18. 光side
辻村の唇の感触が、生々しいほどよく残っていた。
眠ったはずなのに頭の中がぽーっとしている。
それとも目覚めたばかりだからこそ、意識がはっきりしていないのだろうか。
夢心地のままオレは起き上がると、両瞼を強く擦った。
「変だな。……気持ち悪く、なかった」
痴漢に遭ったときも、男たちに触れられたときも、嘔吐しそうなほど気持ち悪さがあった。
それなのに辻村に触れられたときだけは、嫌悪するどころか胸が温かくなって、身体は素直に反応する。
もっとキスを続けていたい、とさえ思ってしまった。
これはきっと辻村が知り合いだからとか、そういう理由ではないのだと思う。
――辻村だからこそ、なのだ。
オレはベッドから這うようにして出ると、部屋の中を見回した。
床には用途不明な道具が乱雑に放置されている。
どう考えても一般的ではないこの部屋は、何のために造られたのだろうか。
「……調べてみるか」
ただ傍にいて、ぐらついているときの辻村の心を支えてやるだけではダメだ。
彼が何に思い悩み行動しているのかを知って、解決してやらなければ意味がない。
オレは未だ痛む身体に鞭を打って、手始めにベッドの近くにある戸棚から調べることにした。
上から三段目の引き出しにだけ、しっかりと施錠がかけられている。
あまりの怪しさに無理やりこじ開けようと引き出しを引っ張っていると、施錠は脆くなっていたのかバキッと派手な音を立てて床に落ちてしまった。
「わわっ。壊れちまったぞ……!?」
オレは意味はないと知りつつも辺りを見回して人がいないことを確かめると、施錠を戸棚と壁との間に放り込んだ。
心臓が早鐘を打ち、冷や汗が額に浮かぶ。
バレたら……そのときはそのときだっ。
オレは自分にそう言い聞かせると、引き出しを開けた。
「……なんだこれ。日記か?」
中には赤い表装をした分厚い本があった。
手にとって表紙をしげしげと眺める。
丁寧な文字で“辻村陣”と下のほうに書かれていた。
鍵をかけるほどだから、余程他人には見られたくないようなことが書かれているのだろう。
罪悪感から少しだけ躊躇いを覚えるものの、オレは適当にページを開いた。
○月□日
腹が痛い。中出しは止めてくれって何度も言ってるのに、父さんは止めてくれない。
……どうして俺だけこんな目に遭っているんだろう。
みんなと同じように外で遊びたい。
オレの予想通りこれは日記のようで、短いながらもその日にあった出来事や辻村の思いが書き綴られていた。
問題なのは、その内容だ。
中出しによって腹を壊すことはオレも経験している。
辻村もそれを経験させられていた――父親によって?
オレは信じられない思いで日記を読み進めていった。
△月×日
死にたい。死にたい。死にたい。死ねない。生きたい。死にたい。
どうしたらいい。
もう何週間この部屋に閉じ込められてるんだろう?
早く学校が始まればいい。夏休みなんて必要ない。
同じような内容の日記がひたすらに続いていく。
読めば読むほど、辻村の父親に対する憎しみと生に対する絶望が感じられた。
オレが監禁されているこの部屋は、もしかして辻村が父親に監禁されていた部屋なのだろうか。
散らばっている道具は、拷問のため?
嫌な予感が胸を過ぎり、ざわつかせる。
辻村がオレを犯したりするのは、もしかして辻村の父親が強制していることだったのだろうか。
次のページを捲り、オレは目に入った名前に息を呑んだ。
『二宮直純』
高まる興奮を抑えきれない。
そんな辻村の荒れた感情が滲み出ているような雑な字で、オレの父さんの名前が書かれていた。
どうしてこの日記に、この名前が出てくるのか。
引き攣ったような喉の渇きを覚えて、オレは唾液を呑み込むと狼狽しつつも文章を読んでいった。
□月○日
二宮直純を見つけた。
こんな家庭に俺を寄越したことを、絶対に後悔させてやる。
二宮光にもだ。
許さない、許さない、許さない。
壊してやる、何もかも!!
オレは読むに耐えなくて、日記を勢いよく閉じると引き出しの中へ戻した。
書かれていた内容が処理しきれなくて、その場に膝を崩す。
後悔させる?
許さない?
オレと父さんを、どうして?
いや、一番の問題はそこではない。
“こんな家庭に俺を寄越した”――これはどういうことだ。
本来なら辻村陣はオレの家の子供だったのか?
だとすれば、オレはあいつと……。
「二宮っ」
バンッと勢いよく扉が開かれ、辻村が中に入ってきた。
一瞬息を呑んだが、オレはなるべく動揺を表に出さないようにして彼に向かい合う。
辻村の表情は暗く、どこか思いつめているように感じた。
また、オレの知らない間に何かがあったのか――。
「つ、辻村! オレ……」
「……二宮っ」
辻村はオレの腕を乱暴に掴むと、ベッドに押し倒してきた。
首輪に取り付けられている鎖がジャラッと嫌な音を立てる。
辻村はオレの手首を押さえ込んだまま、荒々しく服を剥がしにかかった。
「んっ、ちょ……オレ、まだ体調……」
「黙れ……ッ」
低く重たい声に口を閉ざす。
辻村とオレの父さんの関係については、まだ詳しいことが分かっていない。
けれど彼がオレと父さんを憎んでいることは、痛いくらいに伝わってきていた。
おそらくオレを強姦し、輪姦させ、監禁しているのは――復讐のため。
「ぁ、ぅ……っ」
「脚、もっと開けよ。挿れにくいだろ……!」
辻村がときおり辛そうな顔を見せるのは、当然のことだったのだ。
いくら復讐のためだとはいえ、強姦する立場になるのは性的虐待を受けている彼にとって、相当心苦しいことだろうから。
「くっ……やっぱ解さないと、キツイか……っ」
「っ、ぁ……ひ、ぁあ…!!」
辻村の悩みを解決してやりたい、傍にいて支えてやりたい。
それらの感情は、何て独りよがりなひどい驕りだったのだろう。
辻村がオレの存在に少しでも救われているのだと、少しでも好きになってくれているのだと、勘違いしていた。