辻村がどこか物憂げな表情で窓の外を眺めている。
オレは悪戯な心に揺さぶられ、足音を立てないように近づくと、背後から辻村の両目を手で覆ってやった。
「だーれだ?」
「……はぁ」
返ってきたのは呆れたような深いため息。
辻村が驚きに声を上げる様を想像していたオレは、その反応が大いに不服だった。
内心で舌打ちし、手を離す。
「驚かないんだな、辻村」
「二宮が歩いてきてるのは分かってたからな。……まあここまでお前が馬鹿だったとは、思わなかったけど。そういう意味では成功したんじゃないか?」
「っ……嫌な奴」
「今更そんな台詞を聞くことになるとはな? それより、お前は何考えて行動してるんだ」
辻村は咎めるような視線をオレに送ってきていた。
そんな質問をされても、正直返答に困る。
辻村に目隠しをしたのは、ただ面白そうだったからというそれだけだ。
「どうせ、何も考えてなかったんだろ」
「う、うるさいな。大体お前こそ、こんなところで何してんだよ! 昨日もいたよな?」
「……富士山」
「は?」
予想外の名詞に、オレは間の抜けた声を上げた。
富士山というと、日本一高いと評されるあの火山か。
「見てたんだよ。晴れてると、ここからよく見えるんだ」
「そ、そうなのか?」
オレは窓から身を乗り出すようにして、遠くを見つめた。
空は真っ青で雲ひとつない。
間違いなく今日は快晴だ。
しかしどんなに目を凝らしても、富士山らしきものを見つけることは出来なかった。
「ん〜? 見えないけど。どこにあー…」
振り返ろうとして、動きを停止する。
発言も中途半端なところだが、口を閉ざしてしまう。
辻村が背後から、オレのことを抱きすくめてきたのだ。
「ちょっ…!?」
「嘘に決まってるだろ、そんなこと。この町から富士山までの距離と方角を考えろ。どうやったって見えるわけがない」
唖然となる。
どうやら思い切り騙されてしまったらしい。
「ふざけんなっ」
オレは辻村の腕から何とか逃れようとしてみたものの、彼の身体はぴったりと背中にくっついたまま離れない。
制服越しに温もりを感じて、知らず頬を赤らめてしまう。
「おい、放せよ!」
「二宮さ、オレのこと何だと思ってるんだ?」
「はぁ? 意味が……ッ、ぁ!」
耳の中に何かが捻じ込まれ、すぐに濡れた感触がした。
眉を顰めたオレの耳朶を、辻村は舌で舐めていく。
「昨日、一昨日と、俺に犯されたばかりだろ? どうして自分から近づいてくるんだ」
「んっ…それ、は……ッ」
自分でも、どうしてなのかよく分かっていなかった。
出会えばこういう目に遭うというのは予測出来ていたはずだ。
そうでなくとも、襲ってきたような人間の傍に寄りたいと思うはずがない。
恐怖し、蔑み、嫌悪し、避けるのが普通の反応だ。
けれどオレの心には、不思議とそういった感情の類が発生していなかった。
「それとも本当に、こうやって無理やり犯されるのが好きなのか?」
「ち、がっ……! ちょっと待て、おい……っ」
制服をたくし上げた辻村の指先が、まだ柔らかな胸の突起を掠める。
吐息を漏らすと、辻村は愉しそうにそこを摘んだり押し込んだりした。
「ふっ……ぅ、この…っ…!」
「尖ってきた。二宮、ここ好きだよな。触れるたびに喘いで……こっちだって凄いことになってるんだろ?」
「やめっ…!」
素早くベルトが外され、下着の中に手が滑り込んできた。
熱く息づくそこを掌で優しく包み込まれ、思わず出そうになる声を必死に噛み殺す。
辻村は緩慢な動作で刺激を与えながら、うなじに顔を埋めてきた。
「ぅっ、ん…ぁ……」
ぴちゃり、と湿音が耳に届く。
熱く濡れた舌がうなじから首筋へ移動していった。
ぞくぞくと背筋を震えが駆け上がってくるものの、嫌ではない。
否、行為そのものは嫌なはずなのに――何故だか辻村を拒絶しきれないのだ。
それでもこのまま続けさせるわけにはいかないので、オレは辻村の腕に思い切り爪を立てた。
辻村が痛みに怯んだ隙を見て、彼の腕から抜け出す。
「はぁ、はぁ……はっ…。ここ、廊下だろ。いくら人気がないからって、もう少し場所を考えろよ!」
「うるさい。黙れ」
「あのなぁっ! そうやって言えば何でも自分の思い通りになると思ってたら、大間違いだからなッ」
「思い通りになるなんて……思ってない」
呟かれた声が震えているような気がして、怒りに熱くなっていた頭が冷えていく。
冴えた頭で見てみて、初めて気づいた。
俯いている辻村の表情が、悲しみに歪んでいることに。
ああ、またこの顔だ。
わけも分からないまま、胸が締め付けられる感覚に襲われる。
オレが辻村を拒みきれないのは、おそらくときおり見せるこの表情のせいだ。